『週刊金曜日』 2000年7月28日 (No.325) 号より

貧困なる精神(123)    対談 伊藤千尋・本多勝一

日本に真のジャーナリズムを創るために (下)


本多 ジャーナリズムを変革するには記者個人個人の意識も重要なことを伊藤さんが前回強調しました。
伊藤 本来なら果敢であるべきジャーナリストが、みんな今すごく縮こまっていますね。社会全体が縮こまっていることもあるけれど、こういう中で、特に新聞記者やテレビ記者は、 「これしかできない」 みたいなあきらめ感のようなものがある。でも、 「ちょっと待てよ、何かやれるんじゃないか」 と考え直せば、できることが見えてくるんじゃないか。
本多 問題は 「考え直す」 かどうか。

真の 「特ダネ」 とは

伊藤 ともかくその努力をしてないわけだから、とりあえずやってみたらうまく行く面がいくらでもあると思うんです。その努力をやってない。みんなやってないものだから・・・・・・。
本多  「こんなものだ」 と思ってしまう。でも日刊紙の場合、日々のことで追われているとずるずるいってしまうから、ホームランバッターを考えたらいい。つまり 「日々の雑報」 はさぼっておく。もちろんルーチンの仕事は最低限やるんだけど、これだと思うアイディア、それに主力エネルギーを集中する。警察でいえば、刑事と親しくなるなんていう、そんなものは本当の特ダネではない。俺も駆け出しのころそれで苦労したけど、考えてみるとその結果としての特ダネなんて、実は大したことじゃない。いずれは表ザタになるだけの、時間の問題です。それよりも本質的な、社会を動かす真の特ダネは自分で創り出したらいい。そうすればほかのやつは真似もできない。
伊藤 まったくそうです。
本多 そういう意味でいうと、普通のルーチンのことは、日刊紙でいえば、あれは通信社ですむことでしょう。
伊藤 ええ、そのとおりです。
本多 だからその程度に考えて、独自のホームランつまり真の特ダネをとばすべく、後の時間はそのためのエネルギーを蓄えるべきだ。
伊藤 なぜ今それができないかというと、抜かれるのが怖いというか。
本多 防御姿勢ですね。
伊藤 はい、防御のほうです。ほかの新聞には載っていて自分のところだけ出してないと、格好悪いし、怒られるし、自分にとっても納得いかない。そうすると、落ちこぼれないようにといろんなところに気を配る。それで体力も気力もヘトヘトになる。どこで何が起こるかわからないから、絶えず全部に気を配って、朝から晩まであらゆるところに一応は顔を出してとか、これでは疲れますよ。
本多 それはだめだ。疲れるだけ。一種 「受験秀才」 的な処世術ですね。
伊藤 だから、その 「最低限やっておけばいいんだ」 ということで、自分はここを狙うというものを持っていればいいわけでしょう。市民運動とか環境、福祉とか。それを持ってない。
本多 持ってないから、ますます神経が落ち着かなくなってしまう。
伊藤 自分がどうしていいかわからない。しかし、ことは簡単ですよ。ジャーナリストになろうと思って会社に入った人は、少しはそういう信念があるんですから、その信念をちらっと思い出すだけでもいい。第一こっちのほうがおもしろいじゃない。
本多 おもしろい、明白に。
伊藤 と思ってそれをやり出せば、いい回転に向かうはずです。
本多 悪循環を断って良循環にするようにレールをこっちに移せばいい。
伊藤 そのきっかけを得るのが難しいといえば難しいけれども、それは何回かやってみているうちに一回でも成功すれば味をしめてしまう。
本多 先の共同通信の例なんかがそうですね。ああいうことを考えればいいわけで、ただしそれをふだんから考えていなかったら実行できません。
伊藤 できないです。やっぱり日ごろ考えていて、うまくいけば成功する。成功すれば自分もうれしい。ジャーナリズムも好転する、ということになりますね。すべていいほうに回っていくじゃないですか。10回のうち1回成功すればいいぐらいに思えば。
本多 実際にそんなものですね。全部成功しっこはないのだから。
伊藤 いま萎縮している記者が、自分が本当にやりたいことを週一遍ぐらい、お風呂の中ででも考えてみる。じやあ、翌週こんなことをやってみようかなということで、一週間一目標、あるいは一ヵ月一目標ぐらいを何か決めて、それをやってみる。最低こんなことからでも変わります。あとは社内でそれを通す努力です。
本多 コネで何かやろうとか、たとえば刑事と親しくなるとか。それはそれで重要だけど、それだけやっていったって限界があります。
伊藤  「芸者」 ジャーナリズムです。
本多 というより 「おもらい」 だよね。
伊藤 それをいちばんやっているのが政治部。
本多 政治部は政治じゃなくて政界部でしょう。
伊藤  「政局部」 と他の部から皮肉られてますけど。日本の政治をどうしたらいいかを示すのではなくて政局、たとえば選挙がいつあるのかを知ることに汲々としている。いろんな政治家に張りついて 「ところでいつあるんですか」 という 「おもらい」 の仕事、そんなことが 「取材」 の中心になっているでしょう。
本多 情けない。なんだかいつでも 「お下がり」 をいただく仕事。
伊藤 英語のウォッチドッグは監視人の意味だけど、単なる番犬のような存在になると恥ずかしい。ところが、どの新聞でも政治部がいちばん威張っている。
本多  「ジャーナリストとして立派だから」 じゃなくて、権力の近くにいるという距離的な錯覚だけ。
伊藤 恥ずかしいし、情けない。でも本人たちは 「政治の取材はこういうものだ」 と代々信じ込まされている。でもそうじゃないんだと、一遍がらっと転換するところから始まるんじゃないか。上司からは、お前はこいつに張り付けとか言われるだろうけど、それは最低限やり、自分は自分で綱の目を張り巡らしていけばいい。そうした政治記者も現にいますから。

「社内改革」 は可能か

本多 そこで今後、朝日に限らず、社内で改革ができるのか。できないとしたら、どうしたらいいのか。
伊藤 できると思うんです。というのは、新聞社自体が行き詰まっているでしょう。どこも紙面をどうするか、あるいは会社の組織自体をどうするかという改革時期です。だから社員にアイディアを出してくれと言っている。
 だったら、今こそ自分でアイディアを出せばいい。具体的には広報新聞ではないやり方ということ。たとえばルポを載せるとか、自分にもっと余裕を持ってできるような態勢を作るとか、そういうことを提案すればいいんです。通らなくてもともとだし。
本多  「もともと」 が通らないから変わらんのでしょう。
伊藤 でもみんな思っているんです、紙面がこういうふうだったら自分は活躍できるのにとか。だったら、そういう紙面の態勢作りを提案すればいい。ところが今はそうではないからとぶつくさ言うだけで何もやっていない。
本多 提案して、採りあげられるような態勢はあるのかな。
伊藤 ないことはないと思います。ただ、やっぱり大きな船だから曲がるのは大変で、急な変革はできないでしょうけど。それでも今は新聞社自体がリストラの時代だし、今までのものでは売れないという危機感がある。読者が読むのは、 「おもしろい」 とか 「ためになる」 ことですね。それはジャーナリストの原点に返ることです。
 それを、 「どうせ俺が言ったって何も通らないし」 という一人ひとりのあきらめ感がいちばん問題だと思う。
本多 たとえば伊藤さん自身が社員としてそういう提案をしたら?。
伊藤 自分の身近なところで言うと、ぼくが今いるのは外報部ですが、紙面改革で四月から内容ががらっと変わった。今までとどう違った紙面にしていくかという案をみんなが出したんです。けっこう活発でした。それが紙面に反映されている。それを見ていると捨てたもんじゃないという気はするんです。
本多 じゃあ変わるのかな。
伊藤 すぐには変わらないにせよ、少しずつ変えていくところから雰囲気も変わっていって、たとえば第二外報面の半分を使ってルポを載せるコーナーが作られた。そうすると、ルポがどんどん特派員から送られるように変わった。最初の一歩をやらないことには、いつまでも閉塞状態ですからね。
本多 やる気になれば簡単なような気がするのだけど。たとえばルポなんていうのはいつでもできるのだし。
伊藤 ものすごく簡単だと思うんです。今は、本多さんが昔やっていたような全一ページ物というのはなかなか載らないでしょうけれども。
本多 なぜかなあ。第二社会面の雑報を一回だけとばしてそっくりルポにするだけのことで可能だからね。
伊藤 活字離れが言われる中で長い記事は読まれないと思われていますから難しいでしょうけど、だんだん増やしていって、一年後ぐらいにはそれが当たり前になってるようなことはできると思うんです。
本多 問題は長さじゃなくて、 「読まれる内容かどうか」 です。たとえば社会部だったら、社会部長が 「よし、ルポをやる、一ヵ月に一度でも一ページ丸ごとやるから、おまえら、いいものを出せ、競争だ」 と言ったら出てくる。
伊藤 それ、できますね。
本多 社会面の中での改革だから、簡単ですからね。
伊藤 いちばん早い例ですね。ただ、部長になるような人って、いい人はむしろ少ないじゃないですか(笑)。官僚ばかり多くて。しかも、昔はいい記事を書いていた人でも、部長になると体制に乗ってしまう、かつての社会党の村山富市首相みたいに。
本多 結局 「改革できない」 話みたいじゃない?(笑)俺が新人のころ田代喜久雄という強引な社会部長がいて、一部では評判は悪かったけれども、編集では思い切ったことをやったからね。そのあとの伊藤牧夫とかもね。そんなのがいなくなってしまった。
伊藤 そんなタイプの大物はいませんね。つまり、彼ら自身が明確な自信を持っていない。今はそういう意味では読売のナベツネぐらいですか(笑)。
本多 マイナスの大物(笑)。ナベツネといえば、いま読売は経営が苦しいんだってね。
伊藤 あれはどんどん膨らむことを前提にしてきたバブル新聞だものね。
本多 こういう不況になってくると、活字より 「巨人」 の方が好きな層が読売の読者には多いわけ。だからわりあい簡単に切り捨ててしまうんだ。

「アジア記者クラブ」 とは

本多  「アジア記者クラブ」 について、きっかけと現状を・・・・・・。
伊藤 できたのは1991年の11月です。外国人労働者に対する政府の扱いがあまりにもひどいんじゃないかと、テレビやフリーの記者ら外国人の入管問題を取材していた人たち四、五人が勉強会を作った。自分たちも入管法(出入国管理及び難民認定法)というものをよく知らないと闘えないし、どうせならみんなで一緒に勉強しようじゃないかと考えた。名の由来はアジアに関心を持つ記者たちの集まり、という意味です。一年後の1992年から毎月の会報を出すようになり、それと同時に方針を明確化したんです。一つは、アジア・第三世界に関心を持つ。一つは人権尊重を貫く。もう一つはマスコミやメディアの問題を考える。つまりアジアなど第三世界・人種・マスメディアに関心がある人が集まって勉強会をやりつつ、本来のジャーナリズム活動を実践していこうじやないかという方針です。
アジア記者クラブ主催で開かれたシンポジウム。
(1999年11月、東京)
具体的には毎月、その時期に焦点となっている問題をテーマに講演会やシンポを公開でやって、その内容を会報で出しています。年会費は5000円で会員を集め、いま会員は110人。その半分が現役のジャーナリストで、その他はジャーナリズムやアジアなどに関心がある市民です。ジャーナリストの内の半分が組識に勤め、半分がフリーです。
本多 これからの野心というか、計画がありますか。
伊藤 最近やっているのが 「ジャーナリスト養成講座」 です。マスコミではどうもろくなやつが育たない。会社に入ったら飲み込まれてしまう。これではいかんのじゃないか。われわれの側からジャーナリストを作りあげようという目的です。始めたのが一昨年の秋で、一年に春と秋の二回やっています。
 もう一つ、つい最近手掛けているのが、 『ライターズ・マーケット』 という本を作ることです。アメリカにはありますね。フリーのジャーナリストが何か自分で取材しても発表しなければ意味ない。発表するに当たっては、どこに持っていけばいいかよくわからない。こういう人のために・・・・・・。
本多  「場」 の紹介ですか。
伊藤 ええ。どこの出版社の何という雑誌はこういうものを主に扱っていて、だれのところに持ち込めばいい。原稿料はだいたいこのぐらいだ、というのを一覧にして、 『ぴあ』 みたいな、電話帳みたいな本を出版しようと。去年の末から具体的に動き出して、出版社も決めています。
本多 どのぐらいの量のものですか。
伊藤 最初は薄いものを考えています。それでだんだん膨らませていこうと。アメリカのは五センチくらいの分厚いものです。こういうのがあるから活躍できるし、活躍するとまた増えるという、やっぱりいい循環です。
本多 合州国には各地方や各分野にいろんなメディアがあるから。
伊藤 たとえば 『タイム』 や 『ニューズ・ウイーク』 も載っているけれども、それはこの本のわずか数行でしかない。つまり、それぐらい発表の場がいっぱいあるということです。それを見て、アメリカのジャーナリズムの層の厚さには本当にびっくりしまして、だったら日本でも作ろうと。
 日本で今ジャーナリストが冬の時代といわれるのは、発表する場がない、あるいは見えないからじゃないですか。だったら作らなければいけない。だれかが作ってくれるわけではないなら、自分で作ればいい。それには金を持っている人は金を出し、金を持ってない人は知恵と行動を出せばいいわけで、とりあえずわれわれが考えたのがこれなんです。一人ひとりのライターが生きていける。もっともいいかたちで表現できる。それを自分で選択できる。そのための手引きがあったらいいな。だからとりあえず今年から、これを毎年一冊ずつ出していこうと。
 もうひとつ、われわれには会報があるから、取材したものをそれにどんどん載せて、やがては本格的な雑誌にすればいいわけで、そうい、場作りです。発表の場作り。
本多 非常におもしろいヒントですね。せっかく養成しても 「場」 がないという、これが問題で、次のテーマにも関わってくるんです。

自分たちでマスメディアを創ろう

本多 その 『ライターズ・マーケット』 は場がどこにあるかという紹介ですが、問題は日米の差です。合州国には大マスコミがないかわり大小無数の良質な雑誌がある。環境問題や商品検証などの分野でも、ラルフ=ネーダーの 『Public Citizen News』 を始め 『Corporate Crime Reporter』 『Multinational Monitor』 『Nutrition Week』 『Research Report』 『Earth Island Journal』 等々。日本ででかい顔をしているのは、新潮や文春など体制礼賛・侵略大好き会社の雑誌ばかり。こんな日本だから、真のジャーナリズムの 「場」 そのものを自分たちで作ることを考えませんか。
伊藤 ぜひ必要だと思っています。
本多 日刊紙という案は前から持っていたのだけど、しかし今の時代、活字離れがかなり大きい。
伊藤 大きいですね。
本多 だから全部一遍にやろうということ。日刊紙とテレビとインターネットと雑誌の四つを一つのコングロマリット的に。発行する順序は同時じゃないが、会社としては一つのもの。
伊藤 全然難しくないと思うんです。難しくないし、ものすごくいいというか、血湧き肉躍るじゃないですか。
本多 正にそう。それを同志たちとやりたいんです。加わりませんか。
伊藤 ぜひ。
本多 資金的には、そんなに苦労しないと思うんです。今までのいろんな経験からいって、30億円あればスタートできるんじゃないか。
伊藤 十分じゃないですか。
本多 その代わり精密に市場調査をやります。テレビは新聞より金がかからない。あれは放送すればいいので、流通や配達なんか考えなくてもいいから。
伊藤 ペルーの首都のリマ郊外に 「救世主の町」 という名のスラムがあります。人口30万人の壮大なスラムなんですが、その中にテレビ局があるんです。機材は全部、他国の人からもらったものばかり。スタジオはおんぼろなものが一つあるきり。職員は五、六人ぐらいかな。財政規模は、年間に10万円とか20万円とか、それでやっているんですから。
本多 そうなんです。やれるんです。ロサンゼルスで日本人社会向けにやっている放送局なんか二部屋と、スタッフは三人くらいじゃないですか。あれで一応やっているわけですから。
伊藤 それに今からはデジタル多チャンネル放送の時代ですよ。
本多 光ファイバーも実現した。あれが発展すると非常に大容量の情報発信が可能になるんですね。
伊藤 それにいろんな企業の開発で膨大な番組が気軽に見られるようになる。じゃあ何を放送するかというときに、放送するものがない。 「もの」 ってすぐに素人が作れるわけではないから、専門家集団が必要ですね。だったら私たちに任しておけということになってしまうじやないですか。既存のテレビ局とは違うもの、本当に読者が知りたいもの、視聴者が知りたいものをわれわれが作りましょう、というかたちでやれると思うんです。フランスに 『ルモンド・ディプロマティック』 紙という大変すぐれたクオリティ・ペーパーがありますが、その編集長のラモネ氏は 「これからは情報の洪水になってくる。情報が増えすぎると情報がないのと同じで、それは自由を減らす」 と語っています。そのときに、これだというものを出せるやつが勝つので、それは専門家集団である。
本多 本当の意味でのジャーナリスト集団ですね。そういうアイディアとそれなりの場という両方持っていて、アイディアとしても外へ売れるし、自分たちでも場があるということ。
伊藤 やっぱり場を持っていなければ。
本多 インターネットも同時に。あれこそ簡単だから。
伊藤 これはすぐにできる。
本多 おおざっぱな話、たとえば200人の会社で、新聞だけでいえば100万部の新聞は可能だと思います。雑報は通信社でいいから、本当の意味のジャーナリストだけおけば。ライターとしては。
 いま迷っているのは、いわゆる大新聞と同じような総合新聞か、それともクオリティ・ペーパーかということ。
伊藤 ぼくはクオリティ・ペーパーだと思いますけどね。
本多 クオリティ・ペーパーなら30万部あれば十分ですし、そんなに何ページもいりませんから、値段も今の新聞より安くできる。
伊藤 結局、読者が欲しいのはルポと、問題の本質と今後の行方、どうすべきかの指摘、後は細かい情報ね。
本多 そうね。ニュース的なものは細かくたくさんあっていいんですよ。それからこういうことは可能ですか。たとえば朝日が特ダネを出すでしょう。 「 『朝日新聞』 によれば」 といって、次の日にそれを、あるていど裏付けをしながらやったとしても、それは違法ではありませんね。
伊藤 全然かまわない。たとえば、 『ヘラルド・トリビューン』 などはまったくそれですね。 『ニューヨーク・タイムズ』 と 『ワシントン・ポスト』 の主な記事をぼんぼんと寄せ集めして作っています。あれは両社の契約で作っているんですが。
本多 でも、それは 「あと追い」 とか第二報ではないでしょう。
伊藤 ええ、一報です。
本多 あと追いだろうが二報だろうが重要なやつは翌日みんなやりますよと。二報なら金いらんから。最初の資金と経営形態は、やはり韓国の 『ハンギョレ』 新聞が一番参考になりますね。読者が株主になるメディア。そんなわけで、伊藤さんの取材した 『ハンギョレ』 のルポが近く本誌で連載になります。

(おわり)


いとう ちひろ・ 『朝日新聞』 外報部。
ほんだ かついち・本誌編集委員。


(Webサイト作成者より)
※本文のHTML化にあたって、日付の表記を算用数字にするなど、若干の変更を加えております。

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