■ 漢語迷の武漢日記 ■
< 第33回 対日観の変化? >ご存知の方も多いと思いますが、昨年の12月、今から一ヶ月ほど前に、人民日報の評論員・馬立誠氏が「対日関係の新思考−中日民間の憂い」という論文、というよりエッセイに近い文章を『戦略と管理』という雑誌に発表しました。
http://www.phoenixtv.com/home/zhuanti/xwshj/zrgxxlsk/200212/25/15005.html (中国語、これは、フェニックステレビのサイトに引用されたものです)
そこに描かれた対日観というものは、多くの中国のマスコミで描かれる対日観、あるいは私が接してきた範囲ですが、多くの一般の中国人が持っている対日観とは大きく違うものでした。
私は「人民日報の評論員」というのが人民日報の中でどのような位置を占めているのか、彼らが発表する内容が、中央政府の政策とどの程度一致しているのか、もしくは差があるのか、ということについては、よく分かりませんが、 少なくとも『人民日報』は中国共産党の機関紙であり、そのような政府の中枢に近いところから、このような論文が発表されたことに驚きました。
以下、この論文の内容を簡単にご紹介した上で、私の意見を述べたいと思います。
馬氏はこの論文の中で、超人気若手女優・趙薇が、戦前の日本の軍旗に似たデザインの服(デザインした人には、そのようなつもりはなかったようですが)を着て、ファッション雑誌に出たために、中国中から大きな非難を浴び、 ついには舞台に上がっているときに、観客に押し倒された上、汚物の入った水を掛けられたという事件、『鬼が来た』など映画で有名な監督かつ俳優の姜文が靖国神社に参拝したのではなく、行ったというだけで、 やはりメディアなどから轟々たる非難を浴びたという事件、そして昨年夏、『新しい歴史教科書』が日本政府の検定を通ったことなどに抗議して、深センのあるバーが日本人の立ち入りを禁止したことなどを例に挙げながら、 「中国人はいつになったらこのような非理性的衝動から脱却できるのか」、「これらの行為は、名は『愛国』だが、その実は国に災いをもたらすものであり、国家と民族に対して無責任なもののする行為である」、 「いま民族主義的感情の高まりの中で、多くの人が偏狭な民族主義と愛国主義を混同している」(首都師範大学教授・呉思敬氏の論文からの引用)などと痛烈に批判しています。
私自身もこれまで何度も書いてきたように、とかく「愛国」もしくは「反日」となると、どう見ても客観的・理性的とは言えない考え方や行為が中国の中ではまかり通ってしまうということが多々あることを、 数年間にわたる中国での生活の中で強く感じてきました(もちろんこれは、日本が過去、中国を侵略したという事実を否定したり、誤魔化したりするとは許されないことだと考えますが、その前提の上で、 それでもおかしいと思えることが多いということです)。それは、「靖国神社スプレー事件をめぐって」などにも書いたとおりです。こうした行為が行われたとき、この行為を批判する声も中国人の中にありました。 しかし、その声は、大量の批判と罵倒の中にあっという間にかき消されてしまいました。
ところが、今度はこうした批判を人民日報の評論員が行ったのです。これが私には驚きだったのです。
そして注目されるのは、馬氏がこうした中国人の中にある「偏狭な民族主義」の大きな原因の一つとして、マスコミの影響を挙げていることです。
「『愛国』の看板を掲げた非理性的盲動が次々と行われるのは、まさに一部分のマスコミに社会的公正と正義が欠落しており、無責任な扇動を行っていることと密接な関係がある」
「中国のマスコミか反日感情を煽っているために、中国人の反日感情はいつまでたってもなくならない」というのは、日本の「反中派」の常套句になっている感がありますが、今やそれを人民日報の評論員自身が批判したのです。
その他に馬氏は、日本について多くの中国人が誤解していたり知らない点、逆に、中国について多くの日本人が誤解している点ついて、極めて的確に述べています。
「長期にわたる経済の低迷のために、中国の台頭に対する、何とも言えない恐怖感を抱いている日本人も少なくない」
バブル経済が崩壊して以降、日本の経済は長期にわたる不景気に悩まされ、社会全体が暗い雰囲気に覆われているようですが、この状況を認識している中国人は多くありません。 多くの中国人にとって日本は相変わらず「経済が非常に発達した国」として映っています。そして、その経済力を背景に、「政治大国、軍事大国」へと歩みを進め、ついには、過去と同じように、 中国を侵略するのではないか−このように考えている中国人もまだまだ多いようです。ところが、当の日本人たちは、「世界の工場」として急速に発展を遂げる中国を羨み、ひいては恐怖感を抱いている−こんなことを誰が想像するでしょうか? しかし、馬氏のこの一文は、中国人が意識していない日本人の心理を的確に伝えていると思います。
「東南アジアは日本の軍事力に対して、中国のような抵抗感はない。逆に中国に対して疑念を持っている。中国を牽制するために日本に頑張ってもらいたい。地域の安全から考えると、日本の改憲は必要だ」 (シンガポール国防・戦略研究所研究員の発言からの引用)、「日本がたとえ改憲したとしても、軍事大国になることはありえない」(インドネシア大学日本研究センター主任の発言からの引用)。
この二つはどちらも引用という形をとっていますが、驚いたことに、馬氏はこれに対して全く反論していません。それどころか、このような「中国脅威論」が広まっている現状を踏まえ、「中国政府は台湾問題について平和統一と一国二制度を強調し、 中日友好を力強く推進し、北朝鮮の核武装に賛成せず、・・・(中略)・・・これらの措置を通してアジア諸国の緊張した感情を緩和させいてけば、『中国脅威論』は自ずとなくなっていく」と、中国自身が変わっていく必要があると主張しているのです。
「日本は基本的にすでに民主と法治の体制を確立している。政府の政策は多くの方面からの監督と制約を受けており、ある人たちが想像するような『軍部』が好き勝手にやるという状況は二度と存在しえない」
「明治維新から第二次世界大戦まで、日本は軍国主義の道を選び、その結果、『一文無し』になった。第二次世界大戦後、日本は武力方式を放棄し、協力に生存の道を求め、その結果、繁栄を極め、領土拡張をしなくても、 生存と発展を得られるようになった。このことについて、日本の主流社会は身をもって深く感じている」
馬氏はこのように述べ、「日本軍国主義復活論」を否定しています。先にも述べたように、中国ではまだまだ多くの人が「日本の軍国主義がまた復活するのではないか」という警戒心を持っています。馬氏のような意見は極めて少数派と言えます。 これについては、日本の中にも、有事法制の制定やアメリカのイラク攻撃への協力の可能性などにからんで、警戒心を持っている人もいるでしょう。ただ少なくとも言えるのは、多くの日本人が過去の戦争の中で、家族や友人を失い、 心の中に深い傷を負っているということ、したがって、戦争を憎み、嫌うという感情(それが、加害者というより主に被害者としての感情に基づいているということはあるにしても)は、世界中のどの国の人にも劣らないほど強いということ、 このことを認識している中国人は、日本で生活したことがある人でもない限り、私の接した範囲ではほとんどいないと言っていいでしょう。
馬氏は「高興興」と名乗る中国人がネット上で発表した論文で「日本国民はみな好戦分子である」などと述べたことに対して、「無責任な扇動」と強く批判していますが、実際にはこのように考えている中国人も少なくないのです。 しかし、このような中国人の中にある日本人に対する誤解や偏見を中国人自身が、しかも人民日報の評論員が指摘したというのは、大きな意味があることだと思います。
馬氏はさらに、最近の日本人の中にある反中感情の原因の一部となっている二つの問題−在日中国人の犯罪と対中ODAの問題にも触れています。
馬氏は1980年には中国に親近感を感じる人が78.6%だったのが、2000年には48.8%まで低下していることを挙げながら、次のように述べています。
「なぜこのようなことになっているのだろうか?その答えは、一部の中国人の行為に対する日本国民の印象が悪いことにある。例えば、密航者が非常に多い」
そして、在日中国人の犯罪の例を挙げながら、次のように述べています。
「これらの問題について、香港のメディアや関連国のメディアはみな報じている。我々は欠点を覆い隠したりする必要はない。あえて自身の弱点を正視してこそ、誇りある民族と言えるのだ」
対中0DAの問題については、次のように述べています。 「日本は1979年から2001年まで連続で、中国に2兆6679億900万円の低利借款を行っている。・・・(中略)・・・これは日本側の誠意を表すものと言える。長い間、我々はこれに対する紹介が不十分であった。今こそ正確な評価を下さなければならない」
この二点は、馬氏の言うとおり、日本人の反中感情の大きな原因とも言えるもので、この点を中国人自ら的確に指摘したことの意義は大きいと思います。
「あるサイトでは一年の間に一万以上の評論が発表されたが、日本に言及したものはことごとく『東洋鬼子』、『倭寇』、『小日本』などと痛烈に罵倒したものばかりで、 日本にいま、どういう良い所があるかということに触れたものは一つもなかった」と馬氏は批判しています。
過去の歴史を認めることはいとわない私ですが、それでも一部の中国人の中にある「日本人=悪」とするような見方に悲しい思いをしてきました。そうした中で、中国人の、それも社会の主流に近いところから、 このような主張が出てきたことをうれしく思いました。
さて、馬氏はこのように中国人の中にある日本に対する誤解や偏見、認識不足の点を指摘する以外に、日本人の中国人に対する誤解にも言及しています。 馬氏はある日本の知識人の「中華思想(自分の国は中央にあり、他の国は蛮族と見る考え方)は日中友好を妨げる原因の一つになっている」という発言を批判して、次のように述べています。
「古代の中国にはそのような考え方があったが、今は違う」、「中国人には日本の上に立ちたいなどという願望があるわけではない。これは一部の日本人の過敏と誤解である」
「中華思想」、この言葉は日本の中では、中国文化を理解する上でのキーワードのようになっており、研究者の中にも広く流布しているようです。しかし、「中華思想」と言って、何を意味しているかわかる中国人は実際にはほとんどいません。 その内容を説明して、そのような考えがあるか、と聞いても、それを肯定する中国人もいません。私が中国人と話していて思うのは、いま中国人を動かしている原動力というのは、「世界の中心になりたい」などという野望ではなく、 この百数十年の間、列強に領土を侵略され、分割され、蹂躙されてきた屈辱、そして解放後は文革などの混乱のために、経済発展の機会を失ったという無念、そういった感情であると思います。 それは、今までの歴史を乗り越えて、他の国に何とか「追いつきたい」というほどのものでしかありません。このことは、多くの中国人と接したことがある人なら、誰でもわかるはずです。 ところが、中国人の考えを、実際の中国人の観念から出発してつかんでいくのではなく、「中華思想」という過去の観念から演繹的に理解していくというやり方、 ひいては、それを「中国脅威論」と結びつけるというやり方が流布しているのは残念なことだと思います。したがって、私は馬氏の批判はとてもよく理解できます。私たちは、中国人の日本人に対する誤解や偏見を指摘する以外に、 日本人の中国人に対する誤解や偏見に対する批判にも耳を傾ける必要があると思います。
もう一つ、馬氏の論文で注目されるのは、「民主」の問題にかなり大胆に触れていることです。
「(中国が)直面する問題は山積しており、しかも非常に手の焼けるものばかりである。例えば、法治の欠如、日ごとにひどくなる腐敗、金融不良債権、貧富の格差、農村の苦境、市場の分割、環境悪化などである。 そして、さらに根本的で、避けることのできない大問題は、全国各界が切望している政治改革と民主建設である」
先も引用したように、馬氏は「日本は基本的にすでに民主と法治の体制を確立している。政府の政策は多くの方面からの監督と制約を受けており、ある人たちが想像するような『軍部』が好き勝手にやるという状況は二度と存在しえない」 とまで述べた後に、このように述べているわけですから、これはかなり大胆な発言と言えます。この二つの文章を並べて見れば、「中国には日本のような民主主義体制がなく、政府が監督や制約を受けないために、 腐敗などの問題が絶えない」ということになります。これは事実上、中国ではタブーになっている一党独裁批判と言ってもいいと思います。
このように、日中相互の中にある誤解や偏見、認識不足といったものを的確に指摘すると同時に、中国の中ではタブーとされているようなテーマにも大胆に踏み込んでいる馬氏の論文ですが、中国内での反応はどうでしょうか? 残念ながら、彼に対する批判と罵倒の嵐が吹き荒れているようです。私がネット上で見たものは、大体において彼を批判するものでしたし、友人の話では、北京大学や清華大学のBBSでも、彼を批判する声が大多数を占めているようです。 私の見ている範囲では、主な批判は馬氏が「日本の元首相村山富市氏と現首相小泉純一郎氏などが盧溝橋や瀋陽などで相次いで哀悼し、日本が侵略戦争を行ったことに対して反省の意を表した。日本の謝罪の問題はすでに解決した」と述べてこと、 そして、日本の戦後の急速な経済発展は「アジアの誇りである」と述べたことに集中しているようです。
謝罪の問題について言うと、まず、村山氏や小泉氏が侵略戦争について反省の意を表したというのは事実ですから、中国のマスコミにはこの事実をきちんと伝えてほしいと思います。その上で、馬氏のように、 「謝罪問題は決着済み」と考える人、朱鎔基首相のように、「文書化されなければだめだ」と考える人、また、かつて日本軍に家族を殺された人の中には、「何回謝ろうと、どう謝ろうと、絶対に許さない」という人もいるでしょう。 「一方で謝罪と言いながら、靖国神社に参拝するとは何事か」という人もいるでしょう。これは感情の問題ですから、それぞれの感じ方に対して、こちらの方から、「もうこれだけ謝ったんだから、いい加減許してくれよ」とは言えないと思います。 ですから、馬氏の意見に納得がいかないという人がいるのも、当然だと思います。
「アジアの誇り」について言うと、誇りかどうかは別として、少なくとも日本の戦後の経済発展が、過去の侵略による略奪や、戦後の戦争特需などの外的要因だけによるものだけではなく、日本人自身の努力による部分が多いことは、 客観的に見ても否定できないと思います。この点を認めずに、馬氏を批判するのは、まさに偏狭な民族主義、つまり、他国や他民族の良い部分を見ようとしない考え方のなせる業だと思います。
いずれにしても、馬氏に対する批判を見ていて残念に思うのは、この論文のすばらしい部分−偏狭な民族主義に囚われず、日本のことにしても、中国のことにしても、できる限り客観的に見ようとし、 二つの国の正確な姿を相手に伝えようとしているところ−この点に対する評価がほとんどないことです。「日本の良い点を指摘するなどというのは、中国人の裏切り者のすることだ」とでも言わんばかりです。 馬氏の指摘した中国側の問題点にも触れているものはほとんどありません。
ここで、もう一度さきに引用した馬氏の文章を引用します。
「我々は欠点を覆い隠したりする必要はない。あえて自身の弱点を正視してこそ、誇りある民族と言えるのだ」
この馬氏の言葉は残念なことに、多くの中国人には届いていないようです。しかし、私はここで、この言葉を中国人に向けるのではなく、私たち日本人自身に向けて考える必要があると思います。日本の中にも、過去の自国の汚点を誤魔化したり、 覆い隠そうとしている人たちがいないでしょうか?汚点を教育することは、子供に誇りを失わせるなどと考えている人たちはいないでしょうか?このような人たちは、馬氏を罵倒する中国の偏狭な民族主義者たちに自分たちを照らして見てみると いいかも知れません。そうすると、彼らと自分たちが非常に似ていることに気づくでしょう。
最初にも述べたように、馬氏の論文がどの程度、中央政府の対日政策の変化を反映しているのか、私にはわかりません。ただ、もしこのような考えが政府の主流になっていくのなら、今後、「偏狭な民族主義」に基づく反日感情の源は、 「政府のプロパガンダ」ではなく、大衆受けする記事を書いて部数拡大を狙うマスコミの低俗な商業主義ということになっていくでしょう。そうなると、反日感情の源は、「一党独裁の政治体制」という中国の特殊性に基づくものではなく、 市場経済だということになります。
私は馬氏がこの論文で提起した問題は、とても重要だと思います。中国内では批判が殺到しているようですが、私はこの論文をきっかけに、日本、そして日本人という存在をもっと理解してくれる人が増えてくれることを望みます。 同時に、日本人の側も、馬氏が提起した「中華思想」の問題に代表されるような誤解を見直し、中国、そして中国人に対する理解を深めていく必要があると思います。こうして始めて、広がる一方の日中の溝を少しずつ埋めていけるような 気がします。そんなことを、ビジネスに追われる中で、再び考えさせてくれた馬氏の論文でした。
2003.1.25
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