■ 漢語迷の武漢日記 ■
< 第26回 タクシー運転手との会話 >中国で日常的に使う交通手段と言うと、だいたいバスがタクシーになります。汽車は長距離の時しか使いませんし、地下鉄は武漢ではまだ建設中です。
バスは武漢の場合1.2元(約18円)。まだまだ所得の低い中国の市民の主な交通手段になっています。一方、タクシーの初乗りは武漢の場合、8元(約120円)。日本の感覚で言えば、かなり安いですが、中国の所得や物価水準から考えれば、かなり贅沢な交通手段と言えます。ですから、中国の学生で、タクシーに乗ったりする人はほとんどいません。留学生の中で比較的お金のある人は、ほぼ毎回タクシーを使いますが、私の場合、それほどお金もないので、タクシーはほとんど使いません。しかし先日、帰りが遅くなり、バスもなくなってしまったので、久々に友人とタクシーに乗りました。
タクシーに乗ってしばらくすると、運転手が大きなあくびをしました。それを見て、「おい、大丈夫か」と思い、友達と思わず苦笑してしまいました。すると、運転手は「何を笑ってるんだ?」と言いました。
「あくびをしていたんで、ちょっと心配になったんです。眠いんですか?」そう聞くと、運転手はあくびのわけを話してくれました。
「それは眠いさ。俺は毎日夕方の4時に起きて、5時から翌朝の7時まで運転しているんだ」
「なぜ、そんな時間に運転しているんですか?そんな時間では、乗る人も少ないでしょう?」
「客は本当に少ないよ。昨日もおとといも赤字さ。でも仕方ない。昼間は老板(社長)に車を返さなければいけないんだ」
どうやら、そのタクシーは、会社からレンタルするという形になっているようでした。会社は、昼間はもう少しお金のある、別の人にレンタルしているのです。そして、その運転手はおそらくお金があまりないために、客の少ない時間帯しかレンタルすることができないのです。
「本当にひどい話だ。毎日こんなに長い時間働いて、日曜や春節(中国の正月)すらない。一年中、ただの一日の休みもなく働いている。それなのに、一ヶ月の収入はたったの千元(約15,000円)強だ」
「昔は俺にも別の仕事があった。国営の靴工場で働いていたんだ。でも、84年に下崗(レイオフ)になってしまった。下崗と言っても、事実上は失業だ。あれから、ただの1銭の手当てももらっていない。共産党はいろいろ言っているが、俺たちのことなんか、何も考えてやしないんだ」
中国では、タクシーの運転手、それから武漢では麻木(マームー)と呼ばれる、客を後ろに乗せられる三輪バイクの運転手のほとんどは、下崗になった労働者です。彼もまた、そうした一人のようでした。
「あんたらはいいよなあ、きっと数千元の給料をもらっているんだろう?大学を卒業すれば、それぐらいもらえるわけだ。でも、俺には学歴がない。学歴がなければ、今の中国ではだめなんだ。俺の息子も、高卒で、安い給料で働いてるよ」
彼は、私たちが学生であることにも留学生であることにも気づかないらしく、そういいました。彼のやるせない気持ちが、しみじみと伝わってきました。
タクシーの運転手たちは、生活が苦しいだけに、自国に対する見方も非常にリアルです。以前、別のタクシーに乗っていたときに、こんな会話がありました。その運転手は言いました。
「日本は経済が非常に発展しているんだろう?」
「いやあ、最近はだめですよ。ずっと不景気が続いています。失業率もどんどん高くなっていて、仕事も探しにくく、みんな悲観的になってます。それに比べて、中国の経済発展の速度はすごいですね」
「そうは言えないさ。日本の経済というのは、人の成長に例えれば、もう大人なんだ。大人になったら、あまり成長しないのは、当然のことだろう?逆に中国の経済というのは、まだ子供の段階なんだ。今は伸び盛りの時期なわけだから、成長が日本より速いのは当たり前のことだよ」
やはり、下崗した労働者である彼の適切な比喩と冷静な分析を聞いて、思わず大きくうなずいてしまいました。
「あなたは、ひょっとして、以前工場で幹部か何かをされていたのですか?」
「いやあ、ただの労働者だったよ」
いま中国では日々、「中国の経済発展はこんなに速い、こんなにすばらしい」といったことが報じられています。一方、日本では、これに呼応するように、「日本はGDPでもうすぐ中国に追い越される」といった、一種の中国脅威論が一部で声高に叫ばれています。しかし、中国の経済発展の恩恵にあずかる所の少ない、タクシー運転手たちの声は、中国の経済成長と言われるものの内実をより深層から語っているように思います。
ちなみに最近、憲法の先生と話す機会がありました。その先生は以前、弁護士をしていたそうです。 「中国では弁護士の収入というのはどれくらいなのですか?」
「一番儲けている人なら、年に数百万米ドル稼いでいるよ。数十万米ドルの年収の人ならざらにいる」
私は、その数字を聞いたとき、何かの間違いではないかと思いました。数百万米ドルと言ったら、数億円ということになります。平均収入が日本の数十分の一しかない中国で、そんなに稼ぐことがどうして可能でしょうか?しかし、もう一度確認したところ、その数字に間違いはありませんでした。実際、その先生も、私が武漢に来て初めて見た、自家用車を持っている先生でした。
毎日十数時間、一日の休みもなく働いても月わずか15.000円の収入にしかならない、タクシー運転手。数億円の年収の弁護士。そして、以前「中国農村訪問記」の中で報告したような、肉・魚・卵すら食べることのできない農民たち。中国における経済格差というのは、想像を絶するものがあります。
休日などにマクドナルドやケンタッキーに行くと、席を見つけるのが難しいほど人でごった返しています。ラーメンの5・6倍の値段がするセットメニューを中国人かこぞって食べているのを見て、中国も豊かになったのだなあ、と思うことがあります。しかし、そうした場所を利用している階層は、実は本当に限られているのかもしれません。
統計などの数字に表れない、一人一人の生活を見ながら、中国社会の本当の姿を少しずつつかんでいきたいと思います。
2002.5.12
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