『続・資本論 まんがで読破』



※前作『資本論 まんがで読破』の書評はこちら



前作は完全なる失敗作であった

資本論 (まんがで読破)
 前作『資本論 まんがで読破』について、ぼくは酷評しようとしたが、「いや、ひょっとして制作者の深慮遠謀なのかもしれない」とあれこれ悩み「評価は微妙」と書いてしまったのである。

 しかし。

 今回『続・資本論 まんがで読破』を読んで確信した。
 前作はただの失敗作にすぎなかったということを。
 俺の逡巡は完全に「孔明の罠」状態
 苦悩した俺の時間を返せ!

 というのも、前作『資本論 まんがで読破』の方は〈第一巻をベース〉(編集部注)にしたというのだが、今回続編ということなら第2巻、第3巻だけの内容にすればいいのに、今回の『続』では全体の半分の分量を使って『資本論』第1巻の説明をやり直しているからである。

続・資本論 (まんがで読破)  解説を一切抜き、説明は脚注で一言だけで物語だけにしていた前作のスタイルは否定され、前作から引き継がれたチーズ工場の物語をベースにしつつも、エンゲルスが登場して随所で説明を加えるという新しい方式を採用している。「続」などと銘打っているが、前作はあまりにひどかったので、事実上の訂正版をつくったというのが、本当のところだろう。




ぼくの指摘した欠陥は直されている

 ぼくは前作の書評で、搾取の説明がまちがっていることを指摘したのだが、今回の『続』ではこの説明が基本的に正確なものになっている。
 もっとも、労働力価値の説明を先にしておかないので、一瞬不等価交換のように見えるのだが、まちがいではない。

〈それに君はまだ勘違いしている
 まるで僕らが不正に労働者を働かせて
 利益を得ていると思っているね〉

とは作中の主人公・ロビン(チーズ工場主)に出資するダニエルのセリフ。あるいは、

〈こうやって資本家は
 労働力と賃金の
 等価交換の原則を守りながらも
 可変資本から利益となる
 「剰余価値」を得ているのです〉

〈なぜなら資本家は労働力の価値どおりに
 給料を支払っているからです〉

などのエンゲルスのしつこい説明に見られるように、この続編をつくるにあたって、かなりこの問題を注意深く記述しようとしたことがわかる。家畜の飼料と家畜の労働量の喩えまで使っている。

 前作は「まんがで読破」という体をなしていなかったが、今回のは少なくとも「『資本論』1巻を漫画で解説しました」という看板を掲げても差し支えないように思われる(後述するが、それとは別のレベルでの不満はある)。
 これなら思い切って前作を絶版にしたほうがよかったのではないか。続編の方を「新版」として売り出すべきであった。なぜなら、読者は前作の方から買い始めるからであり、読者の中にはそこで呆れて引き返してしまう人が少なくないからだろうと思うからだ。物語は前作から続いているのだが、続編からいきなり読んでもほとんど差し支えない。その判断ができなかったのは、「オトナの事情」によるものなのだろうか。

 『続』において1巻の中身は、価値論・貨幣論・剰余価値論、そして相対的剰余価値の生産を論じるなかで協業・分業について語り、少し間をあけて資本蓄積と相対的過剰人口までを論じていく。
 2巻の内容は、恐慌の論点をのぞけば、資本の回転が扱われるだけである。再生産表式のテーマの一つである「不均等的拡大」は出てくるが、これは恐慌論とのかかわりのみで、再生産表式そのものはどこでも論じられない。
 3巻の中身については、やはり恐慌の論点をのぞけば、利潤率の傾向的低下の法則、商業資本、利子生み資本、信用論が扱われている。地代についてはセリフと脚注で一言出てくるだけで、事実上扱われていない。
 200ページたらずの文庫サイズの本1冊でこれだけ扱えれば、よくやったといってよいだろう。くり返すが『資本論』1部についていえば、「まんがで読破」という看板に、今度は偽りがないといえる。しかも物語までつけていることは、今度は明らかにプラスの意味を持っている。解説だけでは読者が疲れてしまう、もしくはイメージがしにくいという問題に一定の対処をしているということになるからだ。
 さらに「恐慌」を全体のテーマにしたのは、マルクスの『資本論』執筆の中心的な問題意識と重なっているうえに、すぐれて現代的・今日的なテーマであり、この点でもポイントが高いといえる。




本書で気になることいくつか

 個別論点の細かいことでいえば、まず、冒頭の価値論。

〈商品の「価値」は二種類に大別できます〉

といって〈使用価値〉と〈交換価値〉を挙げる方式。これは最近の解説書でも『いまこそ「資本論」』(朝日新書)や『知識ゼロからのマルクス経済学入門』(幻冬舎)などがこういう説明をしているし、古くからでも専門家でこういうタイプの説明をする人がないではない。
 しかし、この「価値には二種類ある」というのは間違いである。商品には〈使用価値〉と〈価値〉の2要因しかないのだ。価値の現象形態が交換価値である。
 方便としてまあやむを得ないかなとは思うが、こんなふうに書いたらたとえば本書で〈貨幣が商品の価値を表す目安——「一般的等価物」であり続ける限り…〉とか〈貨幣こそ他のどんな商品の価値も表現でき…〉と書いてある部分の〈価値〉とは使用価値のことなのか交換価値のことなのかわからなくなってしまう。

 あるいは相対的剰余価値の生産の説明。
 相対的剰余価値の生産は、資本家たちが特別剰余価値を求めて生産性アップに励むうちに社会全体の商品の価値が下がっていき、労賃の内容をなしている生活手段の商品の諸価値も下がり、したがって労働力価値が低下していくというものである。しかし本書では、まず、

〈機械の性能が上がれば労働力にかかるコストが下がります〉

とある。脚注(「キーワード」)には〈相対的剰余価値…生産性が上がり必要労働時間の減少にともない増える剰余価値〉とあわせて、これ自体は正しい。しかし、コマは〈手作業→自動〉とあるだけである。
 〈労働力にかかるコスト〉というのがこのコマの表現だと何を意味しているかわからない。というか、単に労働によって生み出される生産物の価値が下がることがイコール〈労働力にかかるコストが下が〉ることのように思えてしまう。
 その少し後に、ロビンが、

〈それで増加した利益をすべて工場の拡大に使わせてください
 そうすればもっと多くの人に仕事を与えることができる…〉

と役員たちに説明をし、ダニエルが、

〈結局それは労働力の価値を
 さらに下げるということなんだけどね……〉

と内語する。
 この流れだと、労働者が供給過多になるがゆえに労働力価値を下げるかのように説明しているように見える。たぶん漫画の作者の理解はその程度のものなのだろう。

 あるいは、商業資本と利子生み資本の説明。
 商業資本が自立化することで産業資本の剰余価値実現が助けられるという説明は商業資本の役割をある程度説明したものだといえるが、利子生み資本については単に手形の割引のことだけを述べており、これでは利子生み資本について説明したとは到底いえないものである。

 さらに恐慌の説明。
 まあ、マルクスの恐慌論とはこういうものだという説明については、実は学者の中でも千差万別なのでこれは本書の責めとするわけにはいかないものである。
 ぼくからみると、本書での恐慌の説明が「不均等的拡大」のみに注目するものになっているのがまずいといわざるを得ない。生産と消費の矛盾という恐慌の原因については十分な説明がない。さらに、もともと資本主義というのは社会全体で計画して生産するのではないから必ず不均衡がおきる。しかし、それを市場メカニズムによって調整するのが平時だ。「ありゃ、この部門は多すぎるな」と思えば資本が引くし、「この部門はライバルが少ないな」というふうに思えば資本が集まってくる。このように「たえざる不均衡によって均衡に達する」のが資本主義の特徴である。問題は、この不均衡が是正がきかなくなるほどに累積してしまうのはなぜか、というそこを説明しなければならないはずである。

 




『資本論』2・3巻の漫画はどう描かれるべきか?

 『資本論』2巻、3巻の漫画もしくは解説書の記述とはどうあるべきか。
 端的に言えば、恐慌を軸にするという一貫したテーマを軸にすることが第一である。この点で本書の問題意識は悪くない。
 もう一つは、『資本論』2巻、3巻でのポイントについて、ただタームとして触れるだけではなく、何らかの体系性をもって示すことが必要である。マルクスは自著『資本論』を「芸術的な全体」と評したことがあるように、この古典を読んだとき、目の前の現実の味方を体系的にくつがえす爽快感がある。この感動をどんなに小さい規模でもいいから再現することが大事なのだ。
 『続』は、『資本論』2巻、3巻をメインにしたとうたったものであるが、残念ながら非常に断片的すぎる。

 ただもうホントに繰り返しになるけども「『資本論』をまんがで読破する」という本シリーズの目的については、少なくとも1巻については、とにもかくにも果たされているというふうにいえるだろう。




『続・資本論 まんがで読破』
原著者:マルクス・エンゲルス
漫画:バラエティ・アートワークス
イーストプレス
2009.5.18感想記
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