漢語迷の武漢日記 

< 第29回 中秋節の憂鬱 >


  間もなく中秋節がやってきます。中秋節とは旧暦の8月15日のことです。日本で言う「中秋の名月」に当たります。日本ではほとんど形骸化してしまっていますが、中国では重要な祝日(といっても、会社や学校は休みになりませんが)の一つです。この時期になると、中国では普段お世話になっている人に月餅を送ります。この点は、日本のお中元に当たると言ってもいいでしょう。私のいる会社でも毎年この時期になると、お客様などに月餅などの贈り物を送ってきたようで、今年は私がその準備を担当することになりました。
 去年の送り先のリストを見ていたら、その中に政府の人たちが入っていました。政府?私はちょっと憂鬱な気持ちになりました。私は中国の法律がどうなっているかはわからないのですが、日本の法律で言えば、政府関係者に利益を提供する行為は恐らく違法です。しかも、私は政府との対応を担当しているので、物を直接渡すのは私ということになります。ちょっとした付け届け程度のものなら、許容範囲でしょうが、あまり高価なものだったりすると困るので、とにかく事情を確かめたく、今は会社を変わった前任者の日本人に連絡しました。
 「去年は政府の人にどんなものを送ったのですか?」
 「月餅はみんなが贈るので、いやがられるんだよね。だから、去年は酒とタバコを贈った。本当は、買い物券なんかがいいんだけどね」
 「買い物券?そんなもの贈っていいんですか?」
 「そんなの、物だって買い物券だって同じことじゃない」
 私はますます憂鬱になりました。買い物券と言えば、限りなく現金に近いものです。彼は物も買い物券も同じと言いますが、お中元のようなものとして贈り物をするのと、買い物券を贈るのとでは、本質的な違いがあるように私には思えました。ましてや、それを私自らが贈らなければならないのです。
 周りの中国人に相談してみると、彼らにとっては政府の人に買い物券を贈ったりすることは、特に悪いこととか、重大なこととは認識されていないようでした。そこで、私はたまらず、現地法人のトップである日本人の総経理にこの件を相談することにしました。
 「買い物券を贈ったらどうかという話が前任者からあったのですが、そんなことをしていいのでしょうか?」
 私が尋ねると、総経理は激怒し始めました。
 「誰がそんなことを言ったんですか?日本の盆暮れの付け届けと同じ範囲で、中国の一つの習慣として、中秋月に贈り物をすることは、会社としても承認しています。でも、買い物券や現金を贈るなど、絶対に許しません!」
 総経理がこう言うのには、それが倫理的・法律的に許されないということ以外に、会社の最終責任者として、何か問題があったときに最終的に責任を負わなければならないのは自分だという、大きなプレッシャーがあるようでした。私は、総経理のこのきっぱりした態度を見て、安心すると同時に、うれしく思いました。
 その後、各部門の人たちと、中秋節の贈り物のことで話をしました。その中に、通関部門のLさん(中国人女性)がいました。何かわからないことがあって質問すると、面倒がらずに丁寧に教えてくれる、とてもいい人です。Lさんとは、以前に通関のことで話したことがありましたが、そのときにこんなことを言っていました。
 「中国というのは、まだまだ人治の国なのよ。以前、私がある税関の定めた規則に違反しているという理由で罰せられたことがあったの。それで、その規則とは具体的に何なのかと聞いたら、ある冊子を見せて、この中に書いてあるというの。じゃあ、その規定の書いてあるところを見せてくださいと言ったら、なんと、これは機密事項だから、見せられないと言うのよ。公開していない規則で罰するなんて、こんな馬鹿な話がある?結局、こういうことだと、税関の役人を接待したりして、関係を良くする以外に、不当な懲罰を防ぐ方法はないの。これは仕方の無いことよ」
 これを聞いて、何とも複雑な気持ちになりました。いわゆる腐敗というのは、自分の会社だけに有利なように法律や規則を変えてもらう、本来は許されないことをやらせてもらう、何らかの商品の受注をしてもらう、といった目的のために、役人の便宜を払うものですが、役人が最低やるべき仕事をやってくれない、それをやってもらうために便宜を払う、それも、現金を渡したりするのではなく、たまに接待する、これは、Lさんの言うような、中国の特殊な環境の下では、ある程度は仕方がないことなのかもしれない、とも思いました。しかし、あまり度を過ぎたこともしてほしくないな、という気持ちもありました。
 そんなこともあったので、この通関員のLさんが、今回の中秋節の贈り物の件で、どんなことを言ってくるか、やはり気になりました。
 「Lさん、中秋節の贈り物のことですけど、どうしますか?」
 「買い物券がいいんじゃないかしら」
 「ええっ?買い物券?それはまずいんじゃないですか?」
 「でも、物だったら、相手が要らないといったらどうするの?そうしたら、その分のお金が無駄になるわよ。買い物券だったら、自由に好きなものを買えるから、その方が相手にとっていいじゃない」
 そう、全く悪びれずに言うLさんを見て、私はあっけにとられてしまいました。そこには、倫理的にどうか、法律的にどうか、といったことが考慮されている様子は全くありませんでした。恐らく、彼女の中にはそういった概念自体が元からないのだと思いました。そうでなければ、あんなに淡々と言えるわけがありません。
 「でも、総経理はそれは許さん、と言ってるんですけど・・・」
 「えっ、そうなの?」Lさんは、そういうと、他の通関員と相談を始めました。そして、言いました。
 「ならば、総経理の言うとおりにしましょう」
 あまりにも、あっさり引いてきたので、またまたびっくりしました。どうやら、買い物券という話も、それほどの決意を持って言っていたというわけではないようです。とにかく、これを聞いて、安心しました。ただ、それが通関の仕事にどう影響するのか、ちょっと心配ですが。
 私がこんなことにこだわっているのを見て、ビジネス経験豊富な方は「そんなきれい事でビジネスができるか」と私の世間知らずを笑っていらっしゃるかもしれません。私も、経験を重ねるにつれ、特にこの中国という、まだまだ「法治」ではなく「人治」で動いている国においては、先の税関の例にもあるように、ある程度の柔軟性を持って対応せざる得ないということを理解しつつあります。すべて日本の基準をあてはめてやろうとしたら、下手をしたら、会社に大損失をもたらすことになるでしょう。
 しかしながら、私が恐れているのは、中国が人治の国である、ということの上にあぐらをかき、倫理的な緊張感を失い、感覚が麻痺してしまうことです。実際、私が見聞きした日本人の中にも、役人に「お年玉」を配ることに何の罪悪感を感じなくなっている人、逆に、接待を受けることが度を過ぎて、そこから抜け出せなくなってしまった人がいます。
 中国という「人治の国」にいながらも、自分なり、会社なりの倫理的な線はしっかり引いていく必要があるように思います。そうしないと、利益という角度から見ても、短期的には利益を得ることはできても、長期的に見ると、いつかは大きな損失をこうむるのではないかという気がします。
 今、中国には多くの企業が進出し、国内企業も含めた競争は激化しています。その中で、不当な方法に依拠して利益を稼ぐ会社も多いのかもしれません。私は、正当な方法で一生懸命仕事をして、会社に利益をもたらせるよう頑張るしかありません。このように考える私は、あまりにもナイーブすぎるでしょうか?


2002.9.8



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