■ 漢語迷の武漢日記 ■
< 第12回 中国人とは一体? >最近、読者の方から「もう少し身近な話題があった方がいい」というご意見をいただきました。もっともなご意見で、これまでは「日記」と言いながら、政治やマスコミの問題など、固めの問題、日常生活からかけ離れた問題に話題が集中していたと思います。ただ、これまで何となく日常的な問題を書くのを避けてきた理由は、こうした問題を書くと、率直に言ってどうしても中国や中国人に対するぐちが多くなってしまうということ、それが中国によく通じていない人にとっては何か中国人を差別しているのではないかと誤解されることを恐れていたということがあります。ただ、僕の考えとしては、相互の問題点を率直に批判し合うことが真の友好であり、お互いを過度に持ち上げることが友好ではないと思っていますし、せっかくこういったご意見もいただいたので、今回は中国人に対する率直な苦情を書きたいと思います。
中国に来てまず驚くことは、何といってもデパートなどの店員の態度の悪さです。仕事中に食事をしたりお茶を飲んだりということはごく当たり前に見られる光景です。少し暇になると店員同士で大声でおしゃべりを始めたり、居眠りを始めます。そんな時、こんな多くの人は必要ないのではないかといつも思います。おつりは大体投げて渡します。一言で言えば、中国には「お客様」という概念がないのです。売ってやっているという感じですね。
レストランの店員の態度もひどいものです。以前、湯包(タンパオ)という、ショーロンポーに似た武漢名物の有名な店にいきました。三品を注文し、先払いだったのですが、30分たっても二品しか来ません。何度も催促したのですが、「もうすぐ出来るから」の一点張り。そうこうしているうちに、とうとう一時間が過ぎました。業を煮やし、再度催促したところ、何と店員は傲慢そのものの態度で、「あなたたちは二品分の金しか払っていないから、二品しか出せない」と言ってきたのです。何のことはない、店員が計算を間違えて、二品分の金しか取っていなかったのですが、それをまるで僕らのせいであるかのように言ってきたのです。それも、何度も催促した末、一時間もたってからです。その時はさすがに「だったら何度も催促しているんだから、早く言え」と怒鳴りつけました。しかし、彼女は何の申し訳なさそうなそぶりも見せませんでした。これには本当に腹が立ちました。
これに類したことは何も特別なことではなく、中国では日常茶飯事です。こんな話をしていると、僕は中国に来たばかりの頃に書いた、中国人のウェイトレスを土下座させて日本人ビジネスマンが強制退去になった事件を思い出します。あの時僕は、これは日本人の傲慢だ、と書きました。実際、日本人のビジネスマンの一部に中国を見下す態度があることは事実です。ただ、中国に来て一年半もたった今からあの事件を考えてみると、細かい事実関係を見なければ、一方的に日本人側が悪いとは断定できないというふうに思います。なぜなら、もしウェイトレスの態度が先ほどの湯包レストランの店員の態度と同じようなものだったら、土下座までさせるかは別としても、怒鳴りつけたい気分になるのは当然だと思うからです。それは、相手が中国人であろうが、日本人であろうが、何人であろうが同じです。
さて、次に僕が中国人の悪しき習慣として挙げたいのは、彼らが列を作らないことです。例えば、郵便局などに行くと、いつも窓口の前はダンゴ状になっています。後から来た人が平気で横入りしてきますし、もう僕が窓口で荷物を受け取る書類を出しているのに、それでも横から手を突っ込んできて、自分の順番を先にしようとします。僕はこういう時、「列に並んで下さい」というのですが、ほとんどの中国人はこうは言いません。横入りには横入りで対抗するだけです。これには本当に閉口させられます。
もう一つ僕が耐え難いのは、中国人がゴミをごみ箱に捨てないことです。こういうと、「それは日本も同じだ」と言う方もいるかもしれません。しかし、中国の状況はとても日本の比ではないと言えます。例えば、電車に乗ると、彼らは果物の皮やひまわりの種(中国人はひまわりの種を食べるのが大好きです)の殻などをすべて床に捨てます。清掃員が頻繁に、大量のゴミを片づけますが、瞬く間に床が汚れていきます。新彊に行った時などは、スイカの皮や弁当の箱を車窓からポイポイ投げていました。洪水で電車が12時間止まった時の惨状はすごいものでした。窓の下は弁当箱・缶・ペットボトル・果物の皮などでゴミの山と化していました。本当にこの時は絶望的な気分になりました。
他にも挙げればきりがないので、これ位にしておきます。
もちろん、こうした中国人の公衆道徳の無さには義務教育ですら受けることの出来ない多くの貧困人口が存在することなど、やむ得ない事情も影響しているかも知れません。しかし、他の発展途上国の状況を聞いてみると、ここまでひどくないようなので、やはり原因をここに帰すことはできないようです。
また、「中国人は……」とは言っても、そうでない中国人、またこういう中国の現象に対して批判的に思っている中国人もたくさんいることも確かです。しかし、圧倒的多数は先ほど言ったような状況にあるのも事実です。
僕は中国のこうした現状を見て、ちょっと不思議に思うことがあります。なぜなら、中国では社会主義革命以降、「人民に奉仕する」ことが重要なスローガンとなり、「公」の「私」に対する優位性が常に強調されてきたからです。それなのに、現在の中国においてはなぜこんなにも「私」が突出した形で現われ、「公」がこんなにも軽んじられているのでしょうか?
この点について、僕は先日、「中国近現代政治思想史」の先生に聞いてみました。先生によると、中国では例えば「雷峰(自分の生命を犠牲にして他人の命を救った英雄)に学べ」運動のように、社会主義の理想のために死を恐れないといった大きな意味での「公」は強調されても、公共道徳のような身近な意味での「公」はほとんど教育されてこなかったと言うのです。また、中国人の中には「公」と「私」という概念が極めて希薄で、明代になってようやくこうした考えが出たきたが、それもあまり普及しなかったとも言っていました。つまり、現代の中国人の公共道徳の欠如はこうした中国の伝統的な思想に由来していると言うのです。
これは一つの見解ですが、まるで自分の家にいるような感じでご飯を食べたりお茶を飲んだりおしゃべりを楽しんでいる店員たちを見ていると、「公」と「私」の区分がないというのはうなづけるところです。
さて、こんなふうに書くと、中国というのは何とひどい国だと思うかも知れません。実際、中国に様々な意味での期待や幻想を抱いてやって来た旅行者や留学生の中には失望して帰って行く人も少なくありません。
では、僕は?こうした中国人のいやなところも含めて受け止めて、悪いところは悪いとはっきり言わせてもらって、彼らともっと深く付き合っていきたいと思います。実際、そうする中で彼らの様々ないい面も見えてきます(その点はまた別の回に触れます)。逆に日本に対する歴史問題や最近度重なる中国人に対する差別問題(これも、別の回に触れる予定です)などに対する批判があれば正面から向き合っていきたいと思います。こうして、何やら「日中友好」という曖昧な美辞麗句の下にお互いをたたえ合うというような関係ではなく、率直な批判をし合える関係を作っていきたいと思っています。
どうも、日常的な気軽な話題と思って書き始めたところ、結局何だか大袈裟な締めになってしまいましたが、今日はこの辺で終わりにします。
2001.3.1
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