『週刊金曜日』 2000年6月9日(No.318)号より

貧困なる精神(120)    本多勝一

北股岳(飯豊連峰)へのスキー登山(下)


 地竹沢あたりに雪面を割って沢の水が流れ落ちている急斜面があり、スキーを脱いで渡ると小さな河岸段丘状の台地に出る。梅花皮(かいらぎ)沢はこのあたりから全面が雪で埋もれているので、台地から高度差30メートルほど下の谷底に降りた。この斜面の一角に地面の出ている小さな草地があって、イワウチワが喜ばしげに咲いている。一昨年は同じ季節でも雪どけの後だったから花が多かったが、今年はほとんどがまだ雪の下だ。
 小雨が降ったりやんだりの梅花皮沢は、上の方がガス(霧)にかくれているものの、両側の尾根の七、八合目くらいまで見通しがきく。表層なだれの多発する時期はむろん過ぎているが、小規模な底なだれが中腹から落ちてきた所もあって、土でよごれた直径二メートルほどの雪玉もころがっている。
「カモシカの死体、写真とりましたか?」と真鍋氏が言った。気付かなかったと答えると、「あれ、すぐそばを通ったから気付いているものと思いこんでいたのに・・・・・」
 まだ新しい感じの死体だったという。なだれに巻きこまれたか、あるいは自分がなだれを起こしたのだろうか。
 谷の上から三人のパーティがおりてきた。主稜からの下山者かと思ったら、私たちより先に登っていて、この少し上にテントを張ったが、雨つづきだからいったん下るという。なるほど右手(左岸)の一隅にテントが見える。
 幕営(ばくえい)予定地たる石転び沢・門内沢出合いに午後三時ごろ着いて、小雨のなかでテントを張る。エーデルワイス山岳会の10人用テントで、ひろびろとして居心地がいい。石転び沢から単独行者がおりてきて、右岸ぞいに下っていった。
 少し早いが、四時ごろから夕食の「大宴会」となった。佐藤氏が米を洗いながら、会津のコシヒカリによる鮨米だという。用意してきた人参・牛蒡(ごぼう)・椎茸(しいたけ)・海苔(のり)・筍の微塵切り(みじんぎり)をこれに加えてまぜ飯にする。飯を炊きながら、さあ「大宴会」の核としての酒、とびきりうまい日本酒の饗宴だ。
 なぜ「とびきり」か。それは、年に一度の国税庁による全国鑑評会への出品酒を、その工場長たる佐藤氏がかついできたからである。すでに何度か金賞の実績があるが、今年の鑑評会と発表は今日から12日後の5月14日に広島市で開催される。この出品酒には酒米用の稲から酵母の種類はもちろん、その酒蔵のすべてを賭した最高の技術が競われる。原価も当然高くなるから、そんな樽はせいぜい一つか二つ。しかも同じ樽の中でも、特別うまい部分は一升びんにして約30本(三斗)である。そのうち20本が出品されるから、残りは10本しかない。今日ここに持ってきた「とびきり」のそれは、約三合である。ほかに生酒(本醸造)と純米吟醸(精米50%以下)。いずれも「とびきり」に次ぐうまい酒だ。以上三種の合計3リットル。これは量的にも「かなり」なものである。よくこんなに担いできましたね。
 ほかの饗宴も挙げておこう。無農薬や「有機」にこだわる荻原氏が準備したのは、おでん(卵・竹輪・玉蒟蒻(こんにゃく)・大根・椎茸・昆布・凍豆腐(しみどうふ)・薩摩揚げ)をはじめとして鰊の山椒づけ、胡麻煎餅(ごませんべい)、チ−ズ各種、霞ケ浦の佃煮セット(蝦(えび)・鮒(ふな)・公魚(わかさぎ)・昆布)、さらに蕗(ふき)料理三種(蕗みそ・蕗しらす・絹ごし胡麻あえ)など。
 テントの中の大宴会は、「とびきり」うまい酒の「かなり」な量で たけなわとなり、痛快な話題や世相批判で盛り上る。高橋氏は雨で下着がぬれて意気消沈していたが、滝原氏から新品を借りて着がえると急に元気が出てきた。着がえでヌードになったとき、寒さでこごえた結果として はせ(注)が蚕(かいこ)の蛹(さなぎ)みたいに」縮こまったと形容した。うーん、懐かしく思いだすなあ。伊那谷の養蚕地帯たる私の村の少年時代、冬の山野で遊びまわっていると、寒さで はせが体内にひっこんでしまい、皮だけ表面に残ると「蚕の蛹みたいに」なる。蛹には「ヒビ」という一次名詞の生活語(方言)があるので、子ども社会でこれを「ヒビちんぼ」と呼んでいた。「そのヒビのちょっと前くらいまでの縮まり具合」と高橋氏が言って笑わせる。
 シドニー=オリンピックのための選手えらびが批判の対象になった。水連や陸連の基準が不透明だ。実力と無関係に、人格だの役員の好みだので選ばれているのではないか。千葉すず選手が怒って提訴したのも尤もだ。・・・・・ここにも「日本的」なものが現れているのであろう。
 テントをたたいていた小雨がやんだらしい。なだれの音がするので外をのぞくと、門内沢の左岸から小さなデブリが成長しつつある。前からのなだれルートぞいのもので、むろん心配ない。
 夜のとばりに包まれるころから、たけなわの宴は歌の競演に移行する。エーデルワイス山岳会の歌『ピッケルの嘆き』も初めて聞いた。創立時の会長・関本敏氏(故人)による作詞で、公刊された「山の歌集」の類にも収録されている。佐藤氏もいうように、これはかなりの傑作ではなかろうか。
 5月5日。午前5時に起きてみると、しめた、快晴だ。主稜線はまだガスの中だが、紺碧の空は今日の良き登高びよりを約束している。沖津君は「晴れ男」だそうで、今回も天気予報より頼りになりそうだ。
 キツネなどに荒されないようにテントを閉めてから、岩場組三人は幸七尾根へ、私たちスキー組四人は石転び沢へ。急な斜面になるまではシールをきかせてスキーで登る。幸七尾根のほうからカヤクグリの囀り(さえずり)とカケスの叫び声。
 石転び沢は、夏の雪渓だとその名のとおり石がよく落ちてくるのに要注意だが、今は石よりもなだれがまだ落ちてくる。昨日の雨も八合目あたりから上は雪だったらしい。すでに左岸の上部から幅広く、右岸からも一筋、表層なだれが谷底まで達して流れ下っている。しかし情況から判断すると、今日これから新しく表層なだれが襲ってくる可能性は少ないであろう。その表層なだれの外側をひたすら登ってゆく。
 主稜線を包んでいたガスも晴れ上り、北股岳と梅花皮岳の間のめざす鞍部(あんぶ)が朝日で真っ白に輝く。
 幸七尾根の上空にワシタカ科の一羽が帆翔(はんしょう)しているが、イヌワシなのかどうか、大空間の中では相対的な大きさがよく把握できない。その下の尾根から「ヤッホー」が聞こえ、岩場組の三人の姿が見えた。
 標高1750メートル付近から斜面が急になり、スキーの締具の踵(かかと)を調節しても追いつかないので、大休止して腹ごしらえののちにここからは担いで登る。表層なだれのデブリもこのあたりまでだ。一行で一番若い佐藤氏(42歳)が、さすがに早い足どりで急斜面の雪にステップを踏み込んでゆく。九合目からの最大斜面は、これ以上急になったら底なだれになるだろうと思われるくらいだが、斜度は40度弱だろうか。北股岳よりの主稜からは雪庇(せっぴ)が張り出している。
 五時間以上の登りと急斜面にあえぎあえぎ、ほとんど十数歩ごとに一息入れながら、鞍部の梅花皮小屋にたどりつく。泊まっていた登山者が三、四人。風でとばされて雪が薄いため早く融けて地表の出たところに、イワヒバリが数羽来て何かついばんでいる。
 ここで中食のあと、稜線づたいに北股岳頂上まで最後の登りだ。高度がせり上がるにつれて、後方に主稜上の烏帽子(えぼし)・御西岳・飯豊本山などが見えるようになる。少しガスがかかっていた最高峰の大日岳(2128メートル)もすっかり姿を現した。
 頂上には午後一時近くに着き、登頂を祝って握手をかわす。岩場組は先に登頂して下山したらしい。ここも強風に雪がとばされるので、三角点や桐などがすっかり出ている。そのかわり稜線の東側はひと冬分の雪がつもりつもって膨大な量が蓄積され、斜面を埋めて垂直の雪の壁になったり、雪庇となってせり出したり。
 そのような状態の主稜線ぞいに、まず門内岳との鞍部付近へと、いざ滑降開始だ。シールをはずして、とやりたいところだが、滑降斜面は東側に蓄積したせまい雪なので、どこからが雪庇またはくずれやすいところか分かりにくい。沖津君と私は念のためシールをつけたまま直滑降に近い角度でくだる。それでもテレマークスキーの佐藤氏はシールをはずしてスイスイ回転していった。
 さて、いよいよ門内沢への滑降だ。が、石転び沢よりいくぶん傾斜がゆるいとは申せ、これはかなり”絶壁”に近くて下が見えないほどである。恐る恐る少し下ってみると、谷底まで見えるようになったものの、上部のかなりの部分は長大な急斜面だ。ここはなだれの危険がないことは分かっているし、凍結してもいないけれど、急斜面の規模の大きさが圧倒的に追ってくるのだろう。いささかおじけづいていると、まずテレマークの佐藤氏が先頭切ってくだっていった。広大な斜面に斜滑降の延々たるシュプール。さすがにこの急斜面での回転は冒険スキーヤーでなければ困難なので、キックターンでまた延々と斜滑降。高橋氏もそれにつづく。おじけづいていた沖津君と私は、まだシールをつけたまま少しすべってみたが、これは変につまずくような感覚でかえって不気味だ。で、私たちもシールをはずして、いざいざ大斜面の戦慄(せんりつ)すべき滑降なのだ!
 とはいうものの、やはりしばらくは延々たる斜滑降とキックターンのくりかえしである。凍結していなくても、ここで転倒すると相当長距離の滑落を覚悟しなければならないので、キックターンも慎重に。斜滑降のスキーで雪面が破れて、雪片が次々と谷底へ流れ落ちてゆく。あたかも小規模な表層なだれみたいに見えることもあるが、もちろんこれはなだれではなく、連続雪片の滑落に過ぎない。
 しばらくすると回転可能な斜面となり、佐藤氏も高橋氏も「飛鳥のごとく」下っていった。山スキー最高のひとときへと、私たちもそれにつづく。オリリオリリオリリオー、オレオレオレオレリーラリリーラリリーッ(これはヨーデル)。門内沢のこの雄大な斜面は、日本の山スキーの舞台の中でも有数のものではなかろうか。梅花皮沢ごしの彼方(かなた)には朝日連峰や蔵王の山々が重畳とつづく。あんまり早く下ってはもったいないので、しばし立ち止まってこの「最高のひととき」を満喫し、歓声をかわしあい、また山スキー交響曲の次の楽章へと身をゆだねていく。
 テント場へ滑り込んだのは午後一時半すぎであった。

<注>「はせ」は男根の日本語(やまとことば)。対する女陰のそれは「ほと」、保土ヶ谷の保土。


(Webサイト作成者より)
※本文のHTML化にあたって、日付の表記を算用数字にするなど、若干の変更を加えております。

「貧困なる精神」 索引へ