< 第25回 中国における言論の自由 >
数ヶ月前、私が中国人の友人と一緒に発行している『日中ホンネで大討論!』とい
うメルマガが、「国家安全局と新聞事務局による監視」を理由に、メルマガ発行シス
テムによって発行停止にされるということが起こりました。このメルマガでは、チ
ベットや台湾の問題も含め、あらゆる問題をタブー無しに日中間で討論していたの
で、それが政府の出す基準に抵触すると、メルマガ発行システムでは考えたようで
す。
この問題は、『朝日新聞』(2002.2.11)の記事でも取り上げられ、読者の方から
も驚きの声が上がりました。主催者である私たち二人も、こうした言論の自由を侵犯
する行為に対して、しかも、中国政府を批判することを目的にしているのではなく、
日中間の相互理解を目的としているこのメルマガに対するこの行為に対して、怒りを
感じたのは
言うまでもありません。
この発行規制の問題自体は、メルマガ発行システムを変えることで解決しましたが、
その後、中国人の友人が所属する大学の学部が移転しなければならなくなり、移転
先の宿舎にネットをつなげる条件がないために、彼女がメルマガの編集に従事できなくなる
という事態が起こりました。驚いたのは、このことをメルマガで読者の方たちに報告
した後、何人かの人から、「これは当局による言論弾圧ではないのか」という意見を
いただいたことです。このメルマガをつぶすために、彼女の所属する学部ごと移転す
るなどということは、冷静に考えればありえないことだと思いますが、それだけ、中
国は一党独裁で言論の自由がない、少しでも政府の意に反したことをやると取り締ま
られる―このような印象が日本人の多くの人の中に存在するということだと思いま
す。
メルマガ発行システムが政府に監視されるなどということは、日本ではありえない
ことであり、この点から見ても、中国には日本と比べたら、言論の自由がないのは言
うまでもないことです。
しかし、以前も述べたように、中国では大学などの中では、言論はかなり自由であ
り、基本的に何を言っても問題がないというのもまた事実です。
また、中国にいて、一党独裁下で言論が制限されている現状が変わっていくような
萌芽を感じることがあります。今回はそんな例をいくつかご報告したいと思います。
昨年末、中央電視台の人気ドキュメンタリー番組『東方時空』のプロデューサーが
私のいる大学に来て、講演をしました。中央電視台と言えば、中国を代表するテレビ
局で、そのニュースなどで報道される内容は、かなりの程度、共産党や政府の政策を
反映していると言えます。
彼が講演を終えた後、ある学生が、次のような質問をしました。
「鳳凰衛視台、陽光衛視台の台頭によるプレッシャーは感じていますか?」
陽光衛星台というのはその時初めて聞いた名前で、一度も見たことがありませんでし
たが、鳳凰衛視台(フェニックステレビ)は非常になじみのテレビ局で、私もよく見
ていました。なぜなら、鳳凰衛視台のニュースの内容は、中央電視台とは違って、か
なり自由なものだからです。例えば、911テロがあった時、中央電視台ではすぐに報
道されませんでしたが、鳳凰衛視台では、すぐに報道され、以後、他の番組を中止し
て、連続的に報道されました。また、台湾の総統・陳水扁氏は、中央電視台のニュー
スでは、ほとんど画面に登場することがありませんが、鳳凰衛視台では、彼のことも
含め、台湾関係のニュースも頻繁に取り上げられます。そんなこともあり、学生の間
でも鳳凰衛視台は人気があります。
この学生の質問は、こういった現状を踏まえてのものでした。これに対するプロ
デューサーの回答は、私に深い印象を残しました。彼はこう答えました。
「鳳凰衛視台がいくら伸びているといっても、その広告収入はまだ中央電視台の十分
の一以下で、中央電視台の地位を脅かすには至っていない。しかし、これは私個人の
意見だが、中央電視台の独占的地位は、できるだけ早く終結すべきだと考えている。
テレビ局の間には競争が必要だ。もちろん、中央電視台の台長は、私のこの考えには
同意しないだろうが」
彼がこう言うと、会場からは拍手が沸きました。
私は彼のこの意見を聞いたとき、中央電視台が単なる政府や党の宣伝機関であり続
け、世論をリードしていくことに批判的なのだと思いました。
注目すべきなのは、これが中央電視台の看板番組のプロデューサーから出た意見で
あり、しかも、それを堂々と講演会という場で述べたことです。日本の一部のマスメ
ディアでは、中央電視台=共産党・中国政府の宣伝機関=その番組は党・政府の意向
を反映したもの、というような、単純な見方が散見されます。もちろん、こうした見
方が全く的外れであるとは言えません。しかし、このようなプロデューサーの意見を
見たときに言えるのは、党・政府―中央電視台―各番組の間の関係は、単純な上意下
達の関係ではありえないということです。上からの様々な制限を受けながらも、自分
たちの作りたい番組を作りたいものを作ろうとする現場―こういった上と下の矛盾と
いう面も中国のメディアを理解する上では見逃してはならないのではないでしょう
か。そんなことを、このプロデューサーの意見から感じました。
もう一つの例も、学内でのできごとです。
私の友人Zさんは、大学生ながら、共産党員です。彼女はすでに高校生の時に入党
しています。高校生で共産党に入党するというのは中国では簡単なことではないそう
ですが、彼女は成績が抜群によかったために、先生から推薦されて、党員になったそ
うです。
その彼女とは、以前、日本語と中国語をお互いに教えあっていたこともあり、よく
いろんなことを討論しました。この日記でも以前書いたような、新彊やチベットでの
体験を踏まえて、中国政府が言っていることとの大きなギャップを指摘したり、台湾
では統一を支持する人が少ない現状などを話すと、最初は強く反論してきたもので
す。「あなたと話していると、私が学んできたこととあまりにも違うことを言うの
で、何だか怖いわ」などとも言っていました。
しかし、何回か話しているうちに、だんだんと彼女も私の言うことに理解を示して
くれるようになりました。そして、ある時、「大学内の共産党員を集めて、留学生と
の討論会を開きたいの。いつも私とあなとが討論していることも含めて、何でも討論
していいわ。どう?」と言ってくれました。大学内の共産党員と言えば、かなりの数
がいるはずですが、そこに集まるのは、かなり中心的なメンバーのようでした。私は
面白いと思い、すぐにOKしました。
討論の当日、約十人ほどの共産党の学生と、私を含めた三人の留学生が集まりまし
た。当然といえば当然ですが、彼らは見た感じ、普通の学生と違いはなく、何の緊張
した雰囲気もありませんでしたが、最初は様子見という感じで、無難のことを話して
いました。しかし、そんな状態がしばらく続いたところで、Zさんが横から私をつつ
きました。
「ねえ、どうしたの?どうして、いつものように、台湾とか新彊とかチベットの話を
出さないの?」
そこで、それをきっかけに、私はこれらの問題についての持論を展開しました。こ
れらの話題は、中国では「敏感」と言われる、非常にデリケートな問題で、これらの
話題を出すと、不愉快な顔をする中国人もかなりいます。しかし、彼らは共産党の見
解とはかなり違う私の意見を聞いても、不愉快な顔一つせず、正面から討論してきま
した。その理論内容は、共産党の公式見解にかなり近いものでした。しかし、20歳前
後の若い彼らが、普段は討論することがタブー視されているようなこれらの問題に、
一生懸命挑んでくるのを見て、私はとても爽やかな気持ちになりました。
実は、討論の前にZさんが言っていたのは、もし顧問の先生が来たら、こうした話
題を討論することは許されないだろうということでした。幸いその日は先生は来ませ
んでしたが、Zさんは、敢えてそうした話題を討論する場を提供してくれたのです。
彼らは、やがて共産党の中心を担っていく人材かもしれません。こうした世代が共
産党や政府の中枢に入っていったとき、中国の政治も大きく変わって行くのかもしれ
ません。
私がこの二つの例を挙げたのは、一党独裁=画一的な思想をもった国民というよう
なイメージを持たれがちな中国において、共産党の若い人たち、あるいは中央電視台
という、比較的共産党に近い所にいる人たちの中にも、その枠に収まらない、柔軟な
考え方が芽生えてきているということです。そして、こうした、いろいろな所に芽生
えている変化が、長い目で見たときに、やがては中国の政治や社会を大きく変化させ
ていく基礎になっていくような気がします。
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