望月花梨『欲望バス』



 中学時代、ぼくは好きでもなんでもない女の子と放課後の教室でふたりきりで作業していて、ひどく親密な空気に一瞬なってしまったことがある。そのとき何の作業をしていたか、ということはおろか、いまではもう彼女のフルネームさえおぼえていないのだが、その日から、ぼくはその女の子のことが好きになってしまい、もうやがては結婚してもいいかもしれない、などとコーフンしたものだった。一週間くらいで冷めたけど。
 「濃密で親密な空間」が出現するだけで、中学生だったぼくの恋愛のジャイロは一瞬で狂わされた。それくらい思春期の恋愛にとって、こうした空間のもつ意味は大きい。


深夜1時の天国


 本作「欲望バス」は、通学の「バス」が語り手となって、そこに乗ってくる中学生たちを描いた短編集である。

 冒頭の短編「欲望バス―25時の天国―」(なんかエロゲーのタイトルのようだ…)は、授業をサボッていた気弱な中学生男子・佐竹を見つけた女子の金沢が、佐竹のカギあけの特技をみせてもらううちに、夜の中学校校舎でしだいに決まった時間に会うようになっていく話だ。

「広い校舎にただ二人きりしかいない夜の学校…
 まるで昼とは別の空間のように静かに二人を受け入れ

 そして二人を別人のように親密にさせる」

 昼間はふたりはまったく「別の顔」で、疎遠であることを装っている。
 そうやって行き場を失った恋心は、しだいに屈折したものとなり、夜の学校で会う二人には、次第に異常な「主従関係」ができあがっていった。主人は女子の金沢で、佐竹は金沢がする「かなりひどいこと」に組みしかれていた。
 しかし、やがて、「第二次性徴」の経過とともに主従関係が逆転していくのである。


「世界は二人のために」――濃密な時間と空間


 佐良直美の「世界は二人のために」は、思春期の男女の恋愛にとって完全な真理であり、そのようなもの以外では絶対にありえない。長じて、自分たちの恋愛や関係というものも社会のなかで支えられていたり、そのなかにあるということわかるわけだが、子どもにはわからない。中学生にそんなこと言ったって、聞きゃあしないのである。それが大人になってもわからないと、深夜の中央線の最後尾車両でフェラチオをするカップルに成り果てるのである(友人の目撃情報)。

 二人だけの異常に親密な空間、そのなかで自家中毒をおこすように屈折していく関係、そして必然的な破綻――これが中学時代の恋愛というものだ。

 その濃密さと鬱屈と幼稚さと不毛さを、望月は「夜の学校での主従関係」という装置で、先鋭的に表現した。中学男女の日常を描くだけでは、中学男女の心的な真実にとどかないと考えたであろう望月は、主要な要素をとりだしデフォルメしてみせることによって、強いリアリティを産み出したのである。
 この文庫の巻末の解説で、歌人の加藤千恵が「もちろん、同じような出来事を体験したというわけではない」とことわりながらも「底に流れている感情で、なつかしいものを呼び起こされた気がした」とのべ、「ストーリーからは、こんなにもリアルな空気が流れ出してくる」と書いているのは、ただ中学生の話が書いてあるという理由だけではないだろう。

 巻末の「コナコナチョウチョウ」という短編でも、思春期の男女は、女子トイレに閉じこもる。
 「境界」という短編でも、小学生であるフユキとやよいは、部屋に閉じこもって何事かしている。
 閉鎖された濃密で親密な空間が、望月の思春期観にとって重要な位置をしめているのだ。


性へのまなざしがリアリティを生む


 望月花梨の漫画は思春期の男女の不安定さを描くが、望月の根底には性にたいするまなざしが、強く存在する。

 「性にこだわって、性的関係を過大に重視する典型的な『旧派』のドラマツルギーがある」と関川夏央がある漫画を批判していたが、ぼくは人間にとって性=セクシャリティはほんとうに大きな比重をしめていると思う。せまくセックスや性行動にかぎっても、まるで中学生男子のように30代のぼくにとっては、かなり大きな比重をしめる。
 ましてや、いま言ったように、思春期の男女を語るさいに、性は本来ぬきがたいものだ。

 もちろん、望月はそれを直截に描くことはほとんどない。
 出てくるオトコノコも――望月にかぎらず少女漫画に普遍的なことであるが――サラサラ髪の、衛生化された美少年である。「欲望バス」の佐竹も意地悪い、生意気な少年として描かれるが、それがニキビだらけだったりとか、イカスメルまみれだったりすることはない。
 そして、どちらかといえば、絵柄もストーリー展開も不器用な印象をうける。だから失敗している作品も少なくない。にもかかわらず、性を底流に流すことによって、どの作品にも奇妙なリアリティが生まれ、「欲望バス」のような演出が成功すると、読み手の心に響く作品になるのである。


 日経新聞に載ったインタビューによれば、望月は中学卒業後、療養することになって、そのあと高校でコミュニケーションに悩んだ体験があるという(サイト「少女漫画情報館」より)。ぼくはたった1カ月だけど入院したことがあって、病床にいるあいだは自分の身体や世界にかかわる感覚が健常なときとまるでちがった。「欲望バス」や「コナコナチョウチョウ」のようなエッジ、屈折には、こうした体験が反映しているのかもしれない。

 本短編集はすべて1992〜95年に「花とゆめ」誌(増刊をふくむ)に掲載されたものである。



 

   『欲望バス』 白泉社文庫
2005.5.16感想記
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