原文は日本経済新聞2009年6月10日文化欄 「古来の篆刻 次代に印す」に掲載されたものです(原文のまま)。掲載に当たり 著者 水野恵先生(HP管理人の師匠)日本経済新聞社から許諾(2009年10月29日)を頂いてますが、このホームページからの転載は許可されておりません。

 

古来の篆刻 次代に印す           


大卒後に家業の修業、78歳のいまも技術を磨く  水野 恵

いま、篆刻というと、展覧会に出品するような趣味の世界が一方にあり、方や「はんこ屋」といった職人の世界があるというのが一般の理解だろう。だが、戦前まで、これらは一体のものだった。芸術家となるためにはまず一流の職人であらねばならないという考え方が普通だった。私は、こうした篆刻の伝統を引き継いだ最後の一人になってしまった。

祖父の弟弟子に魯山人
私の曽祖父、水野八左衛門は、金沢の前田藩士だったが、維新で一文無しとなり、祖父の栄次郎が京都の福田武造のもとではんこ屋の修業をした。弟弟子に北大路魯山人がいた。やがて、何を見込まれたのか、栄次郎は跡継ぎのい ない、御所の御用印判司「鮟鱇屈」の屋号を引き継ぐことになる。
私は水野家の屋号が鮟鱇屈になってからの3代目。しかし、子供のころは、2代目である父東洞から跡を継ぐようにいわれたこともなく、私もその気はなかった。絵は得意だったので、将来は画家になりたいと考えていた。だが、やがて色覚異常がわかり挫折した。
 文学に路線転換したが、私が大学を卒業するころは空前の就職難で、文学部に求人は無い。新聞社や教員試験も高倍率で歯が立たない。恩師が「日本歌学大系」という本の索引づくりにあたっていたので、無給でそれを手伝ったりしていた。
そんな折、父が「何を毎日遊どるんや」と言う。突然「おまえは鮟鱇屈を継ぐことに決まってる」と。それならそうと言ってくれれば、大学に行く必要などなかった。篆刻の修業は、早ければ小学生、遅くとも中学卒業時には始めるのが普通だからだ。
  実際、同世代の人たちは既に一人前になっている。我が家の番頭さんに聞いても「遅い」といい、「経営に専念して、制作は下請けに出せばいい」とも言われた。だが、それでは自分が納得がいかない。何としても追いつき追い越そうと、腹をくくった。

中国の指南書を参考に
まず取り組んだのは、篆刻の本質をつかむことだった。中国の指南書に「四絶」という言葉がある。これは「詩」「書」「画」「印」を指し、詩情のないものには書はかなわず、書をマスターして初めて画が描ける。この三つができて初めて篆刻ができるようになるという意味合いだ。
  中国の文人は科挙を経るので、本来はさらに四書五経の教養が必要だがさすがに間に合わない。「詩」「画」は独学だが、せめて「書」はと、師匠について一所懸命学んだ。遠回りのようだが書は書、印は印と分業が進んでいたから、10年先にはリードできると考えた。
 一方、実際の彫りはやはり数をこなすしかない。会社から注文される印章を一日に30も40も彫った。当時は、保険会社などが出来合いの印章をいくつも会社に置いて、顧客の代わりに捺印する習慣があった。納期3日で100顆という注文を受けもした。
  「10分で彫ります」という看板も掲げたことがある。そうした際「与那嶺」といった名があれば、細かく彫ることになるので格好の練習になる。だが、印文をくっきりさせるには印刀や鉄筆という刃物を常に鋭く研ぐ必要がある。指先が砥石に当たり、血まみれになることもよくあった。
  物不足の時代には、いったん彫った石の印面を、1aくらいの幅に切り、できた面に新しいものを彫るといった練習もした。正確に数えたわけではないが、少なく見積もっても数万顆、生涯では10万顆ほど彫ることになるだろう、これが私の強みになっている。
  ようやく一目置かれる50歳を過ぎたころだ。篆刻には人が出る。四絶を学んだかいがあったが、78歳となったいまも、名人といわれた師匠河合章石や、父に一生かなわないと思うのは、印影を取る際のツの技術だ。
  強くおすと朱色部が太くなる。同じ理由で朱肉もわざと古いものを印面に薄く着け、何度も重ねおしするのだ。20年ほど前、父が病に倒れたことで、かねて依頼のあった「橋本關雪印譜」を担当したのを皮切りに、印影をとる仕事が増えたが、消去で私しかいなくなったからだ。

伝統守り時代に対応へ
そのころ、ふとまわりを見渡すと先輩たちがみないなくなっていた。美術展を見にいっても、観客は篆刻のコーナーを素通りしてしまう。これでは伝統が失われる。危機感を持ち弟子を取り始めた。書に始まり漢詩の代わりに俳旬、美術史演習を画の代用として四絶から教え込んでいる。
  ワープロが普及し始めたころ、京都の呉服店でビジネス文書に添える篆刻の注文を受けたことがある。芸術的な印を所有する楽しみもあるだろう。時代の変化に応じた魅力をアピールすることは、後継者の育成と合わせ、私の務めだと考えている。
(みずの・けい=篆刻家・鮟鱇屈主人)
 

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最終更新日 : 2015/02/05    運営管理責任者:小山 登

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