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                 ゴルフを愛する人たち

         カナダのゴルフ場
キャピラノ・ゴルフ&カントリークラブ
               Capilano  Golf & Country Club                   

 ゴルフの多くの楽しみには、なお一つの楽しみがあることを    忘れてはならない。
   それはゴルフをせずに炉辺の安楽椅子に腰掛けながら、いろいろなゴルフの文献を
   読んだり、見知らぬゴルフ・コースの美しい写真や絵画を眺めて、独り悦にいるア
   ームチェア・ゴルファーである」

                        ジョゼフ・マードック
                       (ゴルフ収集家協会の創立者)
                     『古今ゴルフ名語録選集』より(摂津茂和)


 アメリカやカナダの人たちと話をしていると、よくゴルフの話がでます。女性でも老人でも、気軽にゴルフを楽しんでいるようです。
「昨日、家内と昼からゴルフをしてきましたよ」 
「昨日はお天気もいいし、よかったですね。スコアはいかがでした?」
「ええ、とてもエンジョイできましたよ」
 どうも私たち日本人は、ゴルフと聞くと、スコアはどうだったと聞くクセがあるようですが、返ってくる答えは、「とても楽しかった」というのが多いのです。いわゆる19番ホールでのグラス片手の話題も、いかに自分があのホールでヘマをやったかという笑い話が主で、自分の失敗を楽しむといった風情があります。
 最近では、日本からのゴルフ・ツアー客がかなり増えました。忙しい人が多いせいか、バンクーバー空港にお昼ごろ着いて、そのままバスでコースに来て、まず初日の足慣らしにワン・ラウンドという元気いっぱいのグループもあります。
 なにしろ町の中にも、郊外にも、至るところにコースがありますし、道路も空いていますから、こういった芸当もできるわけです。
 バンクーバー周辺に幾つくらいコースがあるのでしょうか。
 近頃はバンクーバーも便利になって、日本語の職業別電話帳(タウン・ページ)が発行されています。そのゴルフ場案内には、バンクーバー周辺だけで30のコースが並んでいます。これには伝統を重んじてビジターをあまり受け入れないメンバー制のクラブは入っていませんから、全体としては50近くになるかと思います。
 この30の中には、市の直営パブリック・コースもあれば、メンバー制であってもビジターをどんどん受け入れるところ、36ホールあってメンバーとビジター用にコースを使い分けているところ、また大学付属のコースも入っています。大学付属のゴルフ場と聞くと、日本では奇妙に感じられるしれませんが、北米ではどこにでもある話です。

               
どのゴルフ場がベストか

 では、どこのコースが一番いいのかとなると、議論は果てしなく続くことになるでしょう。
 私の手元に1981年にロンドンで出版された『世界ゴルフ図鑑』(The World Atlas Of Golf: The great courses and how they are played)というA4版240頁の絵入りの美しい本があります。
 これはゴルフの起源から始まり、イギリスのリンクスから現代のゴルフ場への変遷、道具の進歩なども出ている楽しい本ですが、「グレイト・コース」として世界の70のコースが詳しく紹介されています。
 地域別にみると、ヨーロッパが25、北アメリカが27、アジアは8(日本は3つで、広野、霞ヶ関、藤岡の3つが選ばれています)、オーストラリアは5,アフリカは3,南アメリカが2となっています。
 北米の27の中で、カナダからは3つが挙げられています。モントリオールの「ロイヤル・モントリオール」と、ロッキー山脈の景勝地バンフにある「バンフ・スプリングス・ホテル付属のゴルフ場」、そしてバンクーバーの「キャピラノ・ゴルフ・アンド・カントリー・クラブ」です。

キャピラノ・ゴルフ&カントリークラブ

      キャピラノ・ゴルフ&カトリー・クラブ

 私がキャピラノでプレーしたというと、皆さんからうらやましがられます。キャピラノではビジターについてはやかましい決まりがあって、悪くいえば極めて閉鎖的ですが、イギリスの伝統的なクラブそのままで、メンバーたちが自分たちのクラブを大事にしているからとも言えるでしょう。
 私の古い友人夫婦が、前からキャピラノのメンバーで、今は未亡人となったベティが、私がバンクーバーに来ると聞くと、すぐにスタートを取ってくれます。
 なにしろメンバーの数は450人、そのうち女性が150人だそうですが、週末はメンバーだけだし、週に一日はレディス・デイで私は失格、おまけに同伴は一人だけ、同一ビジターは四半期に一回限りというわけです。
 では、日本のどこかの名門クラブのように、肩が凝るような雰囲気かというと、決してそんなことはありません。メンバー同士も従業員もお互いに気やすく声を掛け合い、挨拶をします。見知らぬ私にも、ああこの人はゲストだなと思って、親切にしてくれます。
 一度、プレーが終わって、家にいる妻に電話をかけようとして公衆電話を探しましたが、どこにも見当たりません。プロ・ショップ(外国のコースでは、専属のプロがプロ・ショップを開いていて、スタートの管理、道具の保管、商品の販売などを受け持っています)で聞いてみました。
 「ここはプライベートのコースですから、パブリックの電話はないんですよ。下の道路まで行かないと公衆電話はありません」
 着替えを終えたベティが近寄ってきて、どうしたのと尋ねます。これを見たプロ・ショップの人が、
 「ああ、あなたはベティのゲストですか。それならどうぞこの電話を使って下さい」と、そこにある電話を貸してくれました。

 『世界ゴルフ図鑑』のキャピラノ紹介の冒頭に「キャピラノを訪れるビジターが受ける第一印象は、ギリシャの神々がいたオリンポスの山のような美しさだ。北と東には海岸山脈が迫っていて、眼下にはバンクーバーの町並みが広がっている、その向こうには北緯49度線を越えて遠くアメリカのベーカー山がそびえている。西はジョージア海峡から、霧にかすんだバンクーバー島が見える。この美しい眺めは、いつもプレーしているメンバーでさえ集中力をそがれてしまうほどだろう」と書いています。
 「しかし、景色が美しいといって、立派なゴルフ場が生まれるのではない。キャピラノは本当のゴルフの特質を備えている。一つとして似通ったホールはないのだ」と続けています。

 キャピラノは、バンクーバー市とはバラード入り江を挟んで、その北側「ウエスト・バンクバー市」の南斜面にあります。バンクーバー市内からは、緑の森のスタンレー公園を通り抜けて、サンフランシスコのゴールデン・ゲイトとそっくりのライオンズ・ゲートと呼ばれる三車線の吊り橋を渡り、車ならば20分で到着します。
 コースの周辺は、ブリティッシュ・プロパティという名前の高級住宅地で、バンクーバーでは、いつかはあそこに住んでみたいと思う人も沢山います。
 このキャピラノの歴史を書いた立派な本が出ています。著者はエリック・ホワイトヘッドという人で、彼はアメリカ・カナダでスポーツ記者として新聞や雑誌で活躍していました。
 引退後はキャピラノのクラブハウスから僅か2分のところに住んでいて、1981年に『Hathstuwk』(ハーストーク。美しい眺め)という144頁の本にまとめました。さすがにスポーツ記者だったので、面白いエピソードも沢山入っていて楽しめます。
 メンバーに配られたこの本を、私はベティから貰いました。本の扉に今は亡き夫、ケンのサインがあります。私がキャピラノに興味を持っていることを知ったベティが、渋る私に押しつけるように渡してくれた大事なものです。

     キャピラノを造り上げた人たち

 ハッデン( Hadden )というイギリス人が、はるばる大西洋を越えて、サンフランシスコを経てバンクーバーにやってきました。1891年(明治24年)のことで、日本ではロシアの皇太子が斬りつけられた大津事件が起きた年になります。ハッデンは織物商人でしたが、鉱山への投資をしたり、数年前に開通したカナダの大陸横断鉄道(モントリオールからバンクーバーまで)の終点としてのバンクーバーの発展を予測して、不動産投資を狙っていたようです。
 ハッデンは、バンクーバーの土地をかなり買い求めました。そして12年後に再び現れて、今度はウエスト・バンクーバーに160エーカー(約64万平方メートル)の土地を買い、別荘を建てました。ハッデン・ホールと名付けられた邸宅は、ほとんど使われなかったそうですが、無人となって荒れ果ててしまい、   1930年にいたって雪嵐を逃れたスキーヤーが入り込んで、たき火をして、その火が原因となって焼失してしまったそうです。このハッデン・ホールの跡地に今のクラブ・ハウスが建っています。ハッデンを記念して、ゴルフ場の前の道路が、「ハッデン・ドライブ」と名付けられています。
 次いでテイラーという男が登場します。地元BC州(ブリティッシュ・コロンビア州)の州都、ビクトリア生まれのテイラーは、BC州北部の銀鉱床の開発を試みたり、エンジニアリング会社を経営したりしましたが、夢のような構想を描きました。 
 将来バンクーバー一帯が貿易や産業の発展から大都市になるだろうという考えから、バンクーバーからバラード入り江をはさんで北側のノース・ショア(北岸)と呼ばれる地域を開発しよう。ゴルフ場を中心としたクラブを作ろう。そして北と南を結びつける大きな吊り橋を架けようと呼びかけました。今ではこの地域はウエスト・バンクーバーおよびノース・バンクーバーと呼ばれる大住宅地になっています。
 ロンドンに居を移したテイラーは、この計画の賛同者を求めて活躍し、遂にギネス財閥を招き入れることに成功しました。このギネスは日本では黒ビールで有名ですが、もともとはダブリン(アイルランド)の醸造業から財をなした一家で、世界各地で不動産開発を活発にやってきました。バンクーバーの中心地にもギネス・ビルと呼ばれる黒いツイン・ビルを持っていて、そこには日本の総領事館も入っています。

 ギネス財閥の資本が中心になって、ロンドンに英国太平洋開発会社( British Pacific Properties Company )が設立されました、1930年のことです。
 新会社は早速行動を開始して,600エーカー(約240万平方メートル)の土地を12万ドルで買い付ける一方で、吊り橋の建設に必要な政府許可の取得や設計に着手しました。アメリカ・フロリダでの不動産開発が挫折して、これが引き金となってウオール街の株式大暴落、さらに世界的な大恐慌となっていったのが1929年のことですから、この壮大な計画は先見性に溢れたものというべきか、勇気ある大冒険なのか、驚くばかりです。

 ゴルフ場の建設と運営についていえば、現地での責任者としてアンダーソンという極めて有能な人物が選任されたこと、そして設計者としてトンプソンが選ばれたこと、さらに専属のプロとして若いジョック・マッキノン(Jock McKinnon)をスコットランドから招いたことが、キャピラノの成功の基礎となったようです。
 設計者のトンプソンは、カナダ・ロッキー国立公園にあるバンフ・スプリングス・ホテル付属のコース設計者としても知られていました。
 ジョック・マッキノンは1937年から1979年まで、実に42年間にわたってコース専属のヘッド・プロとしてキャピラノのゴルフ・プレーの性格づけしたと言えるでしょう。

 60年たったキャピラノのコースは、トンプソンが設計した当時と殆ど変わっていないそうです。ゴルフ場のオープンとほぼ同時に完成したライオンズ橋は、老朽化が進んだことと、交通量が増えてきて3車線では渋滞が慢性化していることから、新しく架け替えるか、海底にトンネルを掘るかの検討が続けられています。
 現在使用しているスコア・カードによると、全長6,495ヤード、パーはアウト37、イン35の計72。南斜面に造られているので、フェアーウエーは自然のアンジュレーションがあって、両サイドは樅、杉、ヘムロック(アメリカつが)といった針葉樹が茂っています。北と東は雪をいただいた山々、南と西は海です。ティーとグリーンの標高差がかなりあるところもありますし、崖あり谷ありで決して易しいコースではありません。
 マスターズで優勝したジョージ・アーチャーがこのコースを、「ミドル・ティーで打つメンバーにはかなりの試練, バック・ティーからは素晴らしいチャンピオン・コースだ」と褒めたそうです。
 後ろの森が深いですから野生動物がたくさんいます。リスや鹿がフェアーウエーに現れてプレーヤーを歓迎してくれるのは珍しくありませんが、ときにはコヨーテ(北米にいる狼の一種)も姿を見せます。 
 朝早く、といっても9時ごろ行くと、きちんとネクタイを締めて食事をしながら商談をしている紳士方がいます。もちろんゴルフをしに来たのではありません。午後になるとカード室でゲーム(主にブリッジです)とおしゃべり、そして食事を楽しむ婦人たち。夕方には子供たちが音楽室でコーラスを練習しています。週末には家族連れでビュッフェ・ディナーを食べにきます。つまりメンバーと家族のためのクラブにゴルフ・コースが付いているということです。ここの料理は本当においしくて、私は大好きです。
 トルドー首相が、1971年にバンクーバー出身のマーガレットと結婚して披露宴をしたのは、ここの食堂でした。

 どこのコースでも、18ホールを連続してプレーするのが普通です。 ハーフで休んで、食事をして一杯やるということはありません。キャピラノでは、10番ホールのグリーンの奥、11番の池越え打ち下ろしのパー3のティーの横に、 小さな小屋があって、娘さんがホットドッグやコーヒー、スープなどを売っています。持参のサンドイッチを頬張る人もいますが、粗末なテーブルと大きな木の切り株を椅子代わりに置いてあるだけです。
 キャディはいないので、カートを手で引くか、二人乗りの電動カートを借ります。近頃はプル・カートにバッテリーで動くモーターが付いているものがあって、ご婦人方は愛用しているようです。これだとカートは軽いし、自分は歩くので運動になるというわけです。
 ともかく、いつ回っても人影は少なく静かです。7分間隔のスタートで、二人か三人で回る組が多く、フォーサムは少ないようです。夫婦や友人と回るので、スコア・カードをつけない人のほうが多いでしょうか。

 各ホールには名前がついています。「バーン」(小川)、「キャニヨン」(渓谷)、「ハッデン・ホール」などは私たちにも分かりますが、本の題名にもなっている1番ホールの「Hathstauwk 」というのは読み方さえも分かりませんでした。
 あるとき、かってはこのあたり一帯を支配していた先住民(カナダ・インディアン)部族の酋長、ジョウ・マティアスをクラブ関係者が招待して、いくつかのホールに名前をつけるように頼みました。1番ティーに立ったジョウは、しばし無言で前方に広がる景色を眺めていましたが、ややあって一言 「ハーストーク」(美しい眺めだ)とつぶやいたそうです。そこでこの名前が1番ホールにつけられることになりました。

    同伴プレイヤーへの優しい思いやり

 カナダで面白いと思ったルールでは、その日の最初のティ・ショットは二つ打って、良いほうを選択してよいというのがありました。数年前にバンフで日加経済人会議が開かれたとき、前日に懇親ゴルフ会がありました。そのときは、日本側の参加者は時差ボケもあるだろうから、という配慮で、二つ打つことになりました。私の経験では、お心遣いはありがたいとしても、最初のショットがだめだった人は、おおむね二打目もうまくいかなかったようでした。
 このルールは、マリガン・ルールと言われています。北米大陸で最初のゴルフコース " Royal Montreal Golf Club "(1870年)のメンバーであったマリガンさんが遅刻の常習者で、最初の一打はペナルティなしで打つことを認められていた、と本に出ています。(VACASTION 1999/12)
 もう一つは、打順の定めで、オナー(honour、テイーショットを最初に打つ資格)を失った人は、次のホールでは他の人のスコアに関係なく、最後に打つというのです。これですと下手な人でも常に最後に打つとは限らないわけで、同伴プレーヤーに対する優しい気配りだと思いました。(これをカナダ・ルールと呼んでいました)
 
 日本のクラブと違うのは、玄関にフロント(受付)がないことです。来た人は駐車場に車を停めて、プロ・ショップに行ってスタートを確認したり、預けてあるバッグを出して貰えば、後はロッカー・ルームに寄ったり、食堂でお茶を飲んだりします。そしてメンバーがクラブ内で現金を払うということはありません。すべてサインで済ませて、月に一度まとめて請求書がきて、小切手を送っておしまいというわけです。
 ゲストを連れてきたメンバーがすべての責任を負うわけですから、現金の授受はできません。それでは困るので、私は帰りの車の中で、渋るベティに実費を払わせて貰っていますが、三度に一度はご馳走になってしまい、あとで妻に叱られる始末です。
 沢山ある市営のパブリック・コースのグリーン・フィーは、場所によって多少の違いはありますが、さいきん大改造を終えて人気のあるランガラ・ゴルフ・コースでは、32ドル(カナダドル、1ドル約90円)です。65歳以上のシニアはこの半額、回数券を買えば更に10%引きです。日没後はさらに安くなります。      バンクバーは北緯49度の少し北になるので、夏は日没後も3時間ぐらい明るいので、こういった芸当ができるわけです。
 プル・カートの借り賃は4ドル程度ですが、殆どの人は自分で持っていて、折り畳んで車のトランクに入れています。メンバー・コースのグリーン・フィーは、パブリックの2倍程度と考えてよいでしょう。
 評判のよいプライベート・クラブの入会は容易ではないようです。お金の問題ではなくて、人格識見、そして地域社会への貢献度なども考慮されます。現メンバーの反対が一人でもあれば入れないし、いつもウエイティング・リストは満員で、メンバーが亡くなるとクラブ・ハウスに半旗が掲げられるのですが、それを見て喜ぶ人がいるという冗談もあるほどです。
 子供が生まれるとすぐにクラブに入会を申し込む、というのはいささかオーバーな話にしても、地域社会に密着したクラブ・ライフというものは、生活の中でそれ程ウエイトが高いのです。
 
      
ヘッド・プロとして42年間
 42年間もヘッド・プロをつとめたジョック・マッキノンについては、いろいろな逸話が残っています。
 まず彼は典型的なスコットランド人で、自分にも、そしてゴルフにも厳しい人であったようです。プレーをするときには、常にニッカーボッカーを穿いて、白いシャツにダーク・タイという服装は42年間一度も変わらなかったそうです。そして自分はクラブのスタッフであるという自覚から、ハウス内では決してアルコールを口にしなかったといいます。
 もう一つ、ジョックは素晴らしい記録を持っています。
 ゴルフの記録にはいろいろなものがありますし、ギネス・ブックにもたくさん載っています。昨年のマスターズでタイガー・ウッズが出した72ホール270ストローク、18アンダーという大記録は、最年少でしかも白人でないということでも話題になりました。しかしそのときに、32オーバー(89,87)をたたいて予選を通過できずに、寂しく会場を去ったアーノルド・パーマーもいたわけです。
 全英オープンでの1ラウンドのべスト・スコアは63で、7人が記録を出していますが、この中には青木功も入っています。
 こういった、4日間あるいは1日の記録ではなくて、同じコースを何回も回り、各ホールごとのベストのスコアを積み重ねていく「イクレティック・スコア」( ecletic score 。取捨選択したスコア)というのがあります。クラブ・ライフが確立していて、いつも同じコースを回る人はこういう記録も面白いのでしょう。
 ジョックの出した記録は33というもので、各ホールごとにパーと比べると下のようになります。
 
H
ole  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 計
Par   5  4 5   3   5  4   4  4   3   5  3  4   4   3  4   3  4   5 72
Jock    2  2   2  1   2  2  2   2   1   2  1   2   2   1  2   2  2   3  33

   ご覧のように、すべてがイーグルかアルバトロス(アホウドリ。ゴルフ用語では各ホールのパーより3つ少ない打数)で、例外は16番でホールインワンがなかったことと、18番でアルバトロスが出なかったことです。この18番は556ヤードと長く、グリーンがかなり高くなっているので、とても無理だろうとジョック自らが言っています。理論上は31で回れることにはなりますが、それは夢ということでしょう。
この各ホールの記録は、同伴競技者名、使用したクラブがすべて記録されているのも、スコットランド人の律儀さということなのでしょうか。
 クラブ・ハウスの二階のロビーには、ジョックの肖像画の横に小さな銅板がはめ込まれていて、この不滅の記録をたたえる文章が書いてあります。
 この記録をジョックは21年かかって生み出しました。スコットランドから到着して、初めてコースに出た数週間後に始まり,1942年に第二次大戦に応召して入隊する一週間前に14番でホールインワンをして完成しました。そして1945年、休戦2週間前にオランダ戦線でジョックの乗ったジープが地雷に触れて、運河に投げ出されました。手首の骨折・打撲や挫傷のほかは大事はなかったのですが、やはりこれ以降は、ジョックのゴルフに影響を与えたようです。
 
 記録の話で横道にそれますが、昨年(1997年)12月の日本経済新聞の夕刊に、エッセイストの夏坂健さんが『緑のお遍路さんたち』と題してプロゴルファーの入江勉さんの大記録にふれて感銘深い文章を書いておられます。 
 入江さんは1985年4月6日に大阪府枚方市で開催された「くずは国際トーナメント」の初日、アウトが29、インが30、トータル59という記録を出しました。ゴルフ・コースはそれぞれ個性があって、天候にも左右されるので、一概にスコアを比較することはできませんが、見事な記録であることはもちろんです。
 ギネス・ブックによると「18ホールのベストスコア(男子)」としては,6000メートル以上のコースでは、少なくとも4人が58を記録。いちばん最近では,1981年3月11日、米国ラスヴェガス市営ゴルフコース(6041メートル)でモンテ・カルロ・マネ−(米)が記録した。全米プロゴルフ協会(PGA)トーナメントでの18ホール最高記録は59。1977年6月10日、テネシー州メンフィスのコロニアル・ゴルフクラブで行われたダニー・トマス・クラシックの第2ラウンドで、アル・ガイバーガーが記録(30+29)。また1991年10月11日、……チップ・ベックが同じ記録を出した」とあります。いやはや、プロの技というのは恐ろしい限りです。

 ホワイトヘッドの本には、日本人も登場しています。田中角栄と鈴木善幸の二人の総理です。田中首相は最大規模の警備員を引き連れて現れ、ヘリコプターが上空から警備する騒ぎだったそうです。そして、キャピラノの評判が日本にも伝えられて、日本観光団がバスで押し寄せて、景色を眺めてプロ・ショップで買い物。一番の売れ筋はクラブのマークのつぃた帽子で、おそらくカナダにあるのと同数の帽子が日本にもあるだろうと、ジョークを言っています。
 鈴木首相はランチに立ち寄り、プレーはしませんでしたが、1番ティーでセレモニーとしてドライバーを打ち、230ヤードのナイス・ショットでした。同行の渡辺美智雄蔵相は、少し短く、やや右に押し出し、両者の名誉も儀礼も保たれたとのコメントがついています。
 
       
ミステリー小説の舞台となる
 
 キャピラノを舞台に書いたミステリー小説があります。 サントリー・ミステリー大賞佳作賞を受けた『殺人フォーサム』で、日本航空の初代バンクーバー支店長をされた三倉四郎(筆名・秋川陽二)さんの作品です。 J 航空のバンクーバー空港所長と C 航空の美人スチュワーデス(離婚歴あり)、それに彼女の前夫で、不動産セールスマンの男が主役で、麻薬商売や愛欲が絡んだ面白く読めるものです。
 舞台となったキャピラノで、4人の男たちがゴルフをしている間に、美人スチュワーデスが殺されて、死体が J 航空の空港長の社宅で発見された。一見アリバイのある殺人事件というわけですが、キャピラノの難しい13番ホールを舞台に、ゴルフ上手の殺人者はわざとスライスボールを打ってOBを2発続ける……となるのですが、ゴルフとミステリーのお好きな方は、どうぞお読みください。

 
 ある初夏の日、こんな掲示が1番ティーの横に貼り出されました。
 『仔熊2匹をつれたブラック・ベアが、昨日、練習場付近に現れました。どうぞご注意下さい。もし発見されたらプロ・ショップにご一報下さい』

 さっそく熊好き連中と、野次馬たちがどうしたことかと話し合いました。結論はこうです。
 今は森には草木も茂っているので、空腹で餌を探しにくるずはない。あの母熊と仔熊は、一族の長老たちから言われて、前に住んでいたところがどうなっているか、懐旧の情から見に来たんだろう。でも、偵察隊が静かに立ち去って、もう来ないところをみると、きっと良い報告をしてくれたんだろうよ。
  『私たちの昔の農場は、よい人たちがきちんと管理しているようです』と。


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 もしゴルファーが距離の出る大型クラブでボールを打って、完全にまっすぐ遠くへ飛ばしたならば、私の見解では、すべてまぐれ当たり(Fluke)である。
            ジャック・ニクラウス(前掲書より)


     「鉱山」誌 1968年6月号に掲載された。

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 参考資料:
1. The World Atlas Of Gol── The great courses and how they are played.
2. Hathstuw─ The Story Of Capilano Golf And Country Club.(Eric Whitehead)
3. ギネスブック   (騎虎書房 1997年版)
4. 緑のお遍路さんたち 夏坂健(日本経済新聞)
5. 殺人フォーサム   秋川陽二(文芸春秋社)
6. 古今ゴルフ名語録選集  摂津茂和(ベースボール マガジーン社)
 
                                          (1998年5月)