漢語迷の武漢日記 

< 第31回 民主への鼓動 >


 昨日(11月8日)から、中国共産党第16回大会が開かれています。その中でも繰り返し登場しているのが、江沢民主席の唱える「三つの代表」というスローガンです。 この「三つの代表の」の一つが「最も広範な人民の根本利益を代表すること」です。 そして、このスローガンに基づき、かつては「階級敵」とされてきた私営企業家、いわゆる資本家の共産党への入党を許すこともすでに決まっています。 つまり、共産党は、かつてのように、労働者と農民の利益だけを代表することを放棄し、「資本家」も含めた全ての国民の利益を代表することを目指すことに決めたということです(そんなことが可能かどうかは別ですが)。
 数年前に、数十年続いたインドネシアのスハルト独裁政権が崩壊しましたが、その原因として、「中産階級の台頭」をあげる人が多くいました。 経済が発展してくると、経済的に力をもった新たな階層が登場し、その利害が独裁政権の利害と衝突するようになると、独裁政権のよって立つ基盤が掘り崩されていきます。
 中国共産党が私営企業家の入党を認めた背景にも、「新たに台頭してきた私営企業家たちが、共産党の政策に不満を持ち、独自の政治勢力を作るようになったら、共産党政権は危ない。 その前に、彼らを取り込まなければならない」という認識があったと思われます。 その意味では、これは賢明な選択と言えるでしょう。 江沢民が「三つの代表」をあれほど強調するのも、俗に言われているような「自分の名を後世に残すため」というだけではなく、こうした背景があるからだと思われます。
 中国は共産党一党独裁の国家ですが、だからといって、国民の意見を聞かずにやっていけるというわけではありません。 ましてや、現在のように市場経済が発展し、さまざまな利害を持った階層が登場してきている中にあっては、なおさら彼らの利害をうまく取り込んでいかなければ、安定した政権は作れません。 そして最近、こうした点を意識してか、中国の中で、これまでは考えられなかったような民主的な政策・スローガン・企画などが登場してきています。
   先日、中央電視台の討論番組をつけてみると、「政府情報公開条例」という字が目に入りました。最初は外国の話だと思っていたのですが、よく聞いていると、中国でこの条例が起草されていることがわかりました。 政府情報公開条例?一党独裁体制をとり、言論をさまざまに規制している中国で、政府の情報を公開するための条例が制定されようてしている。これは私にとってはちょっとした驚きでした。 この番組は、司会者が起草委員の一人にインタビューするという形をとっていましたが、政府がこのような政策を出したことを賞賛するというスタイルではなく、 「どこまでの情報が公開されるんですか?」「例えば、市長の収入なども請求すれば知ることができるのですか?」 「なぜ、『条例』で、『法』にはしないんですか?」などと、鋭い口調でかなり突っ込んだ質問をしていたのも印象的でした。
 その後、この条例の内容を調べて見ました。情報公開の基準など、細かいことはわかりませんが、少なくとも、「政府の情報は公開を原則とし、非公開は例外とする」「情報の請求は無料とし、あらかじめ定められた実費のみを徴収する」などの内容を含んでいることがわかりました。
( http://tech.sina.com.cn/it/e/2002-11-05/1011148038.shtml を参照)
 次のような声もあります。
 「国務院のある匿名の官僚は『政府情報公開条例』の草案を見た後、驚いて次のように述べた。『もし(この条例が)本当に実施されたら、これはまさに一つの革命だ。 我々の仕事の中では、握っている政府の情報は全て国家に属するもので、非公開を原則とし、公開は例外とされてきた。時には、その例外すらなかった。 それが今、この条例の第二条は政府の情報は公開を原則とし、非公開を例外とすると言っている。これは根本から我々の仕事の方式と思考回路を変えるものだ。これはまさに、仕事における制度の革命だ」 (同上サイトより引用)
 この条例はあくまで「条例」であり、「法律」ではないので、例えば情報公開をめぐって請求者と政府の間に対立が起きた場合、裁判によって解決できるか、定かではないと言います。その意味では、この条例に限界があることは確かでしょう。 しかし、先ほどの官僚が率直に吐露しているように、この条例が官僚に大きなプレッシャーを与えることになることも間違いありません。これは極めて大きな変化と言えるでしょう。
 他にも、「民主」への足跡を聞ける例があります。これも中央電視台の討論番組でしたが、次のような討論がありました。
 司会者:「江沢民主席は最近、「依法治国」をスローガンとして掲げていますが、これは以前、掲げていた「以法治国」とどう違うのですか?」
 全人代法律委員会副主任:「この二つはたった一字の違いですが、実は非常に大きな違いがあります。以前のスローガン「以法治国」は「官」、すなわち政府が法律をもって「民」、すなわち国民を統治することを意味していました。 しかし、いま掲げている「依法治国」は、法律に基づいて、「民」が「官」を監督することを意味しています。すなわち、法で取り締まられる対象は「民」ではなく「官」であることを明確に示したのです」
 かつて、中国の国民は共産党および政府に指導される対象でした。そして、改革開放政策が始まってから、「人治」から「法治」へ、ということが掲げられましたが、法は依然として「官」が「民」を取り締まるための道具でした。 しかし、今ついに、共産党自身が法律を「民」が「官」を監督するためにものと認めたのです。この意義も、決して軽視はできないと思います。
 その他にも、例えば、春節の汽車の切符の値上げをめぐって、市民の傍聴会が開かれたり、南京市で「市民フォーラム」という名称で、市長と市民の討論会が開かれ、市長が市民の批判の矢面に立つというような、これまでは見られなかった新しい動きが至る所で見られるようになっきています。 また、「民告官」(市民が政府を訴える)と呼ばれる行政訴訟も、以前では考えられないことでしたが、今ではごく普通のことになってきています(もちろん、勝訴が簡単ではなかったり、「民」の側に立つ弁護士にかなりの圧力がかかったりということはあるようですが)。
 こうした私の見方を見て、「そんなに中国は民主的になっているのか?実際、一党独裁の体制自体は何も変わってないではないか。中央電視台は政府の宣伝機関で、さも政府が民主的なことをやっているように宣伝しているだけではないか」と言われる方もあるかもしれません。 実際、私自身、自分が主催する『日中ホンネで大討論!』の中国語版が発行を規制されたりしたこともあり、中国にはまだまだ自由と民主がないというとは実感しているところです。しかしながら、政府が民主的な政策を推し進めなければならない必然性も存在しています。 その背景の一つは、最初にも述べたように、市場経済の発展に伴う、経済的に力を持った新たな階層の登場ですが、それ以外にも、政府の深刻な汚職・腐敗やWTO加盟にともなう国際社会からの圧力があると思います(WTOは加盟国に政府の情報の透明化を求めています)。
 1989年に学生たちの民主化運動が政府によって弾圧されてから早いもので、13年以上もの月日が過ぎました。その後の経済発展は、「民主化運動」などという文字を中国人たちの頭の中からすっかり消し去ってしまったようです。 今、中国人たちの頭の中にあるのは「政治」ではなく「経済」です。  しかし、その経済発展がもたらした私営企業家という新しい階層の台頭、腐敗の深刻化、WTOの加盟という現実が、かつての民主化運動とは違って形で、中国政府に民主化を進めることを迫っています。 そして、こうした「経済」に由来する民主化への圧力は、かつての民主化運動によるものよりずっと強いものであると言えます。
 「中国の崩壊が始まる」などという声もありますが、私は中国はこうした上からの民主化を徐々に進めつつ、かなり長い時間をかけて多党制にソフトランディングしていくような気がします。 実際、かつてのような流血の自体に至らず、民主化が実現されれば、そんなに好ましいことはなく、多くの中国人もまたそれを望んでいると思います。
 以上、法律についても政治についても全くの素人である私の見方ですが、参考にしていただければ幸いです。


2002.11.9



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