■ 漢語迷の武漢日記 ■
< 第37回 ドラマ『共和に向かって』に見る歴史観 >北京がSARSパニックに揺れていた4月の末、中央電視台で『共和に向かって』(中国語名『走向共和』)という歴史ドラマの放映が開始され、5月の末、一週間ほど前に放映を終えました。 このドラマは59回にも渡る超大型ドラマで、日本で言えばNHKの大河ドラマ以上の大作です。 しかし、中国のドラマは日本のように週1回放映ではなく、毎日放映する慣わしで、しかも、このドラマの場合は最初は1日2回分、後半は1日3回分も放映したので、これほどの大作であるにも関わらず、 わずか1ヵ月程度で放映を終えてしまったというわけです。
中央電視台はこのドラマの制作に4年もの時間と4000万元(約6億円)もの巨費を投じたといいます。物価水準が日本の5分の1以下に過ぎないことを考えれば、中央電視台がいかにこのドラマに力を入れていたかがわかるでしょう。
このドラマが放映当時、ちょっとした論争を巻き起こし、ついには中央電視台が放映内容を変更するなどの騒ぎになりました。
実は、中国に来て3年半以上がたった私ですが、この間、歴史ドラマというのはあまり見てきませんでした。なぜなら、中国の歴史ドラマ、特に近現代を題材としたものはイデオロギー性が強く、愛国心を高揚させるという目的が見え見えで、 見ていてあまり面白いとは思えなかったからです。ところが、その私が、この『共和に向かって』にすっかり、のめり込んでしまいました。 それでは、一体、このドラマがどんな内容で、何が論争を巻き起こすに至ったのか、なぜ私がのめり込んでしまったのか、簡単にご紹介したいと思います。
このドラマは日清戦争直前の清から、辛亥革命後、袁世凱の帝政が崩壊するまでの時代を舞台にしています。ドラマ全体を通じての主人公というのはいません。歴史そのものが主人公と言っていいでしょう。 ただ、その中で重要な人物として登場するのは、李鴻章、西太后、袁世凱、孫文です。このドラマがこれほどの論争を巻き起こした最大の原因は、 これらの人物の描かれ方が、中国の歴史教科書の中で描かれている人物像と大きく異なっていることにあります。
例えば、李鴻章。中国の歴史教科書の中では、日清戦争の結果、日本と屈辱的な条約を結んだ「売国奴」として描かれており、多くの国民の中でもそのような評価が定着しているようです。 しかし、このドラマでは全くそのような描かれ方がしていないばかりか、全く逆の描かれ方をしています。それは大体、以下のようなものです。
北洋海軍を指揮する李鴻章は日清戦争前から、日本の軍事力が清の軍事力を上回っていることに気付き、軍事費の増強を訴えます。 しかし、西太后やその側近たちは、頤和園の建設に資金を回し、軍事には資金を回そうとしません。また、官僚の腐敗がますます、国家の財政を逼迫させていきます。李鴻章の訴えは届きません。 このままでは日本と戦争した場合、勝てないと主張する李鴻章に対して、ある官僚は「武器の力が主ではなく、武器を持つ人間の人心こそが勝敗を決定するのだ」と言って、反論します。 このくだりは、作者が意図したかはわかりませんが、後代の、「人民戦争論」を主張する毛沢東と、武器の近代化の重要性を主張する彭徳懐の論争を想起させるものがあり、非常に面白いものがあります。 それはさておき、結局、李鴻章の軍備増強の主張は周囲の反対と妨害に遭い、実現しません。そんな中、日清戦争が起こります。李鴻章の予想したとおり、軍事力で劣る清は、惨敗を喫します。 清掃前は軍備増強に反対していた官僚たちは、敗戦の責任を北洋海軍の指導者・李鴻章に押し付け、敗戦という不利な状況の中での条約締結の任務も李鴻章に与えます。 李鴻章は、賠償はしても、領土の割譲だけは絶対に許さない覚悟で交渉に臨みます。しかし、敗戦という厳然たる事実の前に、そのような譲歩が引き出せるわけもなく、李鴻章の必死の努力と抵抗にも関わらず、 賠償と領土の割譲という、屈辱的な条約を結ばざるを得なくなります。その結果、「売国奴」の汚名を受け、失脚することになります。
このドラマからのメッセージは、「売国奴」と呼ばれてきた李鴻章こそが、実は本当の「愛国者」だったということです。このような見解は、これまでなかったわけではないようですし、自分から進んで歴史を学ぼうとする人の中には、 李鴻章をこのように評価していた人もいるようですが、大多数の中国人の常識からすると、これは180度違った李鴻章だったようです。このような新しい歴史観、新しい人物像が、 中央電視台という国営テレビのドラマの中で登場してきたのは、中国の一つの変化の現われだと思います。
その他にも、「反動的」な人物の典型として見られてきた袁世凱についても、非常に多様に描かれています。その時々の状況を見ながら、誰につけば自分に有利か、誰を追い落とせば自分に有利かを瞬時に判断し、 清の朝廷の中の権力闘争の中で生き残っていく巧みさや、自らの野心を実現するためには手段を選ばない冷酷さも鮮やかに描かれていますが、同時に、科挙の廃止などを進めた進歩的側面や、西洋列強との交渉にも物怖じしない図太さ、 守旧派の官僚との論争に負けない有能さといった面も存分に描かれています。
この点については西太后も同様で、李鴻章が必死に軍備の増強を主張していた時に、頤和園の建設を始め、豪奢な生活にうつつを抜かしていた面、義和団事件の際に、全く勝ち目がないにもかかわらず、列強八カ国に無謀にも宣戦し、 反対した官僚を殺害までしたにも関わらず、八カ国連合軍の北京攻略が始まり、放浪生活を強いられると、とたんに宣戦したことを後悔し始め、戦争に完敗し、列強から西太后処刑の要求が出されると、 その条項だけは除かせるように必死に部下に要求するなど、その醜さも描かれていますが、 同時に、彼女の政治家としての一種のカリスマ性や指導力、自分の権力の維持ということを前提にしながら、清の改革を彼女なりに追究していた面なども描かれています。
このように、このドラマでは、これまで単純に「黒」、「悪」として描かれていた人物の正の面や、その複雑性が描かれており、そのイメージが多くの中国人の中にあるイメージと大きく異なっていたことが論争の大きな原因になったようです。 もう一つの原因は、歴史学者からの批判で、ドラマに描かれた内容の一部が史実と異なるというものです。例えば、ドラマでは若き日の孫文が李鴻章を訪ね、革命の必要性を説くという場面がありますが、 実際には孫文と李鴻章が会ったという事実はなかったそうです。
こうした批判にさらされた中央電視台は、何と袁世凱の進歩的面を描いていると思われる演説の部分をカットするなど、後半部の内容の一部を変更するという措置を取りました。
私が思うに、このドラマの価値はまさに、こうした人物の描写の多面性・複雑性にあると思います。ご存知のように中国ではマルクス主義が現在でも公式イデオロギーとなっており、その中には階級闘争史観があります。 ケ小平が改革開放政策を開始して以来、政治の場でこの「階級闘争」はほとんど語られることはなくなりました。しかし、歴史観の中にはまだまだ色濃くその影が残っています。 その影というのは、歴史の中にはいつでも「進歩的な勢力」と「反動的な勢力」、「愛国者」と「売国奴」、 もっと言えば「善玉」と「悪玉」が存在しており、それがはっきりと色分けできるという考え方です。このドラマの中で描かれている李鴻章、西太后、袁世凱らは、こうした歴史観の中で、「悪玉」に明確に分類されてきた人物でした。
こうした「善玉悪玉歴史観」に対して、このドラマは新しい歴史観をアンチテーゼとして提示したのです。このドラマを制作した人たちの中には、きっと、このような意図があったと思います。 ですから、中央電視台が批判に屈して簡単に内容を変更してしまったのは非常に残念であると同時に、恥ずべきことであると思います。
また、歴史家たちがドラマの内容と史実との違いを取り上げて批判するのは構いませんが、その前に、こうした新しい歴史観に対して、どのような態度を取るのかをまず、はっきりさせるべきだと思います。 そうでなければ、細かい面に捉われて、このドラマの本当の意義を見失うことになると思います。
さて、このドラマでは、登場人物の描かれ方以外に、もう一つ注目すべき面がありました。それは、日本という国の描き方です。
日清戦争が、その数十年後に日本が中国に対して行なった侵略戦争と同じ性質の戦争と言えるのか、これはまた、多くの議論があると思いますが、少なくとも、 かなり多くの中国人の中では日清戦争も日本が中国に対して行なった侵略戦争と考えられていると思います。ですから、ドラマや映画で日清戦争が描かれれば、 「賠償金と領土を奪った憎き日本」ということが主に描かれがちです。
しかし、このドラマでの描かれ方はだいぶ違っています。このドラマでは、日本を批判するというスタンスが主にはなっておらず、主な焦点は、「一体なぜ、清は日本に敗れたのか?その違いはどこにあったのか?」という点になっています。 先ほども述べたように、日清戦争前の清の政府は腐敗堕落しきっていました。西太后は贅沢三昧の生活を送り、官僚は汚職に走り、軍備に回す資金などありませんでした。 ところが、その時の日本はどうだったか?ドラマでは一つの象徴的な場面で、この違いを描いています。当時の首相・伊藤博文らが明治天皇に対して、「清との戦争を準備するためには多額の資金が必要です。 しかし、それを税金で賄うと国民に多大な負担を強いることになります」と言ったときに、明治天皇は「これから清に勝つまでは朕の食事は1日1食とする。まず、朕から国民に対して範を示すのだ」と言います。 また、皇室向けの費用も削って、軍事費に回しますことを指示します。 これに呼応して、国民の中でも、軍事費を寄付するなどの動きが盛り上がっていきます。一方、清の国民の方は、戦争をまるで人ごとのように捉えている姿がドラマでは描かれています。 つまり、このドラマでは皇后を始め、奢侈にふけり、腐敗堕落し、国民の支持を得られない清と、天皇から先頭切って節食に励んで国家を支えようとし、国民の支持を得ていく日本とのコントラストを描き出すことで、 清の敗北の原因を明らかにしようとしているのです。
いま、このような日本についての描写がどれだけ史実に忠実なのか、また、こうして日本が歩んだ道とその後の歴史がどのような関係にあるのかということについては、ここでは論じません。私が注目したいのは次のことです。
これまでの中国の映画やドラマでは、日本との戦争のことになると、その非道さと残酷さを描くということに中心が置かれていました。中国側の問題点や弱点、 「中国はなぜ敗れたのか?」という観点からの描写は非常に少なかったと言っていいでしょう。 実は、私の友人の中でも、このような問題意識をもっている人もいました。「中国が弱いからこそ、侵略されたのだ」という考えです。 しかし、このような問題の建て方をすると、往々にして、まるで日本を免罪、ひいては日本を賛美しているというような、短絡的な批判をされるため、 そのような考えがあっても、なかなか口に出せないというのが実情だったようです。
しかし、このドラマはあえて、そのタブーに踏み込んだと言っていいでしょう。このことの意義も大きいと思います(なお、不思議なことに、新聞などで報じられている範囲で見ると、 登場人物の描き方をめぐる批判や論争については報じられていますが、日本についての描き方については論争があったという話はありません)。
以前の日記の中で、人民日報の評論員・馬立誠氏の 「我々は欠点を覆い隠したりする必要はない。あえて自身の弱点を正視してこそ、誇りある民族と言えるのだ」 という言葉を引用しました。また、在日中国人の歴史学者・劉傑氏は「中国は、自己反省を重ね、自らの弊害を克服していくことが求められている。今までの中国は、外来の要因を強調しすぎたため、自身の変革が遅れたことは明白である。 中国人はまず『自分に勝つ』ことを覚えなければならない」と述べています(『中国人の歴史観』)。私は、こうした中国人の言葉を捉えて、鬼の首でも取ったかのように中国人を批判し、 日本人としての「自己反省」を忘れるような日本人には賛成できませんが、しかし、彼らの観点はこれまでの中国の歴史観やイデオロギーの問題点の核心をついていると思います。 このような、かつては圧倒的に少数派、さらに言えば、こんなことを言えば「漢奸」と罵倒されかねなかった考え方が、徐々に広がってきていると言えるのかもしれません。
このドラマは、袁世凱の帝政が崩壊して後、孫文がさらに「共和」に向かっての新たな闘いを進めていく、というところで終わっています。そして、最後にその後の歴史経過がテロップで流れます。 「1925年、孫文は『革命いまだならず』の言葉を残して、この世を去った」 「残された共和実現の任務は、中国共産党に引き継がれ、1949年の中国革命によって、ついに、その任務が実現されたのである」 素晴らしい、このドラマの最後に、このテロップを見て、思わず苦笑いしてしまいました。いや、このドラマの製作者ですら、このテロップを作りながら、苦笑いしていたかもしれません。 中国では、孫文の奮闘も空しく、彼の死去から60年近くがたった今でも「共和」が実現していないことは周知の通りです。そうであるにも関わらず、このようなテロップを最後に流さなければならないところが、このドラマの限界でしょうか。 しかも、皮肉なことに、昨日のニュースによれば、このドラマは再放送をすることすら、政府によって禁止されてしまいました(6月4日『香港商報』ネット版)。 こうなると、共産党自ら『共和』など今の中国にはないことを告白しているようなものです。孫文は『革命いまだならず』と泣いていることでしょう。
いずれにしても、ドラマ『共和に向かって』は私にとっては非常に新鮮な中国近代史を提供してくれました。このドラマは優れた中国近代史の教科書にもなっていると思います。中国語のわかる方は、ぜひ機会があれば、ご覧になってください。
以前報告した、馬立誠氏の論文、そして、『共和に向かって』と、中国のイデオロギーの変化というものが見えてきています。しかし、気になるのは、人民日報の評論員、中央電視台と、このような変化が「上」の方から出てきているのに対し、 政府だけでなく、市民、「下」の方からそれに対する強い抵抗が現われていることです。中国のイデオロギーが全体として変わっていくまでには、まだまだ時間がかかるのかもしれません。
2003.6.5
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