■ 漢語迷の武漢日記 ■
< 第36回 SARS騒ぎの渦の中で >日本でも大々的に報じられている(と聞いています)通り、SARS(重症急性呼吸器症候群)が世界を揺るがしています。そして、中国・香港では最も深刻な状況を呈しています。 その中でも、私のいる広東省は、このウィルスの感染源だと言われており、中国の中でも最も多くの感染者と死亡者を出しています。今回は、このSARSをめぐる、この間の状況について、お伝えしたいと思います。
中国では「非典型肺炎(略して「非典」)」と呼ばれている、この病気のことを私が最初に知ったのは、春節を利用して日本に一時帰国し、再び中国に戻った直後の2月10日頃でした。 今から2ヶ月以上も前で、日本では「SARS」という言葉もまだ全く知られておらず、報道もされていなかった頃のことです。 その時、上司から「原因不明の肺炎で、数十人が死亡した」という情報を聞きました。 その後、中国人の同僚からも、「町がパニックになっている。肺炎にかかるのを予防できるという、お酢や「板藍根」(一種の漢方薬)を買うために、至るところで行列ができていて、 もともと5元程度のお酢が100元以上に値上がりしている」と聞きました。
事の真偽を確かめるため、私はネットでニュースを調べて見ました。そこには、街の人たちが予防のためにマスクをしている写真などが掲載されていましたが、死亡数は数十人ではなく、 数人(5人以下だったと思いますが、当時の正確な資料がありません)と書いてありました。 また、騒ぎが飛び火した海南島の政府が、この肺炎騒ぎをデマとして否定し、パニックに陥らないよう呼びかけたという記事が出ていました。 夕方に新聞を買いに行くと、みんな肺炎のことが気になるらしく、いつもは残っている新聞がほとんど売り切れていました。わずかに残っている新聞の見出しを見ていると、トップはほとんど肺炎や、 それに伴うパニックのことで埋め尽くされていました。この頃は、報道には何の規制も加えられていなかったようです。
それから数日して、広東省政府の記者会見がありました。その内容は、「この『非典型肺炎』は言われているほど恐ろしいものではない。死亡しているのはわずか数人だ。パニックに陥らないように」というものでした。 これを聞いてみんな安心したのか、その次の日から買占め騒ぎなどは一気に収まりました。もともと騒ぎの中心は、広東省の中でも広州で、深センではマスクをしている人はあまり見かけませんでしたが、広州でもマスクをつける人が、 この日を境にほとんどいなくなったようです。新聞の論調も、肺炎の恐ろしさを伝えるものから一変、この騒ぎを「デマ」と断定し、騒ぎに便乗して値段を吊り上げて儲けた業者への批判、あるいは、 パニックを増幅させてしまった自分たちマスコミへの自己批判、反省といったものが主流になっていきました。
駐在員の中でも、「インフルエンザだって、年に数人は死ぬよ。数人死んだからって、騒ぐほどのことはないよ」といった、比較的楽観的な雰囲気が漂っていました。 私自身も、政府のこうした発表を完全に信じていたわけではありませんが、死亡者数などから見ても、それほど特別な病気だという認識は持ちませんでした。当時、最も多くの感染者と死亡者が出ていた広州へも、何度も平気で出かけていました。 こうして、何事もなかったように、日々が過ぎていきました。新しい仕事の引継ぎに追われていた私は、肺炎のことなど、すっかり忘れていました。
ところが、3月の末頃から、中国大陸や香港で感染者が急速に増大しているということを日本のメディアが取り上げ始め、日本人の間で再び肺炎のことが話題に上るようなりました。すでに、広東省のパニックから1ヵ月あまりが過ぎていました。 この時、初めて「SARS(重症急性呼吸器症候群)」という呼び方を知りました。しかし、2月の騒ぎを半ばデマと信じていた私は、今回また別のウィルスが流行りだしたものと思っていました。 後でわかりましたが、何のことはない、いま中国大陸と香港で猛威を振るっているSARSとは、まさに当時、広東省の政府が「恐ろしいものではない」と言っていた、あの「非典型肺炎」だったのです。 「政府の言うことなど信じてバカだなあ」と思われるかもしれませんが、それぐらい、2月のパニックから、3月末までの広東省は平静でした。多くの日本人の方も、日本のメディアが取り上げだすまでは、それほど気にかけていなかったと思います。 中国のメディアも、2月のパニック以来、ほとんどこの問題を取り上げませんでした。いや、再びパニックになるのを恐れ、意図的に報道させないようにしてきたというのが実際でしょう。
しかし、外国のメディアが大きくこの問題を取り上げだし、WHO(国際保健機関)なども動き出すと、中国もさすがに国際世論を無視できなくなったのか、ようやく重い腰をあげ、この問題をメディアで取り上げ始めました。これが4月の初頭です。 ですが、当時の衛生部(日本でいう厚生労働省)の部長、今は解任された張文康氏は、主要に中国の「安全性」の方を強調していました。この病気の危険性を認め、それに正面から対処していくという姿勢にはまだなっていませんでした。 その後、胡錦涛総書記や温家宝首相がSARS対策に全面的に乗り出すことを表明し、ようやく中央政府として本格的にこの問題に取り組み始めることになりました。 これまで、最上層部の彼らがSARSについての状況をどれだけ知っていたのか、あるいは知らなかったのか、彼らも情報を隠そうとしてきたのか、あるいは、そうでなかったのか、それは私にはわかりません。 ただ、少なくとも2月広東省でのパニックの時点で、彼らもある程度の情報は知り得たわけで、これにも関わらず、ここまで対応が遅れたことには、彼らにも責任があるといわざるを得ません。
こうした状況を受け、4月の始めから、うちの会社でも数千人の職員、および来訪者全てにマスク着用が義務付けられるようになりました。
4月の半ばには、日本の皆さんもご存知の通り、北京が患者数を過小報告していたことがわかり、患者数が一気に8倍に増えました。北京の大学では大学院の試験が延期され、様々な行事が中止になりました。 いま北京はまさに、2月の広東省、いや、それ以上のパニックに陥っています。北京の友人(中国人)に連絡したところ、怖くて外に買い物にも行けないと言います。大学の宿舎にいる友人は宿舎と食堂を往復するだけの毎日が続いています。 授業は全て休講です。彼らは恐怖におののいています。それが電話を通じて伝わってきます。しかし、ほんのちょっと前に彼らに電話したときには、恐れている様子など全くなく、広東省のことなど、彼らにとっては人ごとだったのです。
私はいま起こっているこの北京のパニックを見て、奇妙な感じを抱かざる得ません。広東省でパニックが起こったのが2月の始め。それから、2ヶ月以上もの時間がたってからの、この北京でのパニック。 この2ヶ月以上ものギャップは、一体なにを意味しているのでしょうか?
私は思います。もし、あの2月の時点で、広東省の政府がSARS問題の重大性と危険性を正面から認め、感染者および感染の可能性があるものなどの追跡調査などを厳格に行なっていたら、もし、あの時、中央政府がすぐに調査に乗り出し、 全国の各省に事の重大性を伝えていたら、今のようなSARSの拡散を招くことはなかったように思います。
しかし、政府というのは、自分に不利な情報というのは、伝えたがらないものです。ですから、そうした政府の行為というものを監視する存在が制度的に必要なわけですが、 そうした存在の中で最も重要なものの一つ−メディアの監視が中国では機能していないことが、結局は致命傷になったと思います。広東省の政府がSARSの危険性を十分に認めなかったとき、 メディアが政府の発表に疑問を呈するだけの独立性と権力をもっていたら、状況は全く違っていたでしょう。しかし、実際には、いまの体制の中では当然かもしれませんが、メディアは政府の発表に追随し、 本当の情報を隠すことに加担することしかできませんでした。それが、結果的には多くの人の人命を奪うことになったのです。最終的には中国政府は監視する役割を果たしたのはのは国際メディアでした。
中国はケ小平が改革開放政策を始めて以来、いろいろな矛盾をはらみながらも、比較的順調な経済発展を遂げてきました。1989年には、天安門事件があり、「民主」と「政治改革」が大きなテーマになりましたが、 これを過ぎ、1992年のケ小平の「南方講話」があって以後、再び「経済の時代」を迎え、一部の知識人や学生の間を除いて、「民主」、「政治改革」はあまり話題に上らなくなってきたように思います。 中国の庶民の間でも、「まず、食えることが第一、食えるのであれば、『民主』はそれほど重要ではない」とでも言える意識が広がっていたように思います。 また、「急激に民主化を進めると民族の分裂などを招き、国家を不安定にするのでよくない」などという声も、学生の中で聞かれました。いずれにしても、「民主」は経済発展の中で、それほど切実な声として聞こえてきませんでした。 この背景には、政治的な民主化の方を急激な形で先に進めた結果、経済的混乱を招いたロシアや東欧諸国などとの比較もあったかもしれません。
一方、現在の日本でも中国に関する本となると、「中国ビジネス」、「中国経済」ものが大部分を占め、一部の右派の論客を除くと、中国の独裁体制を声高に批判するものなどが少なくなっていたと思います。
しかし、今回のSARSに対する中国政府の対応のまずさと、それによる被害の拡大は、「民主」が決してインテリだけが欲する飾り物ではないこと、まさに一般の庶民の生活と生命と安全に関わる極めて切実で重大な問題であるということを、 ある意味で非常に残酷な形で示してくれたように思います。これは、「経済改革」のみを積極的に進め、「政治改革」の方はずっと先送りしてきた中国政府に対する一種の警告になると思います。
また、中国政府は折りあるごとに、「中国に対する人権批判は内政干渉だ」と主張してきましたが、一国内における民主や自由の欠如は、時には他国の国民の生命と安全、そして経済を脅かす重大な結果を招くこともあることを、 いやというほど思い知らせてくれました。中国は今後、国際的な「人権批判」に対して、より真摯な態度で臨む必要があると思います。
最近の新聞では、感染を恐れずにSARSの治療を行なう献身的に行なう医師や看護婦の「人道主義精神」を称える声に溢れています。「英雄」という文字もあちこちで目にします。 確かに、このような緊急事態のとき、こうした精神をもった医療従事者は必要だと言えますし、そういう方たちにを賛美すること自体は間違っているとは言えないと思います。 ただ、本来的にはこのような「自己犠牲」や「英雄」は、なくてすむことが一番いいわけで、 その意味では、このような犠牲がなくてはならない状態にしてしまった政府の「人道主義精神」こそが、まず、問われなければなりません。ただし、次のことを忘れてはなりません。最近、『共和に向かって』という、 清代の末期を舞台にしたドラマが中央電視台で放映されています。その中で、ある登場人物が次のように言っていました。
「これまでの中国の思想家は常に道徳ばかりを強調してきた。しかし、問題なのは道徳ではなく、制度を変えることなのだ!」
このドラマの作者が、現代の中国の問題と重ね合わせて、登場人物にこのように発言させたのかどうか、それはわかりません。ただ、この発言は、まさに現在の中国の問題を言い当てていると言えます。政治家や官僚にモラルは必要です。 しかし、彼らのモラルのない行為が明らかになったとき、それを修正させる、もしくは、そのような人物を権力の座から追放する仕組みがなければなりません。それこそが、「民主」という制度です。 道徳・精神の強調から政治改革へ−これが中国の歩むべき必須の方向であることを、今回のSARS事件は示したと思います。
さて、最後に、わが広東省の状況を簡単にご報告します。広東省は中国で最多の感染者と死亡者を出していますが、最近では感染者がそれほど増えておらず、特に深センは広東省の中でも、 感染者が少ないので(ただし、これはあくまで政府による発表ですが)、会社の中でも現在の北京のような緊張した雰囲気は漂っていません。一部のワーカーの人からは、「ずっとマスクをつけていると熱いし、痒いし、 つけたくない」という不満も出ています。街中でマスクをしている人は少なく、していると逆に奇妙な目で見られるほどです。90%以上の人がマスクをしていて、していないと白い目で見られるという香港とは大違いです。 それだけ、いまの深センでは恐怖感のようなものは薄いということです。しかし、いくら感染者が減ってきているといっても、SARSの感染ルートも治療法も不明である以上、まだまだ気を抜くわけにはいきません。
いずれにしても、早くSARSの原因や治療法か見つかり、暑い中をマスクして歩いたり、咳が出そうになったら無理に止めたり(ちょっとした咳払いでも、周りの人はギョッとします)する日々から解放されたいものです。
2003.4.28
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