■ 漢語迷の武漢日記 ■
< 第11回 週間新聞『南方周末』は面白い >一党独裁の体制下にある中国ではマスコミに対する統制が厳しいことは以前にも述べた通りです。昨年もインターネット上のニュースや議論に対する規制が強められました。
しかし、だからといって中国の全てのマスコミが政府に都合のいい情報だけを垂れ流しているだけだと考えるならば、それもまた誤りです。
確かに共産党の機関紙『人民日報』などは政府に都合のいい情報のみを流している典型的新聞といえるでしょう。その内容は「江沢民がこんな講話をした」「李鵬がどこどこの首相と会談して『一つの中国』の原則を確認した」「政府がこんな成果を挙げた」「中国はこんなに発展している」といった内容ばかりです。僕が中国に来たばかりの頃、「中国の新聞といえば『人民日報』」と思い、早速とり始めたのですが、あまりのつまらなさに一ヶ月でとるのをやめました(ちなみに意外かもしれませんが、中国の一般の人の中で『人民日報』を読んでいる人はほとんどおらず、街なかの新聞スタンドにも置いていません)。
しかしその一方で、政府の統制という枠の中にあっても、少なくとも地方レベルの政府に対してはかなり鋭い批判を繰り広げている新聞もあります。その代表的新聞が『南方周末』です。武漢以外に北京・上海・広州など全国の主要都市で販売されており、発行部数は150万部に達しています。収入が少ないため回し読みが多い中国において、実際の読者数は700万人以上に上るようです(当紙アンケート調査による)。それだけ支持を集めているわけです。週間新聞なので、情報のスピードには欠けますが、その分問題に対する考察が深められているように思います。実際にどんなことが書いてあるか、ここで例を挙げて紹介します。
昨年末、中国の古都・洛陽のデパートで大規模な火災があり、最上階のディスコでちょうどクリスマスパーティーが開かれていたことあり、309人もの犠牲者を出したことは日本の新聞でも報じられていたので、ご存知の方も多いと思います。
この火災の直接の原因としては、ビル内装会社が免許のない作業員にハンダ付けの作業をさせ、その際に出た火花がソファーに引火し、大火災に至ったとされています。彼らは火の手を止められないのを見ると、何の通知もせずに直ちに逃走したことが犠牲者を増やしました。
しかし『南方周末』は「確かに火災の直接の原因は彼らにあるといっても間違いではないだろう。だが、これだけでは309人もの犠牲者を生み出した惨劇の原因というには不十分だろう」と追及を深めていきます。そしてまず「もし東都デパート・東都ディスコ(火災の起きたデパート・ディスコの名前)の消防安全施設が法律の定める条件を満たしていたならば……このような重大な結果には至らなかっただろう」
と、デパートのずさんな消防設備がすでに火災の芽を孕んでいたことを指摘します。
では、こうしたずさんな消防設備がなぜ放置され続けてきたか?実は洛陽の消防当局はこのデパートの危険性には四年も前から気づいており、何度も警告を発してきたこと、そして昨年12月1日には市政府に対してデパートを営業停止処分にするよう要求していたこと、それに対する政府の判断がもたついている間に火災が発生してしまったことを『南方周末』は指摘しています。では、市政府はなぜデパートに処分を下すことに消極的だったのか?この点を『南方周末』はさらに追及していきます。そして、その原因を次のように述べています。「実は火災で死亡したデパートの店長は表向きの店長で、裏の店長は市政府幹部の嫁だったのである。昨年、河南省テレビの番組で東都ディスコの消防施設が不合格だったという報道がされた後、洛陽市のある幹部が消防当局に対しディスコを営業停止にしないよう要求していたのである」 つまり、市政府幹部とデパート・ディスコとの癒着が今回の大惨事を生み出した根本的な原因だというのです。さらに『南方周末』はこのデパート以外にも、公安部門・検察部門・法律部門関係者の親戚や友人が経営するディスコ・娯楽施設に対しては非常に甘い管理しか行なわれていないことを指摘しています。
そして、最後に現地に詳しい記者の言葉を引いて、次のように締めくくっています。「ある政府部門は人民から与えられた権力を私的権力とみなし、管理機能を行使する際に最も重視していることはいかに多くの金を徴収するか、どうしたらより多くの利益を獲得できるかということであり、いかに有効に管理するかということではない」「彼らにとっては指導者の鶴の一声が法律制度よりも重要なのである」
このように、『南方周末』は市政府に対して容赦ない批判を繰り広げています。
もちろん、中国においてはこうした批判を中央政府に向けることはそう簡単なことではないでしょう。また、台湾問題や法輪功の問題について中央政府の見解に反することを言うことは『南方周末』であっても絶対に不可能です。これが中国における言論の自由の限界です。
また、先ほどの政府批判にしても、多分に現地の人の「噂」に基づいているものもあり、必ずしも厳密な資料的裏付けに基づいていないという問題点も指摘できると思います。
しかし、「言論の自由が完全に保障されている」日本の新聞の堕落ぶり、権力との癒着ぶりと比較した時、「一党独裁」下にある中国の『南方周末』の方がはるかに面白いといえるのではないでしょうか?
2001.1.12
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