■ 漢語迷の武漢日記 ■
< 第6回 日中のナショナリズムをめぐって >この一年間、南京大虐殺や台湾問題をめぐって日本でもさまざまな議論が 繰り広げられてきたかと思います。それについて、中国にいる僕の眼から簡単に意見 を述べさせていただきたいと思います。
まず、南京大虐殺をめぐる議論についてですが、一つ指摘しておかなければならないことは、 日本で南京大虐殺をを「否定」する人たちが出てきたり政治家が失言を重ねたりする ことについて、中国政府の一部の人たちは純粋に怒りを感じるというというよりも むしろ喜んでさえいるのではないかということです。なぜか?それは、こうした問題が 起こればそれをナショナリズムの高揚に利用することが出来、同時に国民の政府に対する 不満をそらすことができるからです。もちろん、中国の多くの侵略戦争の被害に遭った 一般の民衆(中国では民衆を「老百姓」という)は純粋に怒りを感じていることは言うまでもありません。 つまり、「中国」と一口に言っても決して一枚岩ではなく、官僚と「老百姓」では立場に違い があることを見ておく必要があると思います。
ただ、こうした中国のナショナリズムを批判する人たちは往々にして自分の国の ナショナリズム、また、自分の中にあるナショナリズムには全く無批判です。これで は中国政府のナショナリズムを批判することは出来ないでしょう。
次に台湾問題についてですが、誤解を恐れずに言うと、僕は石原慎太郎の台湾問題 に関する中国批判については大体において支持することが出来ます。僕の基本的な立場 はこうです。「台湾のことは台湾の人たちが決める」。彼らが独立を支持するなら 独立すればいいし、統一を支持するなら統一すればいい。そう考えます。ですから、 石原氏が中国の「最悪の場合武力で統一する」という考えを批判するのはもっともだ と思うのです。これは民主主義の原則からして当然でしょう。問題は石原氏のこうし た発言が民主主義を擁護しようという動機から出ているというよりも彼の国家主義的 ・拝外主義的な思想から出ているということです。
僕がこの二つの例を挙げて言いたかったことはこういうことです。僕は中国に来て マスコミの統制や強い国家主義的体質など悪い面をたくさん見てきています。これは 南京大虐殺や台湾問題をめぐる報道にも言えることです。そして、これらは当然批判 に値することです。ところが、中国のこうした面に対する率直な批判は、どうも石原 氏を始めとしたいわゆる「保守派」(こうした安易な分類はあまり好きではないので すが)と言われる人たちからばかり出ているような気がするのです。
今必要なのは、中国の問題点も批判できると同時に自国の血塗られた歴史も率直に 批判できると言う人ではないでしょうか。そうしないと、議論にどうもかみ合わない 部分が出てくるような気がするのですが、いかがでしょうか?
僕が得ている情報というのは極めて限られたもので、ここで述べたことも極めて 感覚的に述べたことに過ぎないので、批判などがあれば率直に出して下さい。さて、最後にチベットについて中国ではどう報道されているか知りたいという要望 があったので、ちょっと触れておきます。
実を言うと、僕の見ている範囲ではチベットに関する報道は最近ほとんどありません。 当然と言えば当然でしょう。「チベットで暴動が起こった」などというまずい情報は 中国では絶対に流されることはないからです。
チベットの政治機構の重要なポストは漢民族が押さえているという事実はあるようです。 石原氏らが中国のチベット政策についてどう批判しているのか具体的には知りませんが、 問題があるのは事実でしょう。
チベット「解放」が果たして「侵略」と言えるのかどうかは僕はチベットの歴史 に関する知識がほとんどないのでわかりません。ただ言えるのはイデオロギーを抜き にしたところで歴史学的に厳密に検証していく必要があるということです。 中国を擁護したい、あるいは批判したいという動機が最初にあって問題を見るならば、 正しい評価は下せないでしょう。少し長くなりましたが、今日はこの辺で。
2000.6.15
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