『週刊金曜日』 2001年 2月16日(No.351)号より

貧困なる精神(131)    本多勝一

高見澤昭治氏に聞く

「司法改革」で日本の裁判は本当によくなるのか(3)


本多 どうして日本の裁判所がそんなにひどいことになっているのか。
高見澤 「官僚司法制度」こそが最大の問題であり、諸悪の根源といってもいいと思います。

諸悪の根源は「官僚司法制度」

高見澤 「官僚司法制度」とは、「市民とは異質の、民主的基盤を有しない官僚が、上から統制され、管理されながら司法権を行使する制度」とでもいいましょうか。その中核になるのが「キャリアシステム」といわれるものです。
 これは司法試験を受かって、一年半の司法修習を終えた者の中から、最高裁判所が裁判官にふさわしいと思う者を「判事補」として採用します。最初は半人前の裁判官が先輩の指導を受けながら、定年まで裁判所内で一つひとつの階段を上がっていくというのが「キャリアシステム」です。
 ですから任用のところから、民主的な手続きはまったくありません。最高裁から見て裁判官に向いていないと思われる人間は、逆に任官から排除される。それが「任官拒否」といわれるものです。最近では神坂直樹さんの事件が有名ですが、今までに 50人以上が裁判官になれないでいます。
本多 任官拒否が 50人以上もあるんですか。その拒否の理由は?
高見澤 かつては憲法や人権を擁護することを目的とした青年法律家協会(以下、青法協)という団体に入っているかどうかを重視していましたが、最近はあまり元気のいい修習生がいなくなり、青法協の活動も低調で、拒否するまでもない状況のようですけれど。
本多 若者のこの傾向はいろんな分野で日本をおおっているようだから、官僚が支配しやすい国にますますなっていくのかな。
高見澤 その中でも、とくに従順な、いわゆる「若くて優秀な」者が採用され、独立心の強い人とか、社会経験もあり、自分の意見を持っているような者は裁判官には採用しないというのが実態です。裁判所に行くと若い裁判官が多いのに驚かされるはずです。
 裁判官になると、今度は給与が 24段階もあって、約 10倍の格差がつけられています。ドイツなどもポストと年齢によって 3.3倍程度の差はありますが、日本は細かく一段ずつ上がつていく。それも、若い裁判官の給料を低くして、最高裁の長官は内閣総理大臣と同じ金額ですから、上に行けば行くほどすごい急な曲線で上がっていくという給与体系になっています。
本多 「馬の前にニンジン」ですね。今は会社でも逆に年齢給的な部分は減りつつあるのに。
高見澤 裁判官は本来それぞれ独立しており、同じ仕事をしているのですから、給料に差を設けること自体おかしなはずです。しかも成績で評価するので、低く評価されないようにと思って一所懸命に職務に励む。
本多 何で評価するんですか。
高見澤 現場の裁判官は、300件も 400件も事件をかかえて日夜苦労していますが、事件を少しでも多く「落とす」(処理する)ことが評価の対象とされます。それも最高裁が気に入るような判決を書かないといけない。つまり最高裁の判決を批判したり、覆そうというような判決を書くと、これはもう完全ににらまれてしまうことになります。例えば「戸別訪問禁止は違憲だ」というような判決を書いた裁判官は、裁判官を辞めるまでずっと地方の裁判所の支部、あるいは家庭裁判所などへ回されて、行政事件のような重要な事件には関わらなくさせる。

思想信条で差別人事

本多 ああ、これはかなり騒がれた違憲事件ですね。
高見澤 市民集会に参加して懲戒処分を受けた寺西和史裁判官の事件で明らかになりましたが、裁判官には市民的自由がないばかりか、思想信条による差別人事が行なわれていることも事実です。
 さらに裁判官というのは 10年ごとに任期があり、再任拒否されるかされないかを、非常に気にするようです。かつて宮本康昭裁判官が拒否されたことはご存知の方もいると思いますが、実際は拒否されるわけではなくても気にするようですね。
イラスト/橋本勝
本多 当然でしょうね、一種の見せしめだから。
高見澤 そういう人事統制をする一方で、さらに問題だと思うのは、社会的・政治的に重要な事件のときには、最高裁事務総局が裁判官を集めて「裁判官会同」とか「協議会」を開き、「この事件の場合にはこういう判断が正しいのではないか」という、いわば模範答案みたいなものを示すようなことが行なわれていることです。実態はなかなか表に現れませんが、それに従ったとしか考えられない判決が行政事件や労働事件で明らかになっています。
本多 政府による完全な統制支配。司法権の独立なき独裁政治。
高見澤 司法修習生の時から、判例を重視せよということは徹底的に教育しています。「判例至上主義」といってもいいと思いますが、裁判官は個人で裁判をやっているのではなくて国家の機関である。国家の機関である以上は、最高裁がどういう判断をしているか。まだ判例がないところでは、最高裁であればこういう判断を示すであろうということを考えて判決をせよと論文の形で堂々と指導しているんです。
 だから、裁判官一人ひとりが、自分の良心に従って本当に被害者を救済するためとか、あるいは基本的人権をどうしたら擁護できるかとかを一所懸命に考えるというのではなくて、「上のほうはこの事件をどう見るだろうか」という保身術で裁判をやるケースが多くなるわけです。その「上のほう」というのが、まさに時の政府によって任命される裁判官なわけですから。
本多 結局、自民党がどう思うか。
高見澤 自(おの)ずからそういうことになるんですね。みなさんもご存知のウォルフレンは、有名な『日本/権力構造の謎』の中で、「現在、最高裁事務総局の司法官僚群が日本の司法全体を監視している。裁判実務に携わる裁判官でないこうした官僚が、裁判官の任命、昇格人事、給与の決定、解任を牛耳っているのである」「法の番人としては最高の地位にある判事も官僚にはかなわない」と書いていますが、実態はまさにその通りだと思います。
本多 旧ソ連の官僚主義そっくりの独裁国家に、日本がなってしまった。
高見澤 ですからそういう「裁判官の独立性」を侵している官僚司法制度が今の日本の裁判所の最大かつ根本的な問題だと言っていいと思います。
本多 最近、福岡の方で検察官が裁判官に捜査情報を伝え、事件をなんとかもみ消そうとした事件が発覚したが、これはたまたま個人 的に発生した特殊な例でしょうか。
高見澤 これほどまでひどいとは思っていませんでしたが、「たまたま」というより残念ながら構造的と考えるべきだと思います。
「判検交流」という言葉をご存知でしょうか。裁判官と検察官とはしょっちゅう人事交流で入れ替わっています。国の代理人である訟務検事をやっていた者が、突然裁判官になったり、裁判官がいなくなったと思ったら検察庁で仕事しているということが頻繁に行なわれています。
 これまでに総計で 1500人もが人事交流で裁判所と法務省・検察庁の間を行き来していることが分かっています。裁判官と検察官が癒着し、一体感を持つのも当然ではないでしょうか。

裁判所と検察庁の「癒着の構造」

本多 やはりこれは実質的に、三権分立では全然ないということです。
高見澤 ええ。裁判官は捜査機関の違法をチェックし、証拠が不十分であれば却下したり棄却しなければならないのに、実際は捜査令状の発布や公判手続でも、裁判官が検察官に手を貸していることを弁護士は日頃から苦々しく思っていましたが、実態を見ればそうとしかいえないような状況ですね。
本多 そもそも日本は、はじめから二権でしょう、議院内閣制ですから。しかし、二権なら司法は一応独立としているはずだけど、最高裁の任命制でそれもだめで、一権集中の独裁ですよね。
高見澤 最高裁の裁判官も、発足した当初は「裁判官任命諮問委員会」を作って、法曹界や学界の代表が最高裁の裁判官にふさわしい人を推薦しようとしました。ところが、委員の人選が不明朗なばかりか、怪文書が出回ったというようなことで一回で廃止され、その後はずっと最高裁事務総長と長官などだけでまさに奥の院で人選を決め、内閣総理大臣が任命してきた。
本多 全くの前近代的密室制度。そんなものを放置しておく日本人と、市民革命のなかった歴史。
高見澤 ただ、弁護士出身の最高裁判事四人については、弁護士会が准薦した者を一応入れるということにはなっています。ですから最近、いろんな事件で最高裁の意見が分かれるときには、ずっと官僚裁判官や検事で上がってきた裁判官に対して、学者とか弁護士出身の裁判官が住民側・市民側に立つという、きれいな色分けができています。
本多 寺西事件でもそんな例がありましたね。
高見澤 ええ、『読売新開』は、「最高裁真二つ」と大きな見出しで報じましたが、一票の格差事件でもそうでした。
本多 だけど、多数決だから結果は負けるんですね。
高見澤 弁護士出身枠を当初より一人減らしましたし、現状は官僚裁判官や検事だった者の数を多くして、市民側ははじめから負けるような比率になっています。
本多 司法改革として、そうしたことはどこまで議論されているのですか。
高見澤 日弁連などは弁護士を一定年数経験した者の中から裁判官を選び出す「法曹一元」という制度に変えるように提言し、運動を進めてきました。他にも官僚司法制度に対する批判が強いために、司法改革審議会でも、昨年 11月20日に公表した中間報告では「裁判官制度の改革」ということで、供給源の多様化・多元化とか、裁判官の任命手続きの見直し、裁判官の人事制度の見直し(透明性・客観性の確保)を書いています。
 その中には「最高裁判所裁判官の選任等の在り方」についても、内容は全く記述はないが、項目としては載っています。

(以下次号)

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たかみざわ しょうじ・弁護士、司法改革市民会議事務局長。著書に『市民としての裁判官』『自由のない日本の裁判官』(共著=いずれも日本評論社)など。


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