『週刊金曜日』 2000年6月2日(No.317)号より

貧困なる精神(119)    本多勝一

北股岳(飯豊連峰)へのスキー登山(上)


一昨年の本誌219・220両号(5月22日・29日)で、「飯豊山(いいでさん)へ自然スキーに」と題して連休のスキー登山記を書いた。あのときは悪天候のためもあって頂上から滑降することができなかったし、仮に登頂したとしても異例に雪の少ない年だったから、快適な滑降はとてもできなかっただろう。
 今年は例年以上に雪が多い。捲土重来の機を逃がさざるべからず、こんども五月連休に再び飯豊連峰の北股岳(2025メートル)をめざした。
 5月3日夜のうちに喜多方市に来ていた私たちは、4日午前5時ごろ車二台で出発して飯豊連峰の山形県側へまわる。玉川ぞいに遡行(そこう)して長者原(ちょうじゃがはら)に駐車、歩きだしたのは午前8時ごろだ。
 雪の多い今年は、ここからスキーをはいて登れるかと期待していたが、残念ながら車道がこま切れに露出している上に、なだれによるデブリにいたるところ遮られていて、これではスキーを担ぐほかはない。登山スキー兼用靴は、どちらかといえばスキーに適しているので、スキーをはかずに長時間歩くのは楽しくない。全面が雪におおわれてスキーをはけるのは、二時間以上歩いて天狗原から上になる。おまけに小雨も降っている。今日の幕営(ばくえい)予定地たる石転び沢・門内沢出合いまでの登りは雨でもがまんするが、肝心の明日も雨だったら沈澱(ちんでん)(行動せず停滞すること)してでも晴天を待つつもりだ。
 それでも花ざかりのミズバショウ群落に見とれ、新緑に萌(も)えはじめたばかりのブナ林からヒガラやウグイスの囀(さえず)りがきこえてくると、売国的ニセ右翼や文筆ストーカーらの攻撃に起因するストレスが雲散霧消していくのである。ミソサザイも派手に歓喜の曲を奏でつづけている。
 天狗平の飯豊山荘に午前10時ごろ着くと、まるで私たちの登行中は遠慮してくれていたかのように、スコールを思わせるような豪雨が襲ってきた。無人の山荘の、コンクリートの床下みたいな空間で、雨やどりしながらの早い昼食にした。ガスコンロで湯をわかしてコーヒーやお茶も。
「私たち」とは、一昨年も一緒だった佐藤和典氏(大和川酒造の工場長)と、佐藤氏の属する地元の「エーデルワイス山岳会」(注)の四人のほか、大学の山岳部と探検部、それにヒマラヤでも私と一緒だった沖津文雄君(鎌倉市)の計七人である。今夜の幕営地まではみんな一緒だが、明日は岩場組とスキー滑降組にわかれて北股岳頂上をめざす。スキー滑降組は佐藤・沖津・高橋幹雄の三氏と私の四人、
石転び沢と門内沢にはさまれた幸七尾根の岩場を登るのは真鍋守男・荻原益吉・滝原富士男の三氏だ。したがって岩登り組はスキーを持たず、今回は次の週末に予定している槍ヶ岳北鎌尾根登高のための足ならしも兼ねている。
 一時間余りすると雨も小降りになってきたので出発する。滑降組はスキーをはいた。ここまで来るとブナ林の新緑もまだほんの芽吹いたばかり、そんな中からヒガラにまじつてヤマガラの悠長な囀りがきこえてくる。でも「悠長」と感じるのは人間の勝手で、ヤマガラときたらヒガラやシジュウカラ・コガラなどカラ類の中で一番の暴れん坊なのだ。キツツキの仲間らしい一声も鋭く響く。
 積雪量の多い今春は、ブナの根元のまわりだけ融(と)けてできる穴も深い。この地方で「根開き(ねびらき)」とよぶことを佐藤氏に教えられた。いい言葉だ。全国にたくさんあるこうした生活語(いわゆる方言)は、幅広い日本語としてどんどん一般化すべきであろう。私の夢のひとつは、これらを網羅する真の日本語大辞典(事典ではない) の刊行である。一般の辞典は日本語の中の一部たる”標準語辞典”にすぎまい。
 温身平(ぬくみだいら)から玉川を離れて梅花皮(かいらぎ)沢にはいる。ダムを越えるところだけスキーを脱いだ。沢の全面が雪でおおわれる標高550メートルあたりまでは、ほぼ夏道ぞいに登る。雪の上に散らばるウサギの糞をみて、真鍋氏が「糞があってもウサギの姿をまるで見ない。昔はよく見たんですがね」と言う。全国的にノウサギが減ったことは、どこの山へ行っても新雪の上の足跡が非常に少ない点からも明らかだ。(つづく)

写真掘影/筆者
<注>「エーデルワイス」を冠した山岳会は多いが、1950年創立の喜多方市の場合が最も古いと考えられている。


(Webサイト作成者より)
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