『週刊金曜日』 1998年12月11日(No.247)号より

貧困なる精神(100)    本多勝一

『南京大虐殺』 のアメリカ合州国版が刊行されることの意味


 どこの国なり民族なりにしても、自分たちの先祖や祖父が侵略や虐殺をしたことを認めたくない心理は共通でしょう。 できれば 「汚くない人々」 の子孫でありたい。これは当たり前です。
 けれども、人類史を何千年もさかのぼって、先祖に 「汚くない人々」 ばかりの民族など、ほとんどありえないでしょう。 問題は、国境や民族や宗教を超えた 「人類」 としての普遍的倫理が、 世界の共通認識となってきた近代以降にあります。それでも侵略・虐殺はつづいたものの、そうしたなかでの 「良識」 の深度がどのくらいかによって、それぞれの国なり民族なりの”民度”がはかられることになります。 その場合の重要な目安の第一は、侵略等に対する事後の反省のありかたであり、 第二は国際性、すなわちその思想なり考え方が国境を越えて指示されるかどうかにあるでしょう。 「日本の現実」 は、この二つの目安からみてどうでしょうか。
 いま小林よしのりという漫画家による 『戦争論』 がベストセラーだとのことです。ということは、 この本が多くの日本人に支持されていることでもありましょう。したがってこの本が、 右の二つの目安にかなうものであれば、日本人の良識も深いことになります。
 小林よしのり氏の作品は、かつて家族ぐるみファンだったこともあり、本誌でも三年前にごく短期間の連載をお願いしました。 この直前に佐高信編集委員と、講演会の帰りの電車で小林よしのり論をしたことがあり、 そのとき私たちは 「彼の才能は大いに評価するが、自分自身の思想がまだなくて、まわりからその場その場で左右される人物だから、 今のうちに <こっちの陣営> に引っぱることが可能かも」 という見解で一致したのでした。
 では、今回の小林よしのり氏の大著はどうでしょうか。多忙で時間がないので、 私は直接取材したことのある南京大虐殺関連のところだけ、この一文を書く前に読んでみました。
 驚いたことに、私自身が槍玉にあげられているのですね。間違いをしない人類は一人たりともいないし、 私も事実の間違いがあれば訂正してきました。で、問題にされている私の場合は、 『中国の旅』 の中の 「日本刀による斬殺」 という説明つきの写真(文庫版232ページ)です。 これは 「着ている服、光の強さ、どう見ても真夏の写真だ」 から、真冬の 「南京大虐殺」 ではない、 と断じています。
 当り前じゃありませんか。これが南京大虐殺当時の写真だなどと、どこに私が書きましたか。 これは南京市当局提供の写真として紹介しているだけで、日本兵による斬殺には違いないでしょう。
 そのほかに 「南京の安全区の中に二万人の国民党軍のゲリラが入りこみ、日本兵に化けて略奪・強姦・放火を繰り返し、 これをすべて日本軍のしわざに見せかけていた」 とか、 要するに南京大虐殺否定派の言説ばかりをとりあげています。その他細かなことは近く特集で指摘しますが、 要するに小林氏はあの 『プライド』 という捏造・改竄(かいざん)・国辱映画の漫画版を描いたのでしょう。
 小林さん。すべての基礎は事実です。私も事実の誤りは訂正しますから、あなたも右の改竄を訂正してくれませんか。 結局、小林さんは 「あっちの陣営」 にころんでしまったのようですね。しかもそれを多数の日本人が支持している。
 このような 「日本の現在」 にあって、私のルポ 『南京大虐殺』 が来春アメリカ合州国で刊行される意味は、 あるていど積極的なものがあるでしょう。以下にその序文を紹介するゆえんです。

『南京大虐殺』 U・S・A版序文 本多勝一

 日本と中国は、すでに1894〜5年に日清戦争をしていますが、その後1931年の 「満州事変」 (中国でいう 「9・18事変」 )で日本は中国の東北地方を侵略し、さらに1937年7月の 「廬溝橋(ろこうきょう)事件」 (中国でいう 「7・7事変」 )で全面戦争に突入します。南京大虐殺は、この全面戦争開始直後、 中国の当時の首都・南京への攻略戦にさいして、日本軍がその進撃の途上から南京占領の前後にかけ、 約三ヶ月間に行った虐殺・放火・強姦・略奪・無差別爆撃などの大暴虐事件(アトロシティーズ)を象徴する言葉です。
 日本の中国や朝鮮侵略は、当時の欧米列強によるアジア諸国侵略・植民地化に対する反撃と 植民地解放を大義名分としていましたが、実態は欧米列強の一員に加わってのアジア侵略でした。 この侵略は、やがて欧米列強との直接衝突へとすすみ、1941年12月8日の日本軍の真珠湾攻撃、 米英への宣戦布告となります。ヨーロッパでのナチ・ドイツによる侵略とともに、第二次世界大戦の勃発です。
 第二次世界大戦は、ヨーロッパではファシズム対反ファシズムという明確な図式の戦争でしたが、 アジアでは欧米に侵略された植民地または半植民地が舞台だったところに、 単純な 「ファシズム」 という図式の成り立たぬ複雑さがあります。このことを論ずる点ではここはありませんが、 私の視点を要約すれば、 「日本はアジア諸国に対して侵略した。しかし欧米列強とは、 かれらの植民地を舞台とする覇権争いである」 ということになりましょう。
 1937年11月から翌年2月にかけての南京大虐殺当時、私はまだ四歳から五歳の幼児でしたから、 もちろん何も知らないし、何の責任もないことです。しかし おとなたちにしても、当時は報道管制によって何も知らされませんでした。 ところが、ドイツと日本の大きな違いなのですが、戦後になってドイツではアウシュビッツその他の戦争犯罪がドイツ人自身によっても明からにされ、 反省され、教科書にも詳述されているのに対し、日本では南京大虐殺のことなど戦後二十余年すぎてもほとんど知らされなかったにです。 ごく一部が東京裁判で明らかにされたものの、これは 「戦勝国による一方的な法定」 とみる人が多いなか、 マスメディアも詳しい報道はしませんでした。まして日本人自身による堀りおこしは全くされず、 ほとんど唯一の例外は洞富雄教授による文献上の研究でした。
 そんな情況でしたから、1971年に私が中国を訪ね、日本軍の足跡(そくせき)を取材して 「中国の旅」 というルポを 『朝日新聞』 に発表したとき、日本でも最も影響力の大きい日刊紙だったせいもあって、全国に轟々たる反響が起きました。 その中の一章に 「南京」 があり、その虐殺の様子があまりに生々しかったので、日本の極右勢力が私をねらうようなり、 さまざまな脅迫をうけました。以後は引越して住所も電話も公開しない生活が現在までつづいています。 「文藝春秋」 などの保守的出版社の雑誌は、二十余年間にわたって私を攻撃しつづけました。私もかれらに対抗して、 さらに南京大虐殺に焦点をしぼった取材を三回にわたってつづけ、それを集大成したルポが本書です(注)。
 では、南京大虐殺当時幼児だった私が、なぜこのような取材に熱中したのか。それは、その前にベトナム戦争を取材したのが動機です。 ベトナムでは米軍に従軍して最前線を何回も取材したほか、さらにその反対側たる解放戦線や北ベトナムにもはいって、 この戦争の実態をつぶさに体験しました。その結果、ベトナムの一般民衆に対する米兵の残酷なやりかたを現場で見て、 強い疑問を覚えたのです。そして考えました。−−− 「日本軍はどうだったのか?」
 これが、中国での日本軍の実態を調査しはじめた動機です。したがって、このルポは中国への謝罪の意味で書いたのではなく、 日本人に事実を報道するために書きました。この当時幼児だった私に虐殺の責任はありませんが、 日本人ジャーナリストとしてこれを放置することには責任があるからです。 そして、謝罪するのは日本政府の問題です。日本の歴史教科書は南京大虐殺をとりあげてこなかったばかりか、 とりあげようとした一部の学者の記述を教科書検定によって削除させたため、日本政府とその著者・家永三郎教授との間で長年にわたる裁判がありました。 判決は家永教授が 「一部勝訴」 だったとはいえ、政府側の全面敗訴とはいえません。
 このたびアメリカ版がでることは、単にアメリカ人に知ってもらうこと以上の意味があります。 残念ながら日本の歴史には、真に人民の力によって国家権力を交替させた例がなく、重大な交替はたいていガイアツ (外圧=外国による圧力)によるものでした。南京大虐殺の記述が日本の教科書にわずかながら出るようになったのも、 中国によるガイアツの結果、しぶしぶと政府が認めたからであって、心から反省したのではなく、ドイツの場合とは全く違います。 したがって、私のルポが外国で広く読まれるならば、それだけガイアツとなり、 それが日本政府および日本の保守勢力の反国際的恥さらしを改めさせることになるでしょう。ということは、 日本人として私はたいへん 「愛国者」 だということにもなります。 これで極右勢力による私への攻撃がまたひどくなるかもしれないにせよ。

1998年11月5日
日本軍杭州湾上陸六一周年の日に


(注)朝日文庫版 『南京への道』 は第一回取材のルポだが、英訳版のもとたる去年刊行の 『南京大虐殺』 (朝日新聞社・四六版二段組412ページ)は、三回取材分全体のルポ。アメリカ 版は The Nanjing Massacre:M.E.SHARPE INC,New York,


(Webサイト作成者より)
※本文のHTML化にあたって、日付の表記を算用数字にするなど、若干の変更を加えております。
※アマゾン・ドット・コムによる『南京大虐殺』イギリス語版の紹介は こちらです。

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