1997年〜現在までの回想録 「MYツリー・常緑樹」その1  




 

 



ご近所のダムの水辺には私がこれまでに、たびたび絵にしてきた一本の常緑樹が立っている。

まるでそれは、自分所有のものであるかのような錯覚すら覚えるほどだ。だから「MYツリー」と

称している。常緑樹と名の付くとおり、この樹は四季を通じて、葉が落ちてしまうことがない。

上の4枚は、全て同じMYツリー・常緑樹なのだが、それぞれ撮影された時期が異なっている。


大きく四季で分けると、左上「春」、右上「夏」、左下「秋」、右下「冬」となる。もちろん、四季ごとに

常緑樹の作品は、ボツ作品も含めて、いろいろと描いてきた。描く題材に困ったときも、とりあえず

ここにやって来ることも多い。今では、「制作の原点」とまで思えるようになっている。なぜ、この

常緑樹を描くことが好きなのか?理由は、大きく分けて2つある。一つは、この一本の常緑樹を

取り囲む周囲が、絵になる条件を満たしているということ。近景、中景、遠景に、異なった要素の

自然が備わっている。近景は、手前の草むらが季節ごとにいろんな表情を見せてくれるし、中景

には、私が大好きな「水」がある。立ち位置を変えれば、中景の山々が、あたかもバック・コーラス

のような役割をして、一本の常緑樹を引き立ててくれるのだ。遠景にはダムの堤防が見え、その

遥か向こうには、遠く2段重ねの山々が、奥行き感をより演出してくれているのもありがたい。

常緑樹を中心にして、立ち位置を変えるだけで、いろんな要素の入った絵がかけることも、

制作に飽きがこない一つの理由になってるかもしれない。理由のもう一つは、この常緑樹の

姿自体に、心惹かれている自分がいるということだ。そもそも、この樹は、四季を通じて枯れる

ことがない「常緑樹」である。どんなに寒い冬の時期であっても、周りの木々が枯れてしまって

いても、この樹だけは、いつも葉が生い茂っている。そんな常緑樹の「逞しさ」に、自分は強く

心惹かれている者である。こんな逞しい人間として、人生を生きていきたいものだなあと常々、

思うのだ。いってみれば、このMYツリー・常緑樹とは、自分の「かくありたい姿」の中の一つの

定義を象徴しているのである。だから、この常緑樹は、自分にとって、単なる絵の「一構成要素」

だけでは、どうしても片付けられない、特別な気持ちが働いているのだ。それを「思い入れ」と

簡単に言ってしまってもよい。おそらく、この一本の常緑樹が、ダムの水辺の、この場所に

存在していなかったら、たとえ、ご近所のダムであっても、描きに来ることは、そう多くなかったと

思う。絵の主役として、引き立っているだけではなく、絵の構図的にも、この常緑樹は、絶妙な

位置に立っているような気がするのである。本当に自分にとっては、ありがたい条件である。

今後も、自分は、ここに来るだろう。この樹を描きたい気分のときにも、もちろん来るし、題材が

なくて、手っ取り早く、何か描きたいときにも来るだろう。そして、絵に行き詰まって、気持ちを

一旦、リセットしたいときにも、きっとここに来るだろう。MYツリー・常緑樹・・・それは私にとって

自然を見つめるための「制作の原点」であり、また自分を見つめるための「精神的な象徴」

なのである。MYツリー・常緑樹よ。今まで、いろんな思い出と、励ましをありがとう。あなたの

その逞しい姿は、間違いなく自分の心の糧になっています。これからもよろしく!






↓以下は、当サイトに現在、展示している「MYツリー・常緑樹」を描いた一覧です。


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1997年油彩画作品「常緑樹・冬」

1998年油彩画作品「常緑樹」


1999年油彩画作品「照景・常緑樹」


2000年油彩画作品「水辺の常緑樹」


2001年パステル・スケッチ作品「常緑樹」


2001年パステル本画作品「水辺の常緑樹」


2002年パステル本画作品「常緑樹」

2002年パステル・スケッチ作品「昼下がりの常緑樹」

2002年パステル・スケッチ作品「夕暮れの常緑樹」

2003年パステル・スケッチ作品「水辺の常緑樹」


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