■ 漢語迷の武漢日記 ■
< 第28回 中国での仕事の始まり >3年近く生活した武漢を離れ、日本に2週間程度滞在した後、再び中国に戻って来ました。今度は内陸都市・武漢とはうって変わって、沿海部の都市、深センです。深センはご存知のとおり、中国が改革開放政策を始めてから、もっとも早くに経済特区として開放された都市で、当時、一漁村に過ぎなかった所が、わずか20年程度の間に、今では中国で最も大きな都市の一つへと変貌しました。深センの中心部に行くと、日本の新宿にあるような高層ビル群が、その何倍もの規模で、所狭しと並んでいます。ここには、日本を始め、多くの外資企業が、やすい労働力、さまざま優遇政策、そして、最近では潜在力のある市場に目をつけ、進出しています。
深センといっても、いわゆる特区内はコストが高くなりすぎたため、今では多くの企業は、特区外、つまり深センの郊外に工場を建設しています。私が仕事をすることになったのも、そんな深センの郊外にある日系企業の一つです。特区からはバスで一時間以上かかる所なので、ビルの林立する特区内とは全く環境は違います。デパートのようなものはまだなく、大き目のスーパーが一つあるだけです。ファーストフードもありますが、昨年の秋ごろにできたばかりだそうです。それ以外に、特に目を引くような大きな店はありません。私が武漢にいたときに住んでいたのは、教育地区・武昌だったので、市の中心部にいたわけではありませんでしたが、それでもデパートがいくつかありました。ここは武昌よりも街の規模が小さいと言えるでしょう。
しかし、ここに10年ぐらい前から派遣されている方の話だと、来たばかりのころは、電気のあるところもまだ少なく、周りは真っ暗だったそうです。道路も舗装されていないところが多く、ビールを買おうと街の店を回ると、街中のビールがほとんどなくなってしまったと言います。その時から考えると、驚異的な発展だとその方は言います。 現在、この会社で働いているのは数千人、そのほとんどは、四川省や湖南省など、外地からやったきた女工さんです。給与は残業代を含め、一ヶ月800元( 約一万二千円)ぐらいのようです。私も研修ということで、生産ラインの一通りの作業を経験することができました。基本的には単純作業ですが、場所によっては、かなりの手先の器用さを必要とするものもあります。私がやっても、なかなかうまくいきません。それを手早くこなす女工さんを見ていると、ちょっとした職人芸という感じです。不器用に作業をしている私を見て、女工さんたちは、ニヤニヤ笑っていました。
こうした作業を丸一日、しかも毎日やるのは、大変なことだと思います。休み時間のチャイムがなると、三秒後にはラインに誰もいなくなっていました。まるで、つまらない授業に耐えかね、休み時間を今か今かと待ち構えていた小学生が、チャイムとともに校庭に飛び出していくという感じです。それからも、事務所で仕事をしていて、チャイムがなると、「ドドドドド」という、地震でも起こったかのような音が聞こえてきます。これは、外に駆け出していく女工さんたちの足音です。何しろ、数千人もいますから、それが合わさると、すごい音になります。
休み時間に数千人もの女工さんたちが行き来する様子は壮観です。彼女たちの多くは、貧しい農村から家に仕送りするために出てきているので、必死に節約すると聞いていましたが、休み時間に工場の向かいにあるお店でアイスを買って、おいしそうに食べている女工さんたちを見ると、時代も少しずつ変わってきているのかなあと思いました。実際、武漢に行ったばかりのころ、ジュースやアイスを買ったりできる大学生は極めて少なかったのです。
先日、夜にパトカーが来たので、何事かと、寮にいる日本人のIさんと一緒に外に出ました。女工さんたちが集まって、何やら話しているので、どうしたのかと聞くと、「飛び降りだ」と言いました。「ええっ?」私たちは真っ青になりました。しかし、よく聞くと、飛び降りたわけではなく、飛び降りようとしたところを止められたということで、一安心しました。聞くところでは、ラインの隣の人と喧嘩をしたことが引き金になったということです。
「これだけ多くの人たちが農村から出てきて働いているんだから、みんなそれぞれいろいろな悩みやストレスを抱えているんだよ」とIさんは言いました。
日本人は私も含め、わずか7人です。何人かの方は、ここでの生活にかなり参っているようです。私と同じく、会社内の寮に住んでいるIさんは、「ここでの単調な生活には耐えられないよ。まるで檻の中にいるようだ」と言っていました。無理もありません。日本での生活になれてしまうと、ここでの生活は恐ろしく不便で、刺激のないものに感じられるでしょう。中国語ができなければなおさらです。
中国で仕事をしていると、日本では考えられない事態に直面します。私がここに来る前、会社ではある工事を業者に依頼していました。ところが、工事を途中まで進めたところで、業者と連絡が取れなくなってしまったというのです。その仕事を私が引き継ぐことになりました。
名刺にある携帯番号にかけると、社長と違う人が出てきました。
「社長はどこに行ったんですか?」
「知らない」
「知らないわけはないでしょう。これは社長の電話なんだから」
「この電話は彼が俺に貸しているんだ。彼がどこにいるかは知らない」
こんなやりとりをしていても、埒があかないので、名刺にある住所を見て、直接乗り込むことにしました。ところが、その辺りに行っても、それらしき店は見つかりません。周りの人に聞いて回っているうちに、その業者らしい店を見つけました。店といっても何の看板もありません。外から見ても、いったい何をやっている店なのかわかりません。そこにいた女性に、私の会社の名前を名乗り、工事のことを聞くと、女性の顔が引きつったような気がしましたが、「知らない」で通すので、こちらとしては本当に依頼した業者なのか、確信も持てず、仕方なく会社に帰りました。帰ると、ある職員が、店の場所を知っているというので、もう一度いっしょに行きました。すると、やはり先ほど行ったところではないですか!今度は間違いがないので、かなりきつい調子で、その女性を問い詰めました。しかし、知らぬ存ぜぬの繰り返し。結局、こちらとしてはどうしようもないので、この業者のことはあきらめ、信頼のおける別の業者を探すことになりました。
今度は、前回の教訓を踏まえ、連絡先や店構えもしっかりしていて、逃げる可能性のない会社を探しました。ある会社のパンフレットを入手しましたが、カラー写真入りで、写真で見る限り、店構えもしっかりしています。私の前任者とも面識があるようです。そこで、この会社を訪ねることにしました。 実際店に行くと、確かに店構えはしっかりしており、前の会社とは全く違います。早速、社長と交渉を始めました。細かい値段交渉や条件交渉を済ますと、「一度会社に戻って、上司と相談してから最終的に決めます」と社長に伝え、帰ろうとしました。すると、社長は「ちょっと待ってください」と言い、何やら紙に書き始めました。「それでは、飲茶( ヤムチャ)でも一緒にいかがですか」と言いながら、そのメモを私に渡しました。
私はそれを見て、ギョッとしました。そこには「あなたに飲茶をご馳走すると同時に、五千元( 約七万五千円)を差し上げます」と書いてありました。五千元と言えば、中国の比較的給料のいいサラリーマンの二か月分以上に当たる額です。ちなみに、これは総取引予定額の7〜8%です。
「いや、それは受け取れません。中国ではこれは普通のことであるのは知っていますが、私は受け取れません」
遠慮は必要ない、と何度も言ってくる社長の攻勢を必死に断ると、社長は慌てて私の手の中にあるメモを取り上げ、クシャクシャに丸めました。そして、「じゃあ、飲茶だけでも、一緒にどうですか、それなら問題ないでしょう」と言いました。食事をする位なら、行ってもよかったのかもしれませんが、高級な料理など出されても困るので、やはり断り、逃げるようにして車に乗り込みました。社長は不可解な様子でした。
私が就職活動をしていたころ、購買の仕事がありました。そのことを中国人の友達に話すと、誰もが「おい、その仕事はいいぞ。購買ならリベートがいっばいもらえるじゃないか」と言いました。それが、会社に損失をもたらす行為であることをいくら話しても、理解できないようでした。そんなこともあったので、中国ではリベートの授受にほとんど罪悪感がないということは知っていました。しかし、いざこうして、しかもこんなに簡単にリベートを渡されそうになると、やはり驚きます。
日本企業は、欧米企業に比較すると、仕事を現地人に任せないと言われています。それは時に批判的に言われます。そして、私も仕事を始めたころ、「なぜ、このような仕事を中国人に任せないのだろう?」と疑問に思っていました。しかし、こうした体験をすると、ある仕事を中国人に任せられない理由も理解できます。中国人ならば、リベートを受け取っていた可能性がかなり高かったでしょう。
「日本人だって同じことをやっている」と言う方もいるでしょう。実際、日本人同士の取引きでも、リベートのやりとりなど、普通にやられている所もあるのかもしれません。しかし、こうした行為を少なくとも「悪いこと」と考える観念において、日本人と中国人の間には大きな違いがあるのは確かだと思います。そして、中国政府の腐敗の深刻さも、その原因の一つは、一党独裁による権力の集中でしょうが、もう一つは、社会の中に普遍的にある、こうした行為に対する罪悪感のなさだと思います。小さな腐敗の積み重ねの上に、大きな腐敗も成り立っているのです。
中国は今、急速に経済発展しています。技術レベルでも、分野によっては、間もなく日本に追いつき、そして凌駕すると言われています。しかし、資本主義には、技術の発展以外に、それを支える目に見えないソフトが必要です。その中で重要なものが、中国語で言うところの「敬業精神」だと思います。敬業精神とは、文字通り、仕事を敬う精神のことです。つまり、会社から給料をもらっているからには、あるいは顧客から仕事を請け負ったからには、その仕事にプロ意識をもって、責任を負うということです。物を購入するなら、会社のためには、できるだけ安くて質のいいものを購入しなければなりません。リベートをもらったら、当然それは実現できなくなります。
今回の工事をめぐる出来事は、中国では目に見えないところで資本主義を支える、こうした精神がまだまだ欠落していることを示しています。しかし、中国では、日本の経済発展の一つの重要な要因として、この「敬業精神」を挙げ、それに学ぼうという考え方も増えてきています。
逆に言えば、日本が経済的に停滞している中で、こうした精神も失ったら、それは日本の優位性を失うことであり、その時は本当に日本経済の未来は本当に暗いということになります。そうはならないことを祈ります。
2002.7.28
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