『週刊金曜日』 2000年7月21日 (No.324) 号より

貧困なる精神(122)    対談 伊藤千尋・本多勝一

日本に真のジャーナリズムを創るために (上)


〔はじめに〕 ジャーナリスト関係の組織や個人が、現在のジャーナリズム不在マスコミ (情報商売) を強く批判しつづけているけれど、そんなことでマスコミが変わるような情況ではない。 批判の段階はとっくに過ぎて、もう聞きあきている。もはや実践あるのみ。 この問題意識を共有する現役記者として、伊藤千尋氏  ( 『朝日新聞』 外報部) に対話をお願いした。この対話は、近く本誌で伊藤氏が連載する 「ハンギョレ新聞はいかに創られたか」 (仮題)  の″序曲″でもある。

本多 伊藤さんが 『アジア記者クラブ通信』 (注1)  の新年号巻頭で書かれている内容にまったく同感でして、これをさらにつっこんだお話を開きたいと思います。この中で、ジャーナリストとはそもそも革命家だ、大いに叫ぼうとおっしゃっているので、俺も賛同して叫びたいわけです。
 去年の国会は俺も戦後最悪だと思っていますけど、伊藤さんはこの中で、 「猛獣を放置するような行為を許した点で、99年日本のジャーナリストは罵倒されていい。大いに反省すべきだ。だが、ただ嘆いている場合ではない。反撃が必要だ」 と書かれた。そこでまず、今のマスコミの現状をどんなふうに捉えていらっしやるかを……。

ペルー日本大使公邸占拠事件の報道

伊藤 ちょっと古いけれども、ペルーで日本大使公邸占拠人質事件がありました。あのときの取材ぶりを思い起こしてみるとわかりやすいと思います。
 あのときは127日にわたって、テレビは朝から晩まで、新聞は朝刊と夕刊の一面から社会面まで、連日これでもかとばかり報道しましたね。だから、ものすごい量の報道が流れた。
 ところが、あの事件で何が人々の印象に残っているかというと、最後に軍が突入して、映画みたいな銃撃戦があったことがひとつ。
本多 それでみんな殺してしまった。
伊藤 それから、シプリアーニ大司教がゴロゴロと荷物を引いて毎日、邸内に入っていったこと。
本多 交渉にいった。
伊藤 その二つの風景しか覚えていないと思うんです。なぜあの事件が起きたのか。そもそもゲリラがなぜペルーに存在するのか。なぜ彼らは武装蜂起したのか。そういう背景がほとんど何も理解されてない。
 もちろん、その説明も報道されてはいたけど、流れた情報の総量からすれば本当にごく一部だった。だから目立たなかった。それ以外の、どうでもいいような報道がものすごく多かった。
本多 相対的に埋没してしまった。
伊藤 さらに、投降したゲリラを殺したのは完全に国際法違反ですね。それも曖昧なままになっている。
 ということで、当時一年の三分の一にわたって日本を騒がした事件なのに、なぜ起きたのか、どうなってしまったのか。そもそもの最初から結末に至るまで、何だったのかがちゃんと捉えられていません。なぜなのか。
 理由の一つは、あのときの報道の仕方が実況中継だったことです。 「何時何分。シブリアーニ大司教が入りました」 「赤十字が何を差し入れました」 。そんなことはどうでもいいじゃないですか。その結果、本当に知られるべき報道が埋もれてしまった。
 これが象徴しているように、今のあらゆる報道が実況中枢になっていますね。 「今こうなっています」 「こうしています」 と。
 ジャーナリストというのは、本来、社会をよくする革命家であるべきだと思います。 「今こうなっている」 というだけの報道ではだめでしょう。なぜそうなっているのか。ではどうしたらいいのか、というところまで考える材料を提供しないと、ジャーナリストとはいえないと思うんです。
本多 表面的な 「今こうなっている」 だけなら、だれが言ってもいいので、ジャーナリストである必要がない。
伊藤 専門家でなくても、アルバイト学生でもつとまりますね。見たことを右から左に伝えるのがジャーナリストと思って、実況しかやってない。取材する当人がジャーナリストというものをわかってないんじゃないか。ペルーに行ったのはほとんどが中堅の記者です。しかも1社あたり10人ぐらい、カメラマンも5人ぐらいいたのだから、各社15人ぐらい張りつけていたんですが、それでもそうなってしまった。
 取材のときによく 「記者は事実を報道する」 といわれるけど、事実を報道して、そのうえに立って 「ではよりよい社会のためにどうしたらいいのか」 という、方向性まで示さなければね。そのためには、なぜその事件が起きたのか、事件を生み出す原因をなくすためにはどうすべきかまで取材しないと。
本多 実は 「事実」 さえ報道していません。実況放送だとしても、その中でもまた一方的かつ表面的な事実だけだった。というのは、あのときテレビ朝日の人見剛史カメラマンがゲリラのいる中へ入っていって非難されたけど、俺があそこにおったら彼と同じように入っていくね。入っていって、それこそ中の状況をどんどん実況放送すれば (書けば) いい。そこまでいかないで、それどころか取材して出てきた記者をぶったたくだけ。あれはひどい話ですね。逆に賞賛すべきだよ (注2) 。
伊藤 その点でもう一ついうと、本来なにか対立する両者がいたら、両方から話を聞くということはものすごく当たり前の話ですね。
本多 実に初歩的な大原則でしょう。
伊藤 それさえペルーのときはやってないわけです。フジモリ側つまり政府側の言い分のみを載せてしまって、ゲリラ倒を何も取材してない。取材しようとする努力をしてないんです。ゲリラ側も積極的に取材したのは共同通信のカメラマン原田浩司君とテレ朝の人見君だけだった。この二人は大したもんです。彼と人見記者以外は努力してない。これは取材の原則にもとる行為ですね。
本多 新聞社に入って最初に教えられた原則なのにね。

ペルー日本大使館公邸占拠人質事件で軍の突入による爆発で煙りを上げる建物
1997年4月22日 (写真提供/毎日新聞社)

伊藤 これもまた言えると思うけど、今の取材者の多くは広報マンになっています。政府とか企業とか、要するに体制、つまりエスタブリッシュされた側の話だけを載せる。ほとんど広報紙です。テレビでも新聞でも、体制の声がそのままマスコミに流れている。新聞を見て最近思うのは、昔よりもはるかにお役所発表が多い。
本多 多い、多い。原寿准さんも言っているように、新聞全体の面積を調べると、体制側のものが八割とか九割とか。だから市民運動とか共産党・社民党などの発信なんかまるで出てこない。
伊藤 要するに体制側の広報の仕事を、マスコミという私企業が代わってやってあげているという感じですから、こうなるとジャーナリストどころではない。みんなが電通になっている。
本多 NHKのニュースなんか新聞以上に政権広報の 「君が代放送局」 だしね。このごろ 「考えを示した」 という表現が多いのも、江戸時代の殿様や奉行の考えを掲示する感覚だ。

少なすぎるホンモノ記者

本多 たしかに、ペルーの日本大使公邸占拠事件を一つのケースと見ていくと、ほかもみんな当てはまります。
伊藤 あのときペルーで取材した何百人もの記者の中で、記者の原則を貫いたのはほんの少数だった。もちろんみんな 「やりたかったけれどもできなかった」 とかいろいろ弁解は言いますよ。
本多 それならテレ朝のカメラマンなんかを後でけなさなければいいのに。ハッキリ言えば自分が無能でできなかったんでしょう。
伊藤 原田君に聞いてみたら、やっぱり周到な準備をやっているんです。まず、中にいるゲリラとうまく連絡をつけなければいけない。考えた末に、赤十字が食糧を運び込む荷物の中に手紙を入れた。検査されて見つかるかと思ったけど、すっと通ってしまった。南米というところはアバウトだから。数時間後に 「共同通信進入可」 という垂れ幕が公邸に張り出されて、手紙が届いたのがわかった。
 次にこっち側、政府軍の警戒をくぐるための方法を考えて、ペルー政府に 「せめて近寄って写真ぐらい撮らせてくれ」 という運動をカメラマン仲間みんなでやって、門の前まで行くのはOKだという許可を取った。その機会に 「入ろう」 と彼は実行を決める。
 各社一人、計五人ずつぐらいの集団で、門まで来て、撮って帰って、はい次の集団、という感じでした。彼は三番目の集団だったかな。みんなは門のところでとまって、さあ撮ろうとしたときに、彼だけすたすたと歩いていった。彼はそのときに、本当に撃たれるかもしれないと思って、頭が真っ白になっていたと言います。


「共同通信」 と書かれた紙を掲げ日本大使館公邸に向かう 原田浩司写真記者
1996年12月31日 (写真提供/ロイター=共同)

 おもしろいのは、一緒にいた他紙の連中も彼の後からわっと付いてきている。このへんは根性というか、一人の抜け駆けは許さんぞというか、一人が前に出ると他の人も危険性を忘れて思わず積極的になるんですね。これはいい。だから四、五人も一緒に入って公邸の中の取材をした (注3) 。
 原田君は長時間ねばっていろんな写真を撮ったのだけど、出てきたとき政府軍にフィルムを没収されるかもしれないと思った。だからどうでもいいようなフィルムをカメラの中に入れて、貴重なものは靴下に入れて、その上から無理やり靴を履いた。さらにいちばん大切な、これだけは絶対に取られまいと思ったものは、コンドームに入れてお尻の穴に隠した。
本多 そこまでやったの。それは大したものだ。
伊藤 だから今の日本のジャーナリストも捨てたもんじゃない。こういう記者がいるんだ、これはすごい。
本多 よく肛門に入ったね (笑) 。
伊藤 本当に大変だったと思うんです。そこまでやっている記者がいるのだから、他の人は言い訳できない。
 普段の取材でも、みんな原則は一応知っているわけです。事実を取材するんだ、両方の側から聞くんだと。ところが、今はこういう状況なのだから体制側しか聞けないと諦めてしまって、別の手段を考えようという一人ひとりの努力が全然足りない。
本多 足りないね。やる気がない。
伊藤 やろうと思えばできるのだから、少なくともやろうとしてみろよ。
本多 意志があれば道は開ける。
伊藤 取材の態勢が悪いということもあるだろうけれども、それ以前に、その中に安住している一人ひとりの問題ですね。自分で改善していく余地がいっぱいある。絶えず弁解ばかりしていて、本当に伝えるべきことを伝えようとしていません。それで結局、安易な広報マンに成り下がってしまっている。
本多 自分の例で恐縮ですが、ベトナム戦争当時より堕落しているのではないか。あのころたとえば解放戦線側の取材に各社ともしのぎを削って競争していたから、あらゆる手段を考えた。結局、組織の中央よりもメコンデルタの現場へ行って末端と交渉した俺の成功になったわけだけど、少なくともみんなやろうとしていた。

「情報商売」 の会社員

伊藤 もう一つは、社内討論の問題がありますね。記事を書いて出したとき、 「それはちょっと」 と上司から言われることがあるじゃないですか。すると今の記者はすぐに引き下がってしまうんです。闘わない。その後は 「言ってもだめだ」 と自粛してしまう。
 昔は、社内でデスクとのやりとりをやって、喧嘩までして意を通すとか、あるいは五〇%ぐらいは通すとか、そんなことがよくあった。
本多 さんざんやったね。
伊藤 今は社内討論がありません。そのへんが、昔の社内の雰囲気と今との違い。
本多 それは驚きですね。その通りなら確かに変わったといえますね。俺の田中角栄選挙区のルポなんか、俺を毛嫌いしていた当時の佐伯晋デスク (現在、テレビ朝日役員) が、どうしても出そうとしなかったから、原稿を取り返して別の坂本龍彦デスクに渡して陽の目を見た (注4) 。
伊藤 なぜものすごく変わったかというと、一人ひとりの記者がおとなしくなってしまった。みんな坊ちゃんですよ。とはいえ、入社してくるときに、自分はジャーナリストになるんだという使命感は、むしろ昔よりあると思うんです。というのは、ぼくだって、ジャーナリストをやるんだとは思っても、何かものすごい使命感をもっていたわけではなかった。本多さんも書いていらしたけど  (注5) 。
本多 学生時代に伊藤さんは 「探検隊」 を組織して出かけたし、俺も 「探検部」 なんか創ってヒマラヤヘ行ったりしていた程度ですからね (笑) 。
伊藤 今はむしみ観念が先立ってしまって、こうあらねばならないと思って入社する。しかし、現実にやらされるのは 「サツ回り」 で、なんで俺はこんなことをやらなければいけないのかと疑問を感じて、すぐに壁にぶち当たる。最初に思っていた自分の観念的な理想と、現実に自分がやっていることとのギャップがあまりに大きすぎて、挫折してしまう。生真面目すぎると会社を辞めるか、自殺するか。
本多 俺もサツ回りを何年もやってうんざりしたけど、しかし、自殺がかなりあるんですか。
伊藤 かなりかどうか。数年前、ぼくが川崎の支局長をやったときに、横浜支局のサツ回りが自数してしまった。だからそういうふうになるか。あとは、もうこんなもんなんだと。
本多 あきらめか。
伊藤 自分の理想が違っていたんだとすぐに諦めて、ほいほいと会社員になってしまう。だから、ジャーナリストになろうと観念的に思っている人ほど、すんなり会社員に移行する。ジャーナリストと会社員とは違うじゃないですか。ほくが日ごろ言っているのは、 「本業ジャーナリスト、副業会社員」 であれということです。朝日新聞だの読売新聞に入ったからといって、そのままジャーナリストではありませんね。自覚がなければただの会社員。
本多 要するに情報商売・情報産業の会社員であって、それだけではジャーナリストではない。
伊藤 その自覚が全くない。会社に入ってみると、理想とは違う。違うとわかったときに、ではどうするか。いかにそういう中で周りを変えていくか。あるいは、とりあえず自分の記事を100載せられないにしても、80ぐらい載せる努力、そういうものの積み重ねです。それによって自分もまた強くなる。会社も変わっていきますね。そういう日ごろの努力が全くない。

ルポがなくなった

本多  「変わった」 といえばいろいろあるのだけど、たとえば昔、といってもそれほどの大昔でもないのだけど、よくルポがでましたよ。現場のルポが。大事件があったら、必ず現場のルポを、いわゆる大記者が行って書きました。疋田桂一郎 (ひきた けいいちろう) さんとかね。俺も疋田記者に学んで書いたけれども、そういうのがなくなっちゃった。たとえば阪神・淡路大震災のときだって、印象に残る現湯の大ルポがなかったでしょう。
伊藤 紙面でいうと、ルポが本当に少なくなってしまいました。
本多 あれは会社の方針ですか。
伊藤 いや、方針じゃない。
本多 あれは不思議だな。昔、俺が入社したすぐのころは、社会面は一ページだけですよ。それでも、そんな一ページの社会面の三分の二ぐらいをつぶして、ばーんと疋田さんのルポが出ることがありました。
伊藤 ありました、ありました。
本多 で、第二社会面ができたでしょう。この一ページを丸ごと一つのルポで使うことはしょっちゅうありましたね。それから今度は、さらにルポのために別の新しいページができました。 「月曜ルポ」 だの 「検証」 ページだの。
 ところが、新聞のページは最近になるほど増えているけれども、反比例してルポが減るという、あれはどういうことなんですかね。
伊藤 国際面もそうです。ルポがどんどん少なくなっているんです。
本多 なんでだろう。どうも政策的なものがあるのかなと思っているのだけど。ルポを書くと、どうしても生の反体制的事実が出やすいから押さえてやれという、あれかな。
伊藤 政策というのはどうかな。おもしろいルポだったら載ると思うけど。
本多 商売としても売り物になる。
伊藤 ということは、おもしろいルポが書けなくなってしまったのかな。
本多 政策じゃないんですか。だってルポの舞台たるそのページ自身を減らしたじゃないですか。どうですか、いま社内にいる現役として。
伊藤 少なくともルポをなくせというような話はない。
本多 そうすると書ける記者がいなくなったのかな。育てようとしないことはあるかもしれませんね。
伊藤 育てようとはしていない。編集委員を育てようとか、大記者を育てようとか口では言ってますけど、やっていることは全然違う。書ける大記者を育てようと言いつつ、大記者を年俸制にする話が出ると局次長が 「年俸制でどれぐらい給料をやるのか」 と聞いて、 「なんだ、俺より多いじゃないか、おかしいじゃないか」 と怒る (笑) 。
本多 局次長なんか問題外、社長より多い記者がおっていい。げんに戦前はおったことが社史にも出てきます。余談だけれど 『週刊金曜日』 には代表取締役や現役社長より月給の高い例が珍しくありません。もちろん全体が朝日なんかより低いけれど。
伊藤 会社機構がどんどん官僚機構になってきているのも原因の一つでしょうね。ただ、では現実に社是としてルポを載せないのかというと、そんなことは全然ないと思う。ルポがこれだけなくなると、書くほうは自分が書かなくなってしまう。記事とはこういうものだと……。
本多 思ってしまう?
伊藤 ええ。だれかの発表を聞いて書くものとか、あるいは、首相など 「エライ」 人にインタビューするものが記事だと思いこんでしまう。
本多 そうすると、会社の方針や政策よりも記者の個人的資質の問題?
伊藤 そっちのほうだと思いますよ。
本多 そうなら、深刻ですね。方針や政策ならそれを変えればいいのだけど。
伊藤 ただ、記者の資質だったら本人が変わればいいわけでしょう。
本多 理屈としてはそうだけど・・・・・。
伊藤 むしろ簡単です。
本多 でも個人の資質や意識は、よほどのことがないと変わらんものですよ。
伊藤 それはそうですが、毎日二四時間張りつめてピリピリしたジャーナリストをやるという生き方はなかなかできませんよね。だから何も考えなかったら、そのままずるずるいってしまう。その要素がすごく大きい。でも、一人ひとりが、俺はいったい何なんだろうかと一週間に一遍ぐらい考え直せば、だいぶ違ってくる。  (次号につづく)


<注1>  『アジア記者クラブ通信』 は月刊で年間購読費 3000円 (郵便振替 00180−4−709267 アジア記者クラブ、会員になるには年間 5000円) 。事務局は〒162−0052 東京都新宿区戸山 2−20−511 (TEL FAX 03−3240−2301    Mail apc@cup.com    URL http://apc.cup.com/
<注2> この問題については 「ペルー日本大使公邸の 『現場』 」 と題して当時書いた一文が、本多勝一著 『民族と国家、そして地球=貧困なる精神・M集』 (朝日新聞社) に収録されている。
<注3> このとき一緒に入った四、五人は事前にゲリラ側の了解がなかったので、共同会見のあと出された。
<注4> 田中角栄の選挙区ルポは、 『朝日新聞』 1976年12月7日夕刊 (統合版は同 8日付朝刊) に発表されたが、さらに加筆された長編ルポは 「田中角栄を圧勝させた例の心理と論理」 として本多勝一著 『美しかりし日本列島』 (朝日新聞社) に収録。
<注5> 本多勝一着 『ジャーナリスト』 収録の 「職業としての新聞記者」 第一章 「新聞記者になることの意味」 で評述。

いとう ちひろ・ 『朝日新聞』 外報部。
ほんだ かついち・本誌編集委員。


(Webサイト作成者より)
※本文のHTML化にあたって、日付の表記を算用数字にするなど、若干の変更を加えております。

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