漢語迷の武漢日記 

< 第40回 中国メディアは反日を煽ったか? >


 このところ、チチハルの毒ガス事件、珠海「集団売春」事件、西北大学事件など、日中関係に影を落とす事件が立て続けに起こり、対日感情も一部で悪化しています。西北大学事件が起こった当初、ある読者の方から「西北大学事件の詳しい状況と 見解を発表してください」というメールをいただきました。西北大学事件とは、ご存知の方も多いと思いますが、西安にある西北大学に留学していた日本人留学生3人と日本語教師1人が『ほら、これが中国人だ』と書かれた紙を掲げながら、 胸に赤いブラジャー、下腹部に紙コップを付けて踊り、ブラジャーの中から取り出した紙くずを観客席に向かってまくという、極めて「下品な」寸劇を行ったために(この情報が正確かは後に論じます)、中国人学生らを激怒させ、 大規模な抗議デモにまで発展し、ついには西安にある日本料理店が包囲されたり、寸劇と関係のない日本人留学生が、留学生寮に侵入した中国人学生に殴れらるなどの過激な行動を引き起こすに至った事件です。
 当時、日中双方でこの事件についての報道はあり、私はそれらの記事を一部見ていましたが、最初の感想は「何ていうことをしてくれるんだ!」というものでした。日本人というのは中国ではある意味で特殊な存在です。 多くの中国人の心の底では日本人という存在が「歴史、戦争」と強く結び付けられています。それは、日常生活やビジネスの中では心の奥底にしまわれ、なかなか表に表れることはありませんが、一度それに火をつける出来事があれば、 たちまち燃え上がります。そして、そんな出来事が起これば、われわれ中国に生活している日本人は肩身の狭い思いをしなければなりません。チチハルや珠海の事件が起こった後、私はいくらかの緊張感を感じざるを得ませんでした。 そんな中で、西北大学の事件が起こったので、正直なところ、「またか」「いい加減にしてくれ」という気持ちだったのです。
 しかしながら、その一方で、この出来事は本当に事実なのだろうかという疑問もありました。
 そんなわけで、私はメールを送っていただいた読者の方に次のように返信しました。
 「個人的には、中国の方たちには、抗議するにしても、事実をまず、しっかり確認してからにしてほしいと思うと同時に、日本に方たちには、ただでさえ 日中関係がうまくいっていない中で、反日感情を煽るような行為は謹んでもらいたいと強く思います。迷惑するのはわれわれ中国にいる日本人だからです」
 それに対する読者の方の反応は、ちょっとがっかりしたという感じでした。恐らく、この方はこの事件の事実関係を疑うと同時に、中国人側の過激な反応に疑問を持っており、それに対する批判を期待していらっしゃったのかも知れません。
 そんなこともあり、その後、西北大学事件に関する報道やネット上の書き込みなどに注目するようになりました。特に、中国人を激怒させた「『ほら、これが中国人だ』と書かれた紙を掲げていた」という点が本当に事実なのかどうかに 注目しました。なぜなら、単に「下品な寸劇をした」というだけなら、これほどの中国人の激怒を巻き起こすとは考えられなかったからです。 そんな中、「『ほら、これが中国人だ』と書かれた紙を掲げていた」というのはデマだったする報道が日本のマスコミでいくつかされました。
 「Tシャツにハートマークを背中に描いた留学生を、「日本」「中国」と背中に書いた別の2人の留学生がはさむように立ち、3人で手をつないだ。ハートマークに結ばれた日本と中国を表現したかったのだ」
 これは、毎日新聞(電子版、2003年11月2日)が留学生の言い分として報じたものです。
 さらに、ポータルサイト「中国情報局」の掲示板には、西北大学の留学生を名乗る人から次のような証言がされています。
   「まず「これが中国人だ!!」なんて叫んでもないし、紙を掲げてもいません」
 「(寸劇をした留学生らは)顔にダンボールで作ったロボットのような箱をかぶっていました」
 「因みにロボットの顔にはたくさんの文字が書いてありました。「中国」と書いてもありました。多分それがいけなかったのでしょう」
 一般に、匿名で掲示板にされるこのような書き込みがどの程度信用できるかということはありますが、書き込みの内容が極めて具体的で詳細であることから見ると、信憑性が高いと思われます。
 これらの情報を総合すると、Tシャツや「ダンボールの顔」の上に書かれた「中国」という文字から、中国人が、「ほら、これが中国人だという」というメッセージを誤って読み取った可能性が極めて高いと言えます。
 「『ほら、これが中国人だ』と書かれた紙を掲げていた」という報道が事実に反していたとすると、一体、誰がこんな情報を流したのか、ということになってきます。
 日本のマスコミやネット上では、「中国政府・マスコミが反日感情を意図的に煽っている」という見解がよく見られます。今回の西北大学事件についても同様な見解が見られます。 例えば、11月1日付の「産経新聞」(電子版)は西北大学の事件が過剰ともいえる反応を引き起こした原因を次のように分析しています。
   「なお多くの点が不明な騒ぎだが、日本人を好色で下劣な民族と印象づける▽中国人の民族感情を刺激する▽問題を外交ルートに乗せる−という三点で、珠海の「日本人集団買春事件」と共通のパターンがうかがえる。タイミングも微妙。 福岡での一家四人殺人事件の容疑者として中国人拘束が明らかになった直後に『買春事件』が、瀋陽(遼寧省)で日本人旅行者誘拐事件が発生した後に今回の反日デモ騒ぎが、なぜか起きている」
 この論調に見られるのは、中国政府が意図的にこれらの問題を大きくし、反日感情を刺激しようとしていると同時に、自国の非を隠蔽しようとしているという考え方です。
 それでは、中国大陸のマスコミは今回の西北大学事件において、西北大学事件における過剰な反応や過激な行動を煽る役割を果たしたのでしょうか。だいぶ回り道になりましたが、これが今回のテーマです。
 西北大学事件を大陸で最初に報じたと思われる10月31日の新華社通信の記事では、留学生の行為を次のように報じていました。
 「日本人教師1人と日本人留学生3人が、胸に赤いブラジャー、下腹部に紙コップを付けて踊り、ブラジャーの中から取り出した紙くずを観客席に向かってまくという、極めて下品な寸劇を行った」
 こう報じた上で、これに対する中国人学生の抗議やデモが行われたことが報じられています。
 しかし、中国人学生らを激怒させたと見られる、最も肝心な点、そして、後で日本のマスコミでも報じられた、「寸劇をした留学生らは『ほら、これが中国人だ』と書かれた札を掲げ」、中国人を侮辱したという点については、 新華社は報じていません(この点は「産経新聞」の記事でも触れられています)。また、その後の報道でも、この4人がこの寸劇のために除籍処分になったことは報じましたが、その理由としは、あくまで「下品な寸劇のため」と報じるのみで、 「中国人を侮辱したため」とは報じませんでした。
 他のマスコミはどうでしょうか。深センで発行部数の多い「深セン特区報」「深セン商報」「南方都市報」は、いずれも西北大学事件を報じましたが、その内容は基本的に新華社通信が報じた内容をそのまま引用したものでした。 また、扱いもそれほど大きくありませんでした。したがって、「寸劇をした留学生らは『ほら、これが中国人だ』と書かれた紙を掲げていた」ということについては、一切報じませんでした。
 中国の政府やマスコミが本当に「中国人の民族感情を刺激しようとしている」のなら、なぜ民族感情を最も刺激するはずの、そして、実際、 今回の事件でも中国人を最も激怒させた核心部分とも言える「寸劇をした留学生らは『ほら、これが中国人だ』と書かれた紙を掲げていた」という報道をしなかったのでしょうか?
   この点から見ると、大陸のマスコミが「反日感情」を煽っていたという評価は西北大学事件について見ると、妥当でない可能性が強いと言えます。むしろ、事実とは確認されていない情報について、 大陸のメディアは極めて慎重な態度で報道したと言えるでしょう。
 事実、日本とは反対に、私の周辺では、この事件の存在すら知らない中国人も数多く存在します。このことが、大陸でのこの事件の扱いがいかに小さかったかを示しています。
 それでは、寸劇をした留学生らが「ほら、これが中国人だ」と書かれた紙を掲げていたという日本のマスコミ報道のソースは何だったのでしょうか?それは、香港のマスコミでした。 この情報を最初に報じたと思われるのは親中派の香港紙「文匯報」でした。そして、同じく香港のテレビ局、フェニックステレビなども、この情報を文匯報から引用して報じました。日本のマスコミの引用も、 私が見た範囲では全て「文匯報」からです。
 これが、後にネットなどを通じて、「寸劇をした留学生らは『ほら、これが中国人だ』と叫んだ」などと誇張されて広がったようです。
 「『ほら、これが中国人だ』」と書かれた紙を掲げていた」というのは、事実ではない、もしくは誤解であった可能性が極めて高いことは最初に述べましたが、そうだとすれば、反日感情を煽ったメディアは、政府に統制された大陸のメディアよりも、 むしろ比較的自由な環境に置かれている香港のメディアだったことになります。このことは、報道の自由が必ずしも「客観的な報道」には結びつかないことを示しています。
 それでは、西北大学事件と並んで大きな問題になった、珠海の「集団売春」事件についての報道はどうだったでしょうか。この事件も、発生当初は大きく報じられました。しかし、その後、深センの新聞ではほとんど報じられなくなりました。 珠海事件が再び深センの新聞に登場したのは、中国側の容疑者の裁判が始まるときでした。売春をしたとされる日本企業については、報道は極めて抑制されていました。事実関係において不明な部分が多かったために、慎重な態度が採られたと 思われます。日本企業の問題について詳しく報じたのは、私が見た範囲では北京・上海の一部の新聞のみです(もちろん、中国全国には無数の新聞かあるので、全般的な状況までは把握できませんが)。
 珠海に駐在する日本人の方の話でも、事件後、日本人がいやがらせを受けるなどといったことは全くなかったと言います。これも報道が比較的な抑制されていたことの1つの結果と言えるでしょう。
 驚いたのは、テレビでも珠海事件についての報道が明らかに「統制」されていたことです。深センでは、香港のテレビ局の番組を見ることができますが、有線テレビを通じて見た場合、台湾情勢やチベット情勢など、 政治的に微妙な問題が報じられると、突然コマーシャルが挿入され、見られなくなってしまいます。ところが、今回、フェニックステレビが珠海事件を報じ、評論家のコメントを流そうとすると、台湾情勢と同様、突然コマーシャルが挿入されました。 また、フェニックステレビのニュースでは画面の下部に常にテロップが流れていますが、川口外相の珠海事件についてのコメントが流れ始めると、そこだけが「黒塗り」にされました。これは逆の意味での報道統制ですが、 このことは、中国政府が、反日感情を煽るどころか、むしろ、こうした事件が拡大し、日中関係が悪化することを恐れているあかしと言えるのではないでしょうか(もちろん、この報道を流さないという判断をしたのが、中央政府なのか、 地方政府なのかといったことまで確認することは不可能ですが)。
 中国では胡錦涛主席が率いる新指導部が誕生して以降、対日政策に変化が見られます。以前もこの日記で取り上げたことがありますが、元人民日報評論員の馬立誠氏は論文の中で、 「侵略戦争について日本はすでに謝罪済み」といった大胆な見解を打ち出し、日中関係の戦略的重要性を説いて、大きな反響を呼びましたが、こうした従来では考えられなかった見解が堂々と述べられるようになったことが、 メディアの姿勢にも変化を及ぼしていると言えるかもしれません。
 中国のメディアが政府の統制下にあることは事実ですが、ゆえに反日感情の扇動という単純な図式が日本の一部の人の中にあるように思えます。今回のような事件が起こると、何の検証もなしに「反日メディアが原因」など断定する傾向がありますが、 一連の事件に対する大陸マスコミの反応を見ると、これは中国の政治やメディアの変化を見落とした、的外れな見解と言わざるを得ません。
 今回の一連の事件に対する過剰とも言える反応の原因も、メディアなどの外因に求めるのではなく、中国人自身の日本観の中に求めていく必要があると思います。それが合理的であるかに関わらず、それと真正面から向き合っていかない限り、 中国政府やメディアの責任を押し付けても、日中間の溝は決して埋まることはないように思います。
 さて、最後に、先ほどの「産経新聞」の記事に見られるような「中国政府やメディアは自国の非を隠蔽しようとしている」というような考え方に対して、それとは異なる中国メディアの報道を紹介しておきます。
 10月8日付けの深センの日刊紙「南方都市報」は「中国人留学生犯罪が引き起こすイメージ危機」という大見出しの上に「GO HOME、ニュージーランドでは中国の学生が1人で道を歩いていると、現地の人がこう叫ぶのが耳に入る。 同様な状況は日本やオーストラリアでも見られる」という小見出しをつけて、中国人留学生の犯罪を大きく取り上げています。その中では、福岡の一家殺人事件についても詳しく報じています。
 もちろん、こうした記事の取り上げ方は、新聞によって異なっていますが、少なくとも、このような「自国の非」を明らさまにする報道が全て統制されているわけではないことを示しています。  国際化の進む中にあって、こうした問題は隠すべき問題ではなく、むしろ公にして解決しなければならない問題として中国でも意識され始めたと言えます。
 「中国は一党独裁だからこうに違いない」「日本はかつて中国を侵略したからこうに違いない」」。こうした、検証なしの相互の偏見が今回起きた一連の事件を含め、日中関係を一層こじらせているように思います。 「イメージではなく事実を出発点にすること」。このことが日中間の溝を埋める上での1つの鍵かもしれません。
 いずれにしても、日本人が中国において、いつか「特殊な存在」でなくなる日が来ることを、中国に生きる日本人である私は強く願っています。
 


2003.12.9



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