漢語迷の武漢日記 

< 第14回 ある大学の先生 >


 中国は事実上の一党独裁の国家であり、マスコミなどの報道がかなり統制されていることはこれまでの日記の中で述べてきた通りです。
 しかし、その中国の中で、大学という場はかなり自由な領域と言えるでしょう。中国人学生との間で共産党の一党独裁を問題にするなどということはごく普通のことですし、僕が先生に「台湾が独立するか統一するかは台湾の人たちが決めることではないか」などといっても、当然、反論はありますが、それが問題になるということありません。学生共産党員が共産党を批判するということも珍しくありません(日本なら、共産党員になるというのは何か特別のことのような気がしますが、中国では学級委員や班長になる程度のことと考えていいでしょう)。
 大学の講義も、人によってはかなりズバズバと現在の中国・中国政府を批判しますし、中国人学生たちが高校までに叩き込まれてきた公式見解とは全く違った考え方を展開していきます。
 そんな中で、今回はそうした先生の一人、A先生を紹介したいと思います。(念の ため、講義名は控えます。)
 A先生は日本にも留学経験があり、最初の授業の時も僕が日本人だと知ると、親しげに話し掛けてくれました。「日本の留学生とぜひ交流したい」と向こうから積極的に提案してくれ、交流会を開いたこともあります。
 日本の大学にいた時は、大学の教授というと、敷居が高く、何だか近づきにくいという人がほとんどでしたが、この先生には少しもそういう所がありません。本当に気さくな人です。毎週授業が終わると、いっしょに話をしながら帰ります。
 講義の内容は歯に衣を着せないものです。「中国政府は李洪志(法輪功の指導者)を批判するが、個人崇拝を推進しているという意味ではかつての毛沢東と何の違いもないじゃないか」とか「中国共産党の力で日本を追い出したというが、本当なのか。アメリカやソ連の力があってやっと勝ったというのが実情ではないのか」などと平気で言います。こんなことは以前紹介した『南方週末』も含め、マスコミは絶対に言えないことです。生徒の中にもさすがに「先生、ちょっと注意した方がいいですよ」と心配して言う人もいるそうてす。しかし、先生は全くお構いなしの様子です。
 そんな先生の講義の中で、非常に印象に残った話があります。先生は、ハナ・アーレント(有名のドイツのユダヤ人女性思想家)が「あんな少数のナチスにあれだけ大量のユダヤ人が殺戮されたのは、ユダヤ人の側にも問題があるはずだ。ただナチスの残虐性を問題にするのではなく、ユダヤ人自身の弱さ、問題点も追究しなければならない」という趣旨のことを述べて、轟々たるユダヤ人からの非難を浴びたことを例に挙げながら、次のように言いました。「今の中国人もこの時アーレントを批判したユダヤ人に似ている。日本の過去の侵略は頻繁に問題にするが、大躍進や文革など、自民族の汚点についてはすぐ忘れてしまう。文革の被害を展示する記念館の計画も進んでいない」と中国人の「歴史健忘症」を痛烈に批判しました。
 ここで早合点して「その通りだ。中国はいつまで日本の侵略について謝罪を求めるつもりだ!もっと自分の国の問題を見ろ」などと決して言わないでいただきたいと思います。もしそのように言うならば、この先生の言うことを全く理解していないことになります。
 誤解しないでいただきたいのは、A先生が決して日本の侵略を決して軽く見ているわけではないということです。彼が日本への留学経験した際、ある公園で老人がバーベキューをやりながら中国での戦争体験を自慢げに語るのを見て、日中間にある戦争認識の絶望的な溝を感じたと言います。しかし、彼はそうであるにもかかわらず、なおかつ中国人自らを痛烈に批判しているのです。僕はこの懐の深さに敬服せざる得ません。僕は多くの日本人は彼のような懐の深さに学ぶ必要があると思います。
 彼は「歴史健忘症」はアジア人に共通した特徴だ、と言います。僕もそう思います。「日本は過去そんなに悪いことはやっていない。中国はこんなにひどいことをやっている」と他国・他民族の罪悪だけを批判し、自国・自民族の罪悪を顧みない人が日本にもどれだけたくさんいることでしょうか。先生が批判したのは、まさにどの民族・どの国家の中にもあるこうした態度なのです。
 僕は日中双方の偏狭な民族主義と「歴史健忘症」が果てしない悪循環を形成しているのが現状なのではないかと思います。
 日中両国が自己の誤りに謙虚に目を向けることが出来るようになった時、真の日中友好が可能になるのではないかと思います。


2001.4.18



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