■ 漢語迷の武漢日記 ■
< 第38回 コネ社会のネットワークの中で >数ヶ月前から、会社で購買の仕事を引き継ぐことになりました。購買の仕事の幅は広く、機械の部品や治工具など、生産に直接関係するものから、文房具や掃除のおばさんたちが使うほうきやモップといったものまで、 全て購買担当者の責任で購入します。時には、ほんの小さな機械部品1個のために、何時間も走り回らなければならないこともあります。
そんな購買の仕事を始めてから、中国社会のさまざまな面が見えるようになりました。
「○○さん、こんにちは。××文房具店です」
「なんで私の名前を知ってるんですか?」
「あら、○○さん、中国語がお上手ですね。あなた名前はとても有名ですよ」
購買の仕事を始めてから、こんな見え透いたお世辞を交えた電話が毎日のようにかかってくるようになりました。なぜ、こんなにも多くの店が私の名前を知っているのか?もちろん、私が有名だからではありません。 答えはただ一つ、会社の職員たちが私が購買担当になったという情報を真っ先に友達に伝えたのです。
会社の中からも、私にアプローチする人が出てきました。
「私の友人が○○機の会社をやっているんですけど、買ってもらえませんか?」
「私の同郷の人が××油を売ってるんですが、今、買っているものより安く買えますよ。どうですか?」等等。
「それの何が問題なのだ。そんなことは、別に日本でもよくあることではないか。彼らが紹介したものが安くて品質の良いものであれば、いいではないか」
そう思われる方もいるかもしれません。
しかし、ことはそう簡単ではありません。中国では友達のことを「朋友」、同郷の人のことを「老郷」と言いますが、実際のところ、友達=朋友ではなく、同郷=老郷ではありません。 中国では、「朋友」「老郷」との関係は、日本では想像がつかない、極めて濃厚な関係と言っていいと思います。一種、一族のような関係で、中国人は「朋友」「老郷」のためなら、骨身を惜しまず尽くすといったところがあります。 それ自体は一つの文化であり、何の問題もありません。しかし、それが会社という一つの公の場に持ち込まれたとき、問題に発展する可能性があるのです。
実際、ある職員は、数社の業者のうち、自分の「老郷」の業者に有利になるように、他社の価格の情報を漏らしたりしていました。また、そのような便宜を計らうことで、業者から様々な利益を得ていたようです。 また、ある職員は受け入れ検査の際、自分の「老郷」の競合業者については不良報告を頻繁に出し、購買科が「老郷」のものを買うように露骨に誘導しようとしています。 ある人は、生産科の職員が自分の「朋友」の業者から入荷しているもの消化を意図的に早めていると言います。以前はもっとひどいことが行なわれており、 「老郷」が業者から入荷したものを再びこっそり業者に返し、また入荷するということまで行っていたと言います。
こうした話というのは、かなり高い確度で証明されていることと、なかなか証拠がつかめないこととがあり、全てが本当とは断定できません。しかし、少なくとも言えることは、中国では自分の「朋友」「老郷」の利益、 ひいては自分の利益を得るために、会社の利益を損なう行為が数多くあるということです。
中国でもう一つ問題になりやすいのが、以前にも述べたこともある「リベート」文化です。中国では購買担当者が業者からリベートをもらうのは当たり前と考えられています。 私が購買の仕事を始めてからしばらくして、ある業者が営業に来ました。私は、しばらく考えさせてほしい、と言い、彼を帰しました。その次の日、彼からショートメッセージが届きました。
「○○さん、あなたの口座番号と希望金額を言ってください」
その、あまりの露骨さには開いた口が塞がりませんでした。しかし、同時に、それが中国ではいかに普遍的に行なわれていることなのかということを改めて実感しました。
私はこれまで、この問題について数多くの中国人と討論しました。私はいつも主張します。
「リベートをもらったら、公平な基準で業者を選べなくなるし、値下げ交渉もできなくなる。それは会社の利益を損なう行為であって、やってはならない行為だ」
しかし、多くの中国人は私の言うことが全く理解できないという顔をします。ある友人は言いました。
「でも、それは会社だってわかっていて、見て見ぬふりをしているんだよ。その方が、会社だってリベート分の給料を節約できるじゃないか」
もし、そのように考えている会社があるとしたら、愚かというほかはありません。実際、私が購買の仕事を引き継いでから、今まで本来の価格の何倍もの価格でものを買っていたことがわかりました。これが何を意味するのか、 もちろん推測の域を出ません。しかし、普通に考えて、リベート文化を野放しにしている会社は、リベートそのものによって節約できる給与の何倍、ひいては何十倍もの損失があると考えていいでしょう。
先日、こんなこともありました。ある時、検査科から「ペンチが切れないと生産ラインから苦情が出ている」という話が来ました。私が買ったのは、これまで使っていた物と同じもので、以前は苦情が出たことがありませんでした。 その時、私が思ったのは、ニセ物をつかまされたのでは、ということでした。ご存知の通り、中国はニセ物がそこら中に溢れている国なので、いつニセ物が入ってきてもおかしくありません。 そこで、すぐに業者を呼び、事情を説明した上で、返品を求めました。しかし、業者は「これは間違いなく本物だ。もう一度、現場に確認してほしい」と強く反論してきました。 そこで、今度は生産科の人を呼び、もう一度状況を確認しました。すると、「そんな問題は出ていないはずだ。返品する必要はない」と言います。後で彼はこう言いました
。 「あれは本当にペンチに問題があるわけじゃないんですよ。前の業者はワーカーたちにご馳走したりしていたんですけど、新しい業者はそういうことはしていないんで、反発して、業者の物に難癖をつけているんですよ」
なるほど、そんなこともあったのかと、驚いたものです。しかし、彼の言うことも丸々信用するわけにはいきません。中国のようなコネのネットワークの社会にいると、 いったい誰が本当に会社の立場に立って物を言っているのか、わからなくなってきます。
中国ではコネのことを「関係」と言います。日本語で言う「関係」とは違う意味を持っています。「朋友」「老郷」という「関係」、リベートの授受を通して作られた「関係」、この「関係」が、透明で公正なビジネスを蝕んでいると思います。 これは、市場経済の発展にも悪い影響を及ぼすでしょう。 かつて、欧米諸国は日本のことを不透明で不公正だとよく批判したものです。これは、アジアにある程度、共通している文化なのかも知れません。しかし、日本人の私の目から見ても、中国のそれは際立っているように思います。
改革開放以前の中国では「人民に奉仕する」精神が高尚なものとされ、「公」「国家」を「私」の上に置くことが求められました。しかし、改革開放が始まり、「公」が剥ぎ取られた後、 残ったのはむき出しの「私」になってしまったのではないでしょうか。少なくとも、今の会社を見ていると、会社と「朋友」あるいは「老郷」の利益がぶつかったときに、どちらをとるかと言ったときに、会社をとるという人は少ないように思います。
かつて、日本人はよく「会社人間」「エコノミックアニマル」などと揶揄されたものです。確かに、過労死するまで働く当時の(今もいると思いますが)日本人は異常と言えるかもしれません。しかしながら、今の中国を見ていると、 「少なくとも会社で給与を得て働いている以上、会社に対して責任を負って仕事をしなければならない」という精神においては、日本人は優れた面があることも否定できないと思います。
人が仕事をするのは、最終的には自分のためだといえますが、しかし、それは会社の利益を上げることに貢献するという行為を通じて実現するものだ思います。残念ながら、このような考えは、今の多くの中国人の中には少ないように思います。
ただし、私はこうした中国人の考え方は民族性に由来するものとは考えません。中国は歴史の中で、大きなブレを経験してきました。計画経済の時代は滅私奉公が強調され、それが今度は改革開放政策によって、全く変わってしまいました。 これは単なく経済体制の変化ではなく、道徳観念の大きな変化でもあったと思います。そんな中で、市場経済に見合った道徳観念−それは一つであるとは限りませんが−がまだ形成されていない、 その過渡期にあるというのが現在の中国なのだと思います。考えて見れば、日本も市場経済を導入して、130年以上がたっているわけですが、それでも不透明、不公正と批判されているわけです。 それならば、市場経済を導入して、わずか20数年の中国が、すぐに市場経済に適応した道徳観念を築くのは極めて困難なことだと言えます。ですから、もう少し時間が必要なのかもしれません。
コネ社会の中では、いったん友達になると、なぜここまでしてくれるのだろうか、というような、日本では考えられないような温かいもてなしを受けることがあります。 しかし、その悪い面には染まらないようにしながら、今後も中国で仕事を続けていきたいと思います。
2003.7.21
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