漢語迷の武漢日記 

< 第39回 中国最大のタブー、台湾問題 >


 ここしばらくの間、仕事に追われ、日記を書かない間に、あっという間に3ヶ月近くが過ぎてしまいました。読者の方からも催促のメールをいただきました。申し訳ありませんでした。今後も仕事の関係で、間が空くことが多々あると思いますが、 この日記はどのような形であっても書き続けていくつもりですので、よろしくお願いいたします。
 さて、今回は長いあいだ取り上げたいと思いながら、なかなか書けなかった問題、台湾問題について書きたいと思います。
 8月の末、エミリー・ラウという香港立法会の女性議員が台湾で「台湾人の前途は台湾人が自ら決めるべきである」と発言しました。中国の一部のメディアはこの問題を大きく取り上げ、ラウ氏が「台湾独立を吹聴した」と断定し、 激しく攻撃しました。そして、ついには「中国の領土の統一を維持する」という内容を含んだ基本法を擁護するという宣誓に反した(香港の立法会の議員は就任の際、基本法を守る趣旨の宣誓をする)として、 「虚偽の宣誓をした罪」で警察が調査する騒ぎに発展しました。
 いろいろなメディアでラウ氏の発言を見ましたが、「台湾独立を支持する」と発言しているものは一つもありませんでした。ただ、「台湾人が自らの将来を決めるべき」と言っているだけです。 しかも、ラウ氏は大陸に比べたら相対的には自由な発言が可能な香港の議員です。にもかかわらず、「台湾独立派」と決め付けられ、メディアの集中砲火を浴び、ついには警察沙汰にまでなってしまったのを見たとき、正直なところ、 恐ろしいなあ、と思ったものです。
 もし、中国人との共通認識を得るのが最も難しい問題を一つ挙げろと言われたら、私は台湾問題を挙げます。私はこれまで多くの中国人と台湾問題について討論しましたが、この問題ほど、 日本人と中国人の観念の違いというものを強く感じさせる問題はありません。
 「台湾は大陸と統一するべきか、それとも独立するべきか」。「台湾問題」と呼ばれる問題の核心を一言で言えば、こういうことになるでしょう。中国ではほとんど99.9%の人が「台湾は大陸と統一すべき」と考えているように思います。 共産党の一党独裁を批判したり、江沢民や胡錦涛を批判することはメディア上ではほぼ不可能ですが、日常生活の中ではごく普通に行われています。 しかし、「台湾統一」に異を唱えることは民間でもかなり困難といっていいでしょう。これに反対することは中国ではほとんどタブーと言ってもいいと思います。
 この問題について、日本人である私が「統一すべき」または「独立すべき」などという権利はないでしょう。しかし、私が少なくとも思うのは、ラウ氏と同様、「台湾のことは台湾の人たちが決めるべきだ」ということです。 つまり、多数の人が統一したいと思うなら統一する、独立したいと思うなら独立する、ということです。「民主主義」という考えに慣れ親しんだ日本人にとって、この考えはごく普通のものだと思います。
 ところが、中国でこのようなことを口にしたら、どこに行っても賛同を得られないだけでなく、激しい批判の対象になります。
 かつて、こんなことがありました。私が武漢に留学した最初の年、留学生を対象にした「中国文化」という授業に参加していました。授業の始まる前、台湾の話になり、私は先のような考えを先生に言いました。 すると、先生は急に興奮しはじめました。
 「君、それは間違っている。台湾は中国のものだ。なぜ、そう言えるのか、これから説明しよう」
 そう言うと、中国文化の講義はそっちのけで、台湾問題についての「講義」を始めました。普通、授業は約2時間で、間に10分休憩が入るのですが、先生は、休憩を取る様子も全くなく、まるまる2時間熱弁を振るい続け、とうとう台湾問題だけで、 授業が終わってしまいました。この時は、中国人の台湾問題に対する執着ぶりに本当に驚いたものです。
 しかし、先生の言う「台湾は中国の一部だ」という論理は「もし台湾が独立したら、アメリカの台湾に対する影響力が増し、中国にとって脅威になる」「中国はこんなに台湾に譲歩している」といった、 「大陸側からの論理」を並べるばかりで、当の台湾の人たちがどう考えているか、という論理は全く見られませんでした。また、「日本だって北方領土は自国の領土だと言って譲らないだろう。それと同じことだ」と言いました。 私は、北方領土の問題は2国間のどちらに属するかという問題であり、独立か統一かという問題とは性質が違うと言った上で、沖縄のことを取り上げました。
   「沖縄でも独立を主張する人がいますが、もし沖縄の半数以上の人が独立に賛成するなら、当然、独立を認めるべきだと思います」
 私がこう言った時の先生の驚愕とも困惑ともつかぬ表情を忘れられません。先生には私のこのような観念が全く理解できなかったのです。もちろん、日本人でも沖縄の過半数の人が賛成しようが、独立には反対だという人もたくさんいるでしょうし、 日本政府も簡単に独立を認めるとは思えません。しかし、少なくとも中国人のような「統一」への極度な執着は日本人にはないと思います。
 また、こんなこともありました。近くの大学で、毎週「漢語角」というのを開いていました。これは、「イングリッシュ・コーナー」の中国語版で、中国人学生と留学生が中国語で交流する場でした。私も一度それに参加したことがあります。 その時は、留学生の参加が少なかったらしく、私が日本人だと知るや、多くの中国人学生たちが何重にも私を取り囲み、次々と質問を浴びせ始めました。そんな中で、ふと台湾のことも話題に上りました。ある女子学生が言いました。
「台湾の人たちのほとんどは統一を望んでいるのに、李登輝らの一部の人間が妨害しているのよ」
 私は、これは明らかに現状と違うことを言っていると思ったので、それに反論しました。すると、彼女はやや語気を強めて、反論してきました。同時に、私を取り囲んでいた中国人学生たちの雰囲気が急に殺気立ってきたのを感じました。 私は身の危険を感じ、慌てて彼女の主張を受け入れるようなことを適当に言い、話題を変えました。
   中国人たちが台湾を中国の一部分と主張するのには、いろいろな理由があります。明の時代から中国の領土だった、日本がポツダム宣言を受託した時に、台湾の中国への返還を約束している、国際社会のほとんどの国が、 台湾を中国の一部分と認めている、といったものです。
 こうした国際法や歴史的経緯からすると、確かに台湾は中国の一部だと言えるのかもしれません。しかし、私が中国人たちの意見に違和感を感じるのは、彼らの多くに、台湾の人たちは一体なにを望んでいるのか、もし統一を望まない人がいるなら、 それはなぜなのか、ということを真剣に考えている人があまりいないということです。その前に、中国人の多くは、台湾の歴史や現状をほとんど知らない、あるいは知らされていないという現状があります。
 中国人のほとんどは、「本省人」「外省人」という言葉すら知りません。本省人というのは、明の時代に台湾に渡り、ずっと台湾に住みついている人たち、外省人というのは、共産党との戦いに敗れた国民党とともに1949年に台湾に渡った人たちです (このほかに、もっと以前から台湾に住んでいる少数民族もいます)。国民党の統治が始まってからは、本省人は様々な面で差別されつづけ、それに対する反抗は、徹底的に弾圧されました。1947年の2.28事件では2万人前後の犠牲者が出たと推計されています(92年の台湾政府の調査による)。 このような、本省人と外省人の対立、いわゆる「省籍矛盾」は今でも存在しています。統一派には外省人が多く、独立派には本省人が多いのは、このためです。人口の比率では、本省人の方が圧倒的に多いため、世論調査をして、 統一を望むという人の比率は、低くなっています(2002年11月の行政院研究発展考核委員会の世論調査によると、台湾独立 32.3%、両岸統一 21.8% 、現状維持 19.7%となっています )。したがって、もし台湾をどうしても統一したいというなら、 まず台湾のこうした現状をつかみ、どうしたら台湾の人たちが統一を望むようになるのか、ということを考えなければならないはずです。
 しかし、残念ながら、大陸の人たちの中にはこのような思考方法はほとんど見られません。あるのは、まず、先にも述べたような「台湾の大多数の人たちは統一を望んでいるのに、一部の人たちが妨害している」という根拠のない思い込みです。
 「アメリカや日本が軍事上、台湾の独立を望んで策動しているために、台湾が統一されない」と外部に原因を求める人もいます。アメリカや日本にこのような考えを持っている人がいないとは言えないにしても、 少なくとも政府レベルにおいてはアメリカも日本も「一つの中国」の原則を認めているわけで、このような「外因論」は全く成り立たないのですが、こうした根拠のない論理が多くの人たちに信じられています。
 統計的に見て、統一を望んでいる人が多数派ではないのを知っている人たちもいます。しかし、その人たちも「これは台湾のメディアが民衆を『誤導』(誤った道に導くこと)しているのだ」と言います。 民主化された台湾のメディアは少なくとも大陸よりは自由であること、また、あえて言うなら、台湾のメディアにおいては国民党系の力のほうが強いことなどを考えれば、このような主張も全く的外れですが、 現実にはこのような論理がまかり通っています。
 そして、もう一つあるのは次のような考え方です。
 「台湾は中国の一部だ。したがって、台湾の統一・独立については台湾の人たちの投票によってではなく、全中国人の投票によって決められるべきだ」
 これは、台湾で統一を支持するひつが少ない現実に対応した新たな論理と言えるでしょう。しかし、これは「一つの中国」をすでに前提にした論理で、台湾の人たちからして見れば、すでに独自の政府も持っている一つの「国」の運命を、 全く別の政治体制を持っている「国」の人たちによって決められるべきだなどという主張が受け入れ難いでしょう。
 いずれにしても、ほとんどの中国人は台湾が統一されない理由を一部の「台湾独立派」、アメリカや日本などの外国の「策動」に求め、決して大陸自らに原因を求めようとしません。また、台湾を大陸と対等な対象と見ず、 まるで子供か何かのように見る考え方があるように思います。このような考え方がある限り、台湾の人たちが進んで統一に向かうことはないのではないでしょうか。
 さて、それでは中国には台湾問題に対する異論は存在しないのでしょうか?私が最初に「台湾独立容認論」に触れたのは、ある理系の大学の先生に会った時でした。その先生は言いました。
 「台湾もチベットも独立したければすればいいんですよ。独立した結果、統一したほうが有利だとわかれば、こちらが何も言わなくても向こうから頭を下げてきますよ。唐の時代もそうだったでしょう。 こんなことを私が言ったと決してほかの人に言ってはいけませんよ。大変なことになりますから」
 この先生の考え方は、本当の意味での台湾独立支持ではなく、やはり戦略的な統一論と言えます。
 台湾問題について、以前この日記でも書いたA先生に訊いたことがあります。A先生ならきっと、他の中国人とは違う考えが聞けると思ったのです。
   「先生、私は台湾のことは台湾の人たちが決めるべきだと思うのですが、先生はどう思いますか?」
 私がこう訊くと、A先生の顔が苦渋に満ちた表情に変わりました。そして、言いました。
   「その問題に答えることはとても難しい」
   「先生、もし答えにくかったら無理に答えなくてもいいですよ。すみません、こんな問題を訊いてしまって」
   「いや、いいんだよ。ただ、一つだけ言えば、解放当時の中国ではレーニンの唱えた『民族自決権』ということが盛んに強調されたが、その後の中国では『民族自決権』ということがほとんど言われなくなった」
 これがA先生のギリギリの回答でした。私はこれを聞いて、A先生が圧倒的大多数の中国人とは違う考え方を持っていることが知りました。しかし、授業で天安門事件の時の学生運動を絶賛するなど、タブーを恐れず発言してきたA先生ですら、 このような形でしか台湾問題を語れないのを見たとき、中国でこの問題について統一に異を唱えることがいかに困難で、プレッシャーの大きいことなのかを思い知らされました。
 それでは、当の台湾の人たちはどう考えているのでしょうか?私が武漢に留学していた当時、台湾の留学生が数人いました。彼らは皆、独立も統一も望んではいませんでした。ただ、「現状維持」を望んでいました。 これは、多くの台湾人の考えを代表していると言えるのでしょう。
 一人の台湾人留学生がこんなことを言ったことがあります。
 「中国が日本に侵略されたのは、中国があまりにも遅れていて、愚かで、腐敗していたからだよ。これは日本の責任じゃなくて、中国の問題だよ」
 私はこれを聞いて、びっくりしました。こんなことを大陸の人が言ったら袋叩きに合うでしょう。しかも彼はこれを卑下した感じではなく、実に爽やかな様子で言い放ちました。まるで他の国のことにようです。そうです。 彼にとっては「中国」は自分の国ではないのです。彼の話を聞いて、大陸と台湾の間には、いかに大きな溝があるのかを思い知らせれました。そして、多くの大陸の人たちは全くといっていいほどこの溝の大きさを理解していないように思いました。
 留学時代、ある中国人の友人が言いました。
 「台湾は中国の一部という考え方は、僕らにとっては理屈じゃない。骨の髄まで染み込んだ考え方なんだ」
 一体、なぜ中国人がここまで台湾に執着するのか。一つには、かつて日本を含む列強に侵略され、台湾を含む領土を切りきざまれた歴史があるように思います。中国人と話していると、チベットや新疆が独立して領土が縮小し、 国家が弱体化することへの恐怖とも言える感情を感じることがあります。そのトラウマとも言えるものは侵略された民族のみが理解できるものなのかもしれません。 そして、そのトラウマを知るもののみが台湾への執着を理解できるのかもしれません。
 しかし、それなら、なおのこと、大陸の人たちには台湾の人たちの心にもっと思いを寄せてほしいと思います。大陸の人たちと台湾の人たちがいかに違うのかを理解してほしいと思います。 本当に統一を望むのなら、それが第一歩であると思います。
 


2003.10.7



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