漢語迷の武漢日記 

< 第17回 中国大学入試の闇 >


  
  以前、「中国の大学の腐敗」と題して、中国の大学の問題を取り上げましたが、今回さらに突っ込んで中国の大学入試の問題を取り上げてみたいと思います。
  この春、僕の大学4年生の友人が今の大学よりさらにレベルの高いA大学の大学院の試験を受けました。結果は、総合点では合格ラインを超えたもの、数学の点数が合格ラインにわずか一点足りなかったために、不合格に終わりました(中国の入試では日本と違い、総合点以外に各科目ごとの標準点があり、それを越えないと合格できないのです)。
  彼は以前、日本語検定試験の一級を受けた時もやはり一点足りなかったために合格できませんでした。本当に不運としか言いようがありません。しかし、これ自体は公正な試験の結果ですから、仕方がないと言えます。
  問題は次のような現象が起こっていることです。彼の言うところによると、彼の友人がやはりA大学の大学院の同じ学科の試験を受けました。結果は各科目の標準点は全て越えたものの、総合点で合格ラインに達しませんでした。本来ならば、この結果なら当然合格出来ないわけです。ところが、彼は僕の友人と違ってA大学の出身であるために、何と合格してしまったというのです!
  僕はそれを聞いて、友人に「腹が立たないのか」と聞きました。彼は怒った様子も見せず、「仕方ない。こういうことは中国ではごく普通に起こることだから」と言います。もう、あきらめている、といった感じです。彼はすでに浪人して来年再度受験することを決意し、今も勉強に励んでいます。
  こうしたコネのある者、人間関係がある者が得をするという現象は以前も述べたように中国では普遍的な現象です。これらは法的に見れば明らかに違法と言えるでしょう。   ところが、こうした違法な行為以外に、中国の入試には「制度化された不公平」とでも言えるものが存在します。
  その代表が、各省・各直轄市ごとの合格者数の割り当て制度です。例えば北京大学の湖北省出身者の枠は何人とあらかじめ決まっていて、湖北省の受験者で成績の多い人がどんなに多くても、枠以上の数の人は合格できないしくみになっています。この結果、どういう問題が起こってくるかというと、受験生の平均点が高い省においては合格ラインが極度に高くなり、省ごとの合格ラインに大幅な差ができるという現象が起こってきます。
  具体的に言うと、99年度の重点大学(国家の指定したトップクラスの大学)の合格ラインは武漢市で566点、北京では460点となっています(満点は750点)。両者の間にはなんと100点以上の差があるのです。
  ちなみに、各省ごとの合格者枠にどれ位の差があるのかというと、北京大学と並ぶ名門の清華大学では約三千の合格枠中、北京には四百から五百が割り当てられる一方、甘粛省にはわずか40前後しか割り当てられていません。上海にあるやはり名門の復旦大学では99年の二千四百の合格者枠中、なんと千二百余りが上海に割り当てられています(「中華網」参照)。
  こうした割り当て制度が、教育する機会や施設に恵まれない内陸部の生徒たちに大学進学の機会を与える役割を果たしていることは否定できません。もし、こうした制度がなかったら、チベットやウィグル地区など比較的貧しい地域からはほとんど北京大学に合格できる人は出ないということも考えられることです。
  しかし、北京や上海など、最も豊かな地域の生徒が優遇されているとなれば、これは明らかに不公平としか言いようがありません。
  このような不公平な制度が維持されている理由としては諸説あります。政府の教育部には北京出身者が多いため、自分の子弟に有利なようにこうした制度を維持していると意見もあります。また、各大学は現地の政府からさまざまな便宜を図ってもらっているため、現地の枠を増やさざる得ないのだ、という見方もあります。
  いずれにせよ、この制度が何か合理的な理由に基づいているとは言えないことは確かなようです。
  合格者数の割り当て制度に意外に、僕から見て不合理と思える制度に「拡招」と呼ばれる制度があります。「招」とは中国語で「募集する」と言う意味で、「拡招」は正規の枠以外に合格者を拡大するという意味です。具体的に言うと、各大学の合格ラインから不足している点数が20点以内であれば、お金を多く払えば合格できるという制度です。いくら払えばいいかというと、二万元(約三十万円)です。現在、中国人の平均収入は大都市でも約千元ぐらいですから、この額がいかに大きいかわかるでしょう。しかし、大学に入れるかどうかはその子の将来に関わりますから、貧しい家庭でもお金を借りたりして必死に子供を大学に入れようとするはずです。一方、大学にとってはこれは大きな収入になるでしょう。これは、決して非合法な裏口入学ではありません。中国ではこれがれっきとした制度として存在するのです。先ほど「正規の枠以外で」と言いましたが、「拡招」で入った生徒は、一度入ってしまえば他の本科生と何の区別もありませんし、卒業証書も同じです。僕から見れば、これは単に大学が金もうけのために考えた制度としか思えません。
  以上、僕が聞いた範囲、知っている範囲で中国大学入試の問題点を書いてみました。しかし、まだまだ僕が知らない多くの不公平なこと、不条理なことがあることと思います。「中国の社会は暗黒だ」。多くの18、9歳の大学生たちが僕にそう言います。
  中国人にとってよりレベルの高い大学に受かることは将来のより豊かな生活を意味します。大学院に行くことも、日本なら学問的興味からという人が多いかもしれませんが、中国ではほとんどの場合、将来の高収入のためです。特に農村出身の子弟たちは、貧しさから抜け出すために必死になって勉強します。以前報告した農村の状況を見れば、これは皆さんも理解できることと思います。大学受験の結果は本当にその子供の人生を左右してしまうのです。
  ですから、一部の大都市の人間や大学の利益のためにこうした貧しい子供たちの努力をないがしろにするような制度は一刻も早く改善して欲しいものです。


2001.6.27



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