漢語迷の武漢日記 

< 第35回 イラク戦争をめぐる論争 >


 イラク戦争が始まり、早くも半月以上が過ぎました。この、大義名分から見ても、国際法というルールにのっとった手続きという面から見ても、どうみてもおかしいとしか思えない戦争のために、すでに多くの罪のない人たちが亡くなっています。 しかし、ここでは私自身のイラク戦争に対する考えを詳しく述べるのは控え、中国の人たちのイラク戦争に対する反応をお伝えしたいと思います。
 戦争開始前の2月10日、中国の一部の学者たちがネット上で「アメリカ政府による対イラク戦争計画に反対する中国各界の声明」(以下、「反戦声明」)を発表しました。その後、約2週間の間に、声明への署名者は700人余りに達しました(現在の数字は不明)。
 http://culture.online.sh.cn/asp/LIST2.ASP?id=594(中国語)
 「声明」はアメリカがイラクに対して行おうとしている戦争を「侵略戦争」と規定し、著しい国際法違反であり、イラク国民の人権を踏みにじるものであるとしています。
 「声明」の発起人の一人である張広天氏は「世界各地で反戦の声が発せられているのに、中国の民衆の中にある同様の声が表現されていない。このような状況の中で沈黙を保つことは恥ずべき行為である」と述べています(『南方週末』2003年2月27日号)。
 ご存知のように、中国は戦争開始前、一貫としてイラク問題の戦争による解決に反対し、査察継続を主張していました。しかし、中国にとってアメリカとの関係は極めて重要で、アメリカと決裂するわけにいかないため、戦争には反対でも、 EUというバックを持っているフランスのような国の強硬な態度に比較すると、より慎重な態度を採っていたと言えます。 そのため、中国政府がアメリカが行おうとしている戦争を「侵略戦争」などと規定するなどということはありえないことだったでしょう。
 そこから考えると、「反戦声明」は「戦争反対」という点では中国政府の見解と一致はしていても、全体の中身を見ると、より強く「反米」を強調したものであり、中国政府の見解をかなりはみ出していたと言えます。 ですから、この声明の存在を知ったとき、このような政治分野の問題で、中国政府の見解とは必ずしも一致しない見解が、中国政府とは独立したところから「声明」という形で公表されたことに驚くと同時に、これまでとは違う新しい動きを感じ取りました。
 ところが、その後、もっと驚くことが起こりました。「反戦声明」が発表されてから10日たった2月20日、別の学者たちが「アメリカ政府がサダム・フセイン独裁政権を粉砕することを支持する中国知識人の声明」(以下、「支持声明」)をネット上で発表しました。
 http://culture.online.sh.cn/asp/LIST2.ASP?id=595(中国語)
 『南方週末』に彼らの考えが適切にまとめられているので、ここに引用します。
 「彼らによると、人類の歴史上、『戦争を発動した側が自由と人道を終極価値とした』戦争があり、アメリカがイラクに対して発動しようとしてる戦争はまさにこの種のものである。彼らはいくばくの遠慮もなく、『反戦声明』の起草者たちを 『偽善的平和主義者』と呼び、『反戦声明』は『中国知識人界』の堕落を加速すると述べている」(同紙)
 彼らはフセイン政権がいかに少数民族や信仰の異なるものたちに対して残虐な行為を行ってきたかを強調した上で、アメリカが行おうとしている戦争の正当性を主張しています。 中国人が嫌いな国としてまず挙がるのは日本とアメリカですが、このような反米色の強い中国という国の中で、「親米派」として罵倒されるであろうこのような見解が、しかも、中国政府の見解とは全く異なっているこのような見解が、 堂々と「声明」という形で登場したのことに、私は驚きました。
 また、私は中国に来て約3年半になりますが、このような政治(内政、外交に限らず)分野で、一国の政策やイデオロギーに関わる大きなテーマをめぐって「論争」が行われたが公然と行われたというのも、私の記憶にはなく、これもまた驚きでした。 二つの声明はいずれもネット上で発表されていますが、ネットという、政府が完全にコントロールしきれない場の登場が、これまでは不可能だった、政府と異なる見解の発表や論争を可能にしたといえるかも知れません。
 『南方週末』の報道によれば、「反戦声明」に署名した学者は「新左派」の学者が多く、自由主義派の学者は少ないということです。一方、「支持声明」に署名した学者に自由主義派の学者が多くなっています。 中国の知識人界には今、二大陣営といえるものが存在しています。どちらも、政府の腐敗の問題や農村の貧困問題など、現在中国で起こっている大きな社会問題をどう解決するかということに関心を持っているのは同じですが、 「新左派」は、改革開放政策に伴い市場経済の導入したこと、グローバル資本主義経済の中に組み込まれていってことに、問題の主な原因を求めています。ですから、彼らの主張は、民族主義的で、反「旧西側」的な色彩が強いのが特徴です。 日本では、「左翼」というのは反民族主義的なのが特徴ですが、中国では左派が同時に民族主義なのです。これは日本との大きな違いです。
 これに対し、「自由主義派」は旧西側の民主主義を理想とし、中国における様々な問題の根源を独裁的な政治体制に求め、 民主化と自由化、政治改革の推進を主張しています(もちろん、以上はごく簡単な分類で、同じ「派」の中にも様々な考えの違いがあることは言うまでもないことです)。
 今回の「反戦声明」派と「支持声明」派の論争の背景には、この「新左派」と「自由主義派」の対立があると言えます。 新左派を中心とする「反戦声明」の背景には、民族主義的な感情から来る反米感情と、グローバル資本主義に対する反発があると言えると思います。日本の場合は、「全ての戦争に反対する」という、 平和憲法を擁護している人たち、いわゆる「左」と言われる人たちによる「反戦」と、民族主義的な「右」と言われる人たちの、反米感情に基づく「反戦」の二つの潮流(これもごく大まかな分け方ですが)があると思います。 ところが、中国の場合は後者の反戦しかないようです。これは以前も述べたことですが、中国では今まで、「全ての戦争に反対する」という思想には出会ったことがありません。日本の平和憲法も、「日本の軍国主義化の防止」 という意味でしか捉えられておらず、それ以上の積極的な意味を見出そうとする人はほとんどいないといいでしょう。
 一方、自由主義派の「支持声明」の背景には、フセイン政権のような独裁政権に対する強い反感(これは、中国の独裁体制に対する強い反感と重なり合っていると思います)と欧米の民主主義に対する強い憧れがあるように思います。 このことは、「支持声明」の中の次の言葉に強く現れていると思います。
 「中国は(イラクのような)邪悪な国家とグルになってはならない。一日も早く民主と自由の世界の潮流の中に合流しなければならないと私たちは固く信じている」
 すでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、この戦争支持派の支持の根拠は日本の戦争支持派のそれとはだいぶ趣を異にしています。ネットで目にできる範囲でですが、日本での戦争支持派の意見を見ていると、大体二つに分かれます。 一つは、「フセインのような独裁者の手中に生物・化学兵器があるとしたら、大変なことになる。それにより引き起こされうる犠牲に比較したら、今回の戦争による犠牲は小さなものだ」というもの。もう一つは、 「戦争自体は確かに問題がある。しかし、北朝鮮の問題も含め、日本は今後もアメリカに頼らなければ、生きていけない。だから、戦争はおかしくても、アメリカを支持せざる得ない」というものです。 中国の「支持声明」の中にも、一つ目の内容も含まれています。しかし、そこで強調されているのは、アメリカとイラクの戦争は、民主対独裁の戦争だということです。ここには、彼らの中国の民主化への強い思い入れが現れています。
 しかし、彼らの戦争支持が、中国を「民主と自由の世界の潮流に中に合流させる」結果に本当になるのか、大いに疑問を持たざるを得ません。今回の戦争を、「民主対独裁」の善対悪の戦争とすることは、 事態をあまりにも単純化しており、安易だといわざるを得ません。それでは、自由主義派のこのような安易な見解の背景には何があるのでしょうか?
 まず第一に、「戦争」というものに対する、日本人と中国人の考え方の大きな違いがあると思います。これは歴史的な背景に由来するものですが、日本人の中には、悲惨な戦争体験や原爆体験から、 戦争一般に対する強い嫌悪の感情が根強く存在しています(この点は多くの中国人はあまり理解していませんが)。これに対し、中国人にとって、戦争とは自らを「解放」したものであり、 侵略してきた日本軍を追い出したのが中国人にとっての戦争だったのです。ですから、中国人の中では、戦争一般に対する嫌悪感が日本人よりはるかに少ないことが彼らと話していると感じ取れます。 こうしたことが、自由主義者たちの、安易とも言える「支持声明」の背景の一つになっている気がします。同時に、このことは先ほど述べた、「全ての戦争に反対する」という思想が中国にはほとんど見られないことの原因にもなっていると思います。
 もう一つは、日本と中国の国情の違いがあると思います。中国はいまだに共産党による一党独裁体制で、民主主義が実現されていません。そんな状況の中での、彼らの中には民主主義への憧れとも言えるものがあると思われます。 その結果、国内においてどんなに民主的な政治体制を敷いている国(ここでは、911テロ以降の、アメリカ国内における新聞統制などの問題は、とりあえずここでは論じません)であっても、 国際的には独裁的でありうるという単純な事実を彼らは忘れてしまい、民主的な国は民主主義の理念に基づき、民主主義の実現のために戦争を遂行するはずだと、あまりにも無垢に想定してしまっていると思います。
 私のような、学者でもない人間がこんなことを言う権利もないかもしれませんが、日本の「自由主義者」(この定義は日本では極めてあいまいですが)の中に、アメリカと距離をとり、批判的な立場に立てる人がたくさんいることを考えると、 中国の自由主義者の未成熟を感じざるを得ません。
 さて、「反戦派」と「支持派」の学者の論争についての紹介はこれぐらいに留め、最後に簡単に学生や一般の市民のイラク戦争に対する反応をお伝えしたいと思います。
   私の友人や同僚に限って言うと、今回の戦争に賛成だという人は極めてまれです。しかし、ご存知の通り、中国ではデモや集会を自由に行なうことができないため、世界各地で行なわれているような反戦デモや集会や全く見ることができません。 ただし、北京にある大学の友人に聞いたところ、大学のキャンパスの中では小規模のデモや集会が行なわれており、外に出なければ大学も介入はしないということです。広州にある大学の友人に聞いたところ、イラク戦争が始まってからも、 全く何の動きもないということでした。彼女は「多くの人にとって、イラク戦争なんて対岸の火事なのよ。北京には中央政府があるから、政治に関心がある人も多いかもしれないけど、広東省の人は商売にしか感心がないの」と言っていました。
 考えて見れば、日本でも高度成長を経て、人々の生活が豊かになるにつれ、政治への関心が徐々に薄れていきました。中国でも経済発展に伴い、同様な現象が現れてくるのかも知れません。
 イラク問題をめぐって論争が起こっていることについても、これが中国の変化を現しているのか、意見を聞いてみました。彼女いわく、  「それは、中国の内政には直接関係ないことだから、論争を許しているだけで、とりわけて大きな変化とは言えないと思うわ。内政と関係のあることだったら、許すわけないわ」。
 マスコミの反応で見ると、中央電視台は毎日、毎時間のように、「実況中継」と称してイラク戦争を報道しています。全放送時間の三分の一から四分の一を占めているのではないでしょうか。ちょっと異常に感じられます。 しかし、視聴率は驚異的な数字を示しているようです。以前、湾岸戦争が勃発して時の日本もそうでしたが、戦争が映画の中のできことのように見られているようで、あまりいい気持ちはしません。
 911テロなどは突発的事件だったため、反応が極めて遅かった中央電視台ですが、今回はあらかじめ戦争勃発が予想されていたため、かなりの準備ができていたようです。 このような大きな事件が中央電視台のような国営テレビでリアルタイムで報道されていくというのは、言論が統制されている中国では初めてのことかもしれません。実況中継となれば、 中国政府として報道したくない事態が生じることもありうるわけで、それをあえてこうした形で報じ始めたというのは、一つの変化かもしれません。もちろん、さきほどの学生の意見にもあった通り、中国の内政とは直接関係ないことだから、 ある程度リスクを犯しても、実況中継で報じているとも言えます。
 報道そのものは、比較的客観的に行なわれていますが、報道の途中途中に「(戦争をやめよう」というテープを流したりして、局として戦争反対の立場を明確に打ち出しています。
 以上がイラク戦争への中国の人たちの反応です。
 イラク戦争をめぐる論争や反応は、中国人のさまざまな考え方や中国社会の変化を浮き彫りにしています。個人的には、一国も早く戦争をやめてほしいと思う私ですが、同時に、それに対する中国人の考え方も引き続き見ていきたいと思います。


2003.4.10



第34回へ