■ 漢語迷の武漢日記 ■
< 第16回 中国人の日本観 >今回は中国人(僕が接しているのは主に学生ですが)が日本、または日本人をどのように見ているのかということについて書きたいと思います。
ひとことで言えば、やはり中国人の日本に対する見方というのはステレオタイプで一面的であることは否定できません。例えば、どの人も知り合ったばかりの頃必ず聞いてくるのは「富士山はきれいか」「日本には桜がたくさんあるのか」「日本の茶道はどのようなものなのか」といったことです。きっと地理の教科書などにこういったことが書いてあるのでしょう。もちろん、この点は日本人の中国に対する理解もさして変わらないといえるかもしれません。多くの日本人が中国といって思い浮かべるのは天安門や万里の長城・パンダ・中華料理・チャイナドレス・一党独裁の政治体制といった程度のものではないでしょうか。
歴史問題が中国人の日本に対する印象の大きなマイナス要因になっている中で、逆に日本に対する親しみをもたらす役割を果たしているのは日本のドラマ・俳優・歌手・漫画・スポーツ選手などです。
ドラマでいうと、中国の若者で「東京愛情故事(東京ラブストーリー)を知らない人はまずいないと言っていいでしょう。同時に鈴木保奈美の名前も知らない人はいません。中国で放映された時、爆発的な人気を呼んだようです。なぜこんなにも中国人に受けるのか、聞いてみたことがあります。それによると、80年代まで愛情のない結婚がまだまだ多くあった中国において、登場人物たちの愛に執着する姿が非常に新鮮に映ったのではないかとのことでした。(ただし、東京ラブストーリーが放映されたのは中国ではつい3・4年前のことだそうです)
俳優で言うと、かつての大スターは山口百恵でしたが、今は酒井法子がもっとも有名な日本人女優と言っていいでしょう。多くの中国人はなぜか日本の女性は優しい(「優しい」という言葉の中には「夫の言うことをよく聞く」という意味が含まれているようです)という印象を持っているらしく、ほとんどの男子学生は僕に「日本の女性は優しいんでしょ」と羨ましそうに聞いてきます。これも先ほど述べたステレオタイプな日本認識の一つです。そして、酒井法子はそうした「優しい日本女性」のシンボル的存在と見なされているようです。
ただ、最近は日本のドラマが多く放映されていることもあり、学生たちの知っている日本の俳優も多様化してきています。柏原崇・キムタク・松島菜々子・深田恭子などは広く知られており、中国人学生の宿舎に行くとポスターもよく貼ってあります。
歌手で言うと、宇多田ヒカル・浜崎あゆみが広く受け入れられており、日本で彼女らのアルバムが出ると瞬く間に海賊版が出回ります。しかし、俳優に比べると知名度はずっと低いといえます。(ただし、これは武漢での話で、広州など沿岸地域に行くと、日本の情報に触れる機会が多いらしく、知っている日本の俳優や歌手の数はずっと増えます。)
日本の漫画が中国人に与えている影響も大きいものがあります。今の学生なら誰もが「ドラえもん」「スラム・ダンク」などを読んで育っています。最近でもテレビで「ちびまるこちゃん」「探偵少年コナン」「セーラームーン」などが放映されています。この背景には、中国国産の漫画やアニメで面白いものがまだまだ少ないということがあると思います。(実際、僕の見たところでも見るに耐えないレベルのものが多いです)
スポーツ選手で言うと中田英寿の名を知らない男子学生はまずいないと言っていいでしょう。中国人はサッカーというスポーツに対する思い入れが強く、テレビでもセリエAやプレミアリーグの試合をよく放送しています。学生食堂のテレビにセリエAの結果が出た時、男子学生がゾロゾロとテレビの周りに集まったのを見て驚いたものです。ただ、民族感情の強い中国人にしては不思議なほど自国のサッカーのレベルに対しては悲観的で、僕が「次のワールドカップは中国にもチャンスがあるんじゃないか」と水を向けると、誰もが決まって「中国は見込みがないよ。やはりアジアナンバーワンは日本だよ」と言います。その分、アジアの星としての中田への期待は大きいようです。
中国人の日本観というと、また堅苦しい話になってしまいますが、どうしても歴史問題に触れざるを得ません。最近、顔見知りの女子学生にある授業で偶然会いました。彼女は前に別の友人に連れられて僕の部屋に来たことがあったのですが、その時はなぜかほとんど話をしませんでした。ところが、今回は別人のように多くのことを話したのでびっくりしました。そして、その後こう言いました。「あなたって、性格がいいのね。日本人てみんなそうなの?」「えっ?」僕は普通に話していただけなので、こんなことを言われて驚きました。そして、なぜそんなことをいうのか彼女に聞きました。彼女によると、日本人というのは歴史の教科書に出ているようにみんな残酷で恐ろしい人たちばかりだと思っていたというのです。だから初めて僕という日本人に接して、そうでもなさそうなので意外に思ったそうです。前に僕の部屋に来た時に積極的に話さなかったのも日本人に対するそうしたイメージがあったからだということでした。
こうした中国人の日本人観というのは決して彼女だけに特殊なものではないと思います。実際、僕のある友人は彼の友人から「漢奸(戦争中、日本側についた裏切り者の中国人をこう呼んだ) 」と呼ばれたと言います。この背景には彼らの祖父母や親類がかつての戦争の中で直接に日本によって受けた被害があるでしょうし、歴史教育の影響もあると思います。
今、歴史教科書問題がさかんに論じられていますが、僕個人の考えとしてはあのような歴史事実に明らかに反した内容で子供を教育することには反対です(詳しいことについてはここでは論じません)。それでは、中国の歴史教育はどうでしょうか。かつての日本の侵略がいかに残酷なものであったのかを中国が詳細に教科書に描くことは被害に遭った側として当然だと思いますし、それが「反日的」になるのはやむをえないことだと思います。ただ、一つ僕が思うのは、もし中国の歴史教育が現在の日本人も恐ろしい人間であるかのような印象を与え、結果的に中国人と日本人の間に壁を作るようなことになっているとしたら、そうした教育方法については再考する必要があるのではないかということです。もちろん、壁の原因は歴史教育だけではないでしょうし、日本人の側が過去の侵略戦争に対する認識を明確にするというということを前提としての話です。もし、日本人側の歴史認識が明確でないために、中国人の怒りを買うようなことがあるとすれば、「壁」の原因は日本人側にあるといえるでしょう。
最後に中国人の日本認識の中で二つほど気になる点を挙げておきます。一つは、日本の侵略戦争に対しては当然のことながら批判が行われていくわけですが、戦後の日本のことになると急速な経済発展という認識だけがあって急に称賛の声一色になってしまうということです。もちろん、僕の考えとしても戦後の経済発展がもたらした恩恵は計り知れないし、そのプラス面が大きいことは否定できないと思います。しかし、その一方で、公害や環境破壊の問題など、マイナス面も多々あったわけです。しかし、そうした面については中国人はほとんど知らないというのが実態です。「水俣病」という言葉を知っている中国人はほとんどいないのではないでしょうか。
日本の侵略に対する徹底した批判と戦後の日本に対する無批判と言えるまでの賛美―このコントラストが中国人の日本認識の一つの特徴をなしているように思えます。
もう一つ気になるのは平和憲法に対する認識です。ここでは平和憲法の是非については論じませんが、不思議に思うのは中国人学生が日本の平和憲法の存在についてほとんど無知なことです。少なくとも平和憲法の存在がかつてのように日本が中国を侵略しない担保になってきたと思うのですが、そのような認識は学生の中には薄いようです。ニュースでは「一部の政治家が平和憲法を改正して、軍事大国化を進めようとしている」といったふうに取り上げられることはありますが、これは単に日本という特定の国を抑制するものとして平和憲法を見ているだけで、平和憲法そのものに普遍的・積極的な意味を見出そうとする姿勢は全くといっていいほどありません。ただ、中国自身が軍備の増強を進めている以上、平和憲法の内容を肯定することはできないわけで、ある意味では当然かもしれません。日本には平和憲法はあって欲しいが、中国にはあっては困るというのが本音でしょう。
こうして見ていくと、中国人の日本認識はまだまだ一面的で、多くの誤解があると言えると思います。同じことは日本人の中国認識にも言えるでしょう。最近、マスコミではとみに教科書問題やODAの問題などが日中間の問題として取り上げられています。こうした歴史や政治の問題について両国間のコミュニケーションを増やし、共通の認識を徐々に作り上げていくことはもちろん重要なことです。しかし、そうしたマスコミでクローズアップされること以外にも、例えば先ほど述べた日本女性に対する認識といったことも含めて、もっと理解を深めていく必要があると思います。その手段は政府レベルを含め多々あると思いますが、その中でも、僕らのような留学生と中国人学生の顔と顔を突き合わせたコミュニケーションというのは非常に大切だと思います。中国に来てからというもの、そのことを痛切に感じる毎日です。僕一人の力は微々たるものですが、両国間の理解を深めていくことに少しでも力になれればと思っています。
2001.6.1
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