漢語迷の武漢日記 

< 第24回 ある有名記者の見た日本 >


 中国の友達と日本について話していると、よく引き合いに出される話があります。それは、水均益氏の日本での体験です。水均益氏は中央電視台(日本で言えば、NHKに当たるような、中国を代表するテレビ局)で『焦点訪談』『東方時空』などの人気ドキュメンタリー番組の司会をしているキャスターです。最近、パキスタンのムシャラフ大統領の単独インタビューを担当したことからも分かるように、中国では白岩松氏、敬一丹氏などと並ぶ、有名キャスターと言えるでしょう。日本で言えば、筑紫哲也氏、久米宏氏に当たるような人です。
 そのような有名キャスターであるため、水均益の日本レポートは、学生たちの日本観にも、それなりの影響を与えているようでした。彼の日本レポートは、ネット上でも発表されているということだったので、どのような内容なのか、さっそく見てみることにしました。
 このレポートは、『日本よ、私が君に言うことを聞いてくれ』と題され、中央電視台のHPで発表されています。 http://www.cctv.com/tvguide/anchors/shuijunyi/shuijunyi1.html (中国語)
 「私は日本人とほとんど接したことがないが、限られた何回かの接触の中で私に与えた印象は本当に最悪で、許しがたいものだった」と、彼は日本での二つの不愉快な体験を語り始めます。以下、二つの出来事を要約します。
 その一つは、彼が、国連創立50周年の記念行事を取材するため、ニューヨークに向かうと途中、成田空港に寄った時に起こりました。成田空港かあまりにも大きいため、迷ってしまった彼は、カウンターの女性に、ニューヨーク行きの飛行機が何時に出発するのか、どこで乗ればいいのかを英語で尋ねました。ところが、彼女はチケットを見て「北京」とつぶやくと、くるっと振りかえって、どこかへ行ってしまいました。5分ほど待った後、彼女は戻ってきましたが、なぜか、後ろにいた欧米人の手続きを先に始めました。そして、その欧米人に丁寧にチケットを渡しました。彼は、耐えられなくなり、再度、大声で先ほどの質問を繰り返しました。しかし、彼女は顔さえ上げず、どこかへ行ったしまったというのです。彼は、これには本当に激怒したといいます。日本人は中国人を差別しているのだ、と感じたようです。
 もう一つの出来事は、大阪で開かれた、APECの非公式会議に対する日本人の見方を取材するために彼が日本に行ったときに起こりました。彼は、街で多くの人に英語で質問しましたが、日本人は英語がわからないしらく、取材も受けたくないようで、冷たい対応でした。そこで、タクシーに乗ったときに、運転手に質問してみました。しかし、やはり何も答えてくれず、彼が下りるときになって、日本語で二言三言何かつぶやきました。彼は日本語がわからないので、その時は何を言われたのか分かりませんでしたが、ビデオカメラで撮影していたため、後で日本語の分かる友人に、運転手が何を言ったのか、聞きました。運転手は何と、「中国から来たクソ記者め、まだ取材するつもりか、日本の皇軍はなぜあの時、中国人を全部ぶっ殺さなかったんだ」と言っていたというのです。この時、彼はすぐにでも飛び出して、その運転手を殺してやろうかと思ったほどだと言います。
 彼は、この二つの日本体験を例に挙げた後、次のように言います。 「聞く所によると、日本人の中では、中国人を含むアジア人は日本人に比べて遅れた民族で、日本人こそがアジアで最も優秀な民族だと考えられているそうだ。欧米諸国と同じレベルに属することを日本人の誇りとしており、アジアの遅れた民族と「交わり、汚れる」ことを恥としているようだ」
「1997年の初めに、『中国青年報』が「中国青年の中での日本」と題して、大型の読者アンケートを行った。その結果は驚くべきものだった。アンケートに答えた十万人の青年読者のうち、83.9%の読者が「日本と聞いて、最初に思いつくものは」と聞いて、「南京大虐殺」と答え、15項目の選択肢のうちでトップだった。また、「あなたの心のなかで、日本人とはどのようなイメージですか」という質問に対する答えで、最も多かったのは、「残忍」で、56.1%だった」
 そのあと、過去の歴史をゆがめる日本、謝罪しようとしない日本に対する痛烈な批判がされて、この日本レポートは終わっています。
 私は、彼のこの文章を読んで、何とも複雑で、やるせない気持ちになりました。  過去の侵略戦争を徹底的に反省するという過程を経てこなかった(と私は考えます)日本の風土の中で、水均益氏が出会ったような、空港の職員や運転手のような人間がいることは、否定できない事実だろうと思います。そして、中国の方に対して、あのような口汚い言葉を吐く日本人がいることは、本当に恥ずべきことであると思います。また、水均益氏が、あのような日本人に出会ったとき、激怒するのは当然だと思います。
 しかし、その一方で、「記者」という身分でこの日本レポートを書いている彼が、わずか数日間の滞在、しかも日本語もできないという状況の中で接した日本人を見て、あたかもこれが日本人の大多数、日本人の主流であるかのように描いていることには率直に言って疑問を感じざるを得ません。こんな状況下で、果たして日本人を論ずることなどできるでしょうか?彼は、こう言っています。
「一人の記者として、客観的で冷静でなければならないのはわかっている。しかし、一人の中国人として、これらの事実に直面して、とても冷静ではいられない」
しかし、彼が記者であるならば、もともと日本に対していかなる感情を持っていようと、それを一旦留保した上で、一定の期間をとって、日本語の通訳もつれた上で、きちっと取材をするべきなのではないでしょうか。
「聞く所によると、日本人の中では、中国人を含むアジア人は日本人に比べて遅れた民族で、日本人こそがアジアで最も優秀な民族だと考えられているそうだ。欧米諸国と同じレベルに属することを日本人の誇りとしており、アジアの遅れた民族と「交わり、汚れる」ことを恥としているようだ」という、先ほどの言葉にしても、こんな重要なことを、裏付けもなく書いていることにも、記者としての責任感が感じられません。
 「あんなにひどいことを言われたら、日本人を批判するのは当然ではないか。日本人であるお前が、彼を批判する権利があるのか」と、もしかしたら、中国の方からお叱りを受けるかもしれません。しかし、私がなぜ、こんなことにこだわるのか、理由があります。これは以前も書いたことですが、中国に来てから、「"日本人" は嫌いだ」ということを何度も言われました。日本人である私と付き合っているが故に、「漢奸(中国人の裏切り者)」と言われた友人もいます。ここには、かつて周恩来首相が言ったような、「悪いのは一部の軍国主義者であり、大部分の日本人民は友好的である」という考えはどこにも見られません。日本人は全て悪者なのです。「日本人は中国人を蔑視しているのか?」という質問もこちらにきてから数え切れないほどされました。そのたびに、「中国人は何か日本人という存在を誤解しているのではないか」と思ったものです。
 私は、多くの中国人が指摘するように、日本という国が、ドイツなどと比べて、侵略戦争に対する歴史認識においても、また、戦後処理の問題においても、明らかに劣っていることは否定できないと思います。しかし、最近問題になった『新しい歴史教科書』の採択率が極めて低かったことなどを見てもわかるように、一般の日本人の中では、侵略戦争を否定する立場に立っている人は、決して多くないと思います。  また、日本に留学経験のある先生や学生に、日本のことを聞いてみても、差別的な日本人に出会ったとしても、それが日本人の主流であるという人はいません。
 私が恐れているのは、水均益氏のような非常に有名な記者の、しかもたった数日の「取材」で形作られた日本観が、日本人と接したことのない(私のいる武漢でも、日本人と接したことのない人が大多数を占めています)中国人に大きな影響を及ぼし、現実からは乖離した日本人観が広がっていくことです。水均益氏自身が「驚くべき」と言っている、先ほどのアンケート結果が示すとおり、現状でも「残忍」が日本人に対する印象の第一位を占めているわけです。そこへ、この日本レポートを見たら、中国人の反日感情、というより「反日本人」感情にますます拍車をかけることになるでしょう。実際、私のいる大学でも、多くの学生が彼のレポートを見たり読んだりしていて、「日本人はひどい」と思っているわけです。中国で生活している日本人として、こんなにつらく、悲しいことはありません。
 最近、日本でも、一部の密入国した中国人の犯罪をもって、「"中国人"は怖い、危険だ」と決め付けるような風潮があるようですが、これも全くの誤解で、一面的な考え方だといわざるを得ません。多くの中国の方たちは、まじめに仕事をし、勉学に励んでいるのです。
 自分の接した、ほんの狭い範囲の日本人・中国人、テレビや新聞で見た日本人・中国人をもって「日本人は・・・」「中国人は・・・」と決め付けていく、これは本当に危険なことだと思います。これは相互理解をできなくさせ、お互いの距離をますます大きくし、両者の友好を破壊していくと思います。
 この水均益のレポートについて、日本に留学経験のある、新聞学科の先生と話しました。先生はこう言いました。
「私が日本の空港に着いて、右も左も分からないとき、ある人が私について来てくれ、中国語で道を説明してくれた。最後に別れるときに、その人は「何かあったら、連絡してください」と言って、名刺を渡してくれた。その時、その人が日本人だと初めて知った。だから、水均益氏の見方は一面的だ」
「もちろん、日本に行って、不愉快な思いをしたこともある。ある先生は、私が中国人であることを理由に、明らかに冷淡な態度を取った。また、買い物をした時も、私の日本語が流暢でないのを見ると、冷淡な対応をされた」「どこの国にもいい人も悪い人もいる、これが現状なのではないだろうか」
「私は「親日」派でも「反日」派でもない。私は一年日本にいたが、それでも日本に対する誤解はまだまだ、たくさんあると思う。私はもっと日本のことを知りたい。私がめざしているのは「知日」派だ」
 私は、先生の言うことはとても大切なことだと思いました。かつて日本には、「親中」でありすぎたために、文革期などの中国の悪い面が見えなくなっていた人たちがいました。一方、最近は、「反中」でありすぎるために、中国の悪い面ばかりを必要以上に描き出そうと努力している人たちがいます。「親」であれ、「反」であれ、彼らに共通しているのは、事実を出発点にして、中国というものの像を組み立てるのではなく、逆に中国に対して最初から持っている感情を出発点にして、それにあてはまる事実だけを取り出そうとすることだと思います。このように、あるフィルターを通してものを見ることはあまりよくないことだと思います。
 私は、日中双方がこうしたフィルターを通さず、虚心に相手を見つめることが友好への近道だと思います。そして、私も残り少なくなった留学生活の中で、「知中」派をめざして、より中国という国への理解を深めていきたいと思います。


2002.3.28



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