■ 漢語迷の武漢日記 ■
< 第42回 愛国心について >これまで、およそ月1回ぐらいのペースで書いてきたこの日記ですが、このところ 仕事に追われ、気づいたら、4ヶ月近くもこの日記を書いていませんでした。今回は あえて、仕事に直接関係のないテーマについて書いてみたいと思います。
今、日本では「愛国心」が大きなテーマになっているようです。中央教育審議会(中 教審)は、昨年3月20日の答申に、「国を愛する心をはぐくむ」という内容を教育基 本法に盛り込むよう答申を出し、賛否両論が巻き起こりました。少し前に日本に一時 帰国したときにも、「愛国心」をテーマにした本をいくつも目にしました。その背景 には、日本人に愛国心が欠落しているために、国や社会のことを考えなくなり、結果 として利己主義やモラルの乱れにつながっているという問題意識があるようです。こ れに関連する日の丸・君が代のいわゆる強制、卒業式などで起立しなかった教員の処 罰などをめぐっても、同様に賛否両論が巻き起こっています。
確かに、戦後の日本では「愛国心」という言葉は、ほとんどタブー視されてきまし た。「愛国」を唱えるのは極端な右翼と相場が決まっており、「愛国党」は当然なが ら右翼政党でした。その背景には、かつて日本が「愛国」の名の下に行った戦争に よって、多くの罪のない人たちを殺害したばかりでなく、自国民にも多大な被害をも たらしたという痛苦な歴史があることは言うまでもありません。この体験のために、 「愛国心」と聞けば多くの人が警戒心や嫌悪感を持つようになったと言えるでしょ う。
私自身も、戦後教育を受けた一人であり、「愛国心」という言葉に嫌悪感を持ってき ました。愛国心と聞けば、「戦争」や「自己犠牲」をイメージしました。自分の国の 良さを強調するような言論には何か胡散臭さを感じていました。
しかし、中国という外国に生活するようになってから、愛国心ということについて、 改めて考え直さざる得なくなってきました。
これまでも書いてきたことですが、中国人による日本・日本人批判の中には、どう見 ても、公平とは思えないものが数多くあります。以前ご紹介した中国中央テレビの キャスター・水均益氏の言論などは、その典型です。このような、言いがかりとしか 思えないような日本・日本人批判に数多く接するうちに、「日本や日本人をそんなに 悪くばかり言わないでくれよ」「日本や日本人にも良い所がたくさんあるんだぞ」と いう気持ちが沸いてくるようになりました。このような感情は日本にいた時には、ほ とんど、ありませんでした。
中国人から「歌舞伎や能とはどういうものなのか」などと聞かれたときに、それらを 見たことも見ようとも思ったことがなく、何も答えることができない自分を恥じるよ うになりました。そして、自国の優れた文化について、もっと理解を深めなければな らない、などと、これまで考えたともないことを考えるようになりました。
そして、気づいたのです。自分は身はどこにあろうと日本人であり、日本という国、 文化から切り離すことはできない。自分はやはり日本という国を愛しているのだと。 中国という外国で生活する中で、自分の心の中にある愛国心、それも外から押し付け られたものではない、ごく自然な感情としての愛国心を発見したのです。
私は、学校教育の中で、一度も愛国心の重要性などというものを教育されたことがあ りません。しかも、私は日本に帰国するつもりは全くなく、中国でずっと仕事を続け ていきたいと考えている人間です。ある意味では「祖国」を捨てた人間と言えるのか もしれません。しかし、そのような人の中にも愛国心があるのです。
日本人というのが、他の国民に比べて、特別に愛国心が欠落した国民なのか、これを 考える上で、中国人の日本に対する見方は1つの参考になります。
ご存知の通り、中国の「愛国心」事情は、日本とは全く異なっています。中国では 愛国心を持つことは無条件に善であり、また義務でもあります。日本のように愛国心 という言葉に嫌悪感や警戒心を持ったりなどということは、全く考えられないし、ま た理解もできないことでしょう(ただし、後に述べるとおり、少数民族の場合はまた 違った事情がありますが)。国が「愛国教育」(中国では「愛国心教育」とは言い ません)を行うことは当然であり、それ に異を唱える人は、少なくとも公然とした形では、いません。学校の門には「愛国主 義教育基地」と書いたプレートが至るところに設置されています。
このような日本との大きな違いの背景には、やはり過去の歴史があります。中国で は、戦争とは日本という侵略者と戦い、追い出すためのものでした。そして、愛国と は、侵略者と戦うために団結するためのスローガンだったのです。ですから、中国に おける「愛国」には、日本のような忌まわしい歴史がまとわりついていません。こう した歴史背景の違いが、日本と中国の「愛国心」に対するイメージの違いとなって現 れていると言えるでしょう。
それでは、中国人は日本人よりも愛国心が強い民族だと言えるのでしょうか?
不思議なのは、多くの中国人が日本人こそ愛国心の強い民族だと思っている ことです。
私は中国に来てから、「日本人は愛国心が強く、団結しているんでしょ ?」と何人の人から聞かれたか、わかりません。そのたびに私は、日本人の多くが歴 史的原因のために、いかに「愛国心」というものに嫌悪感を持っているか、という話 をしましたが、皆、よく理解できないという感じでキョトンとしていました。
しかし、考えてみれば、確かに中国人の目から見れば、日本人には愛国心があり、国 家の下に団結していると映る理由があるのかもしれません。中国にはチベット族やウィグ ル族など、漢族とは全く異なる言語や文化を持った民族が広範囲に分布しており、そ れらの地域にいると、まるで別に国にいるかと思えるほど、漢族を中心とした地域と 違いがあります。現地に行けばわかりますが、多数民族である漢族と少数民族、特に チベット族・ウィグル族との関係は、決していいとは言えません。これに対し、日本 も単一民族国家ではなく、民族間の対立がないわけではありませんが、中国のチベッ ト族やウィグル族と漢族との対立に見られるような、激しい対立は見られません。
また、中国の近現代史を見ると、様々な国家内の分裂や対立を経験してきています。 軍閥間の対立もそうですし、国共内戦もそうです。日本が侵略を開始してからも、国民 党と共産党がいわゆる合作をするまでは、随分と長い時間がかかりました。また、列 強によって、国土をバラバラに切り刻まれてきたという歴史もあります。これに対 し、日本も明治維新などの時代の変わり目に、内戦は経験していますが、それ以後、 中国のような長期に渡る内戦や分裂は経験していません。
このような日本と中国の歴史の違いのために、中国人の目から見ると、「日本人は愛 国心があり、団結している」と見えるのでしょう。日本という国は、中国人から見る と、「愛国心」などわざわざ強調したり、特別に教育したりしなくても、ごく自然に 国民が愛国心が持て、団結ができる、ある意味で羨ましい国として映っているので す。私が中国に来てから愛国心を意識するようになったのも、日本人という国民が、 愛国心を自然に持っていることの1つの表れと言えるかもしれません。
以上のような、日本と中国の愛国心の比較から、日本でさかんに議論されるように なった「愛国心教育」の是非を考えると、どうなるでしょうか。
まず、先ほども述べたように、日本人が特別に愛国心が欠落した国民だという考え方 には、大きな疑問があります。
次に、中国の現状から見て、「愛国心教育」の効果がどの程度なのか、見なければな りません。
最初にも述べたように、「愛国心教育」の必要性を説く人たちには、 「日本人に愛国心が欠落しているために、国や社会のことを考えなくなり、結果とし て利己主義やモラルの乱れにつながっているという問題意識があるようです。例え ば、『新しい道徳教育』(山口彦之編)は「心の荒廃、教育の荒廃が指摘されて久し い。その原因の一つは、戦後における道徳教育の不在にある。道徳教育の不在は、青 少年問題の深刻化だけでなく、社会全体のモラル(倫理・道徳)の退廃をもたらし、 今日の政治、経済、社会の混迷の根本的原因ともなっている」とし、「健全な愛国 心、人類愛を育むべきである」と提言しています。これは、「愛国心教育」の必要性 を説く人の、ほぼ共通の問題意識といっていいでしょう。
それでは、「愛国心教育」の先進国、中国の現状はどうなのでしょうか?中国の「愛 国教育は、モラルの向上に効果を発揮 しているのでしょうか?残念ながら、とてもそうは言えません。様々な原因があるで しょうが、率直に言えば、中国ではゴミやタバコをそこら中に捨てる、痰をみだりに 吐く、バスや電車・映画館の中などで、携帯電話を鳴らす、大声で話すなど、日常生 活の中でのモラル乱れが著しいことは、すでに第12回「中国人とは一体」で述べたと おりです。こうした現象はもちろん、日本でもあり、それもどんどんひどくなってい るとおっしゃる方もいるかもしれませんが、それでも中国とは全くレベルが違いま す。
また、仕事の中でも、「会社のために」といった意識が比較的薄く、キックバックを 平気で受け取ってしまう購買担当者がたくさんいるということも、これまでの日記で すでに述べてきたとおりです。
さらに言えば、中国の官僚の腐敗・汚職は、日本とは比較にならないほどひどいとい うことは、周知の通りです。
こんなことを言うと、私が何か中国人の人たちが劣っているかのように言っていると 誤解されないことを願います。中国人の人たちに優れた面がたくさんあることも、ま た、これまでの日記で述べてきたとおりです。ただ、ここで言いたいのは、「愛国心 教育」と「モラルの向上」「公共心の向上」には因果関係がないということです。も し、「愛国心教育」が「モラルの向上」の特効薬であるというなら、「愛国心教育」 の先進国、中国でこそ、最も高いモラルが実現されるはずです。しかし、現実には全 くそうなっていません。愛国心教育ではモラルの問題は解決できない、このことを中 国の現実が示しているのです。
もう1つ、「愛国教育」の弊害の方も中国から学ばなければなりません。中国人の強 い反日感情の原因として、中国の愛国教育、その一部としての反日教育をあげる人は 数多くいます。私は、中国人の反日感情の原因を、「反日教育」だけに帰すことには 賛成できませんが、中国大陸と同じように侵略を受けた香港の人たちとの意識の違い や、時に見られるあまりに不条理と思える日本・日本人批判を見ると、「反日教育」 が悪い影響を与えていることも否定できません。
中国で言えば、「愛国教育」と言えば、どうしても日本という侵略者と戦い、それに 勝利したという誇らしい歴史を抜きにはできません。そして、チベットや新疆の問 題、文革の問題など、自国の矛盾や汚点については、わずかしか、あるいは全く語ら ないということになっていきます。
日本で「愛国心教育」を進めた場合に、同様な問題は起こらないのか。他国に対する 偏狭なナショナリズムが発揚されたり、過去の汚点、例えば、中国を含めたアジア地 域への侵略行為の歴史を十分に教育しなくなるということはありえないのか。こうし た点は、中国の現状を批判的に見る人ほど、慎重に考えなければならないはずです。 ところが、現状では、中国の「反日教育」を声高に批判する人ほど、自国の「愛国心 教育」に賛同しているように思えます。
そして、最近起こった1つの事件が、「愛国心教育」についての再考を私に迫りまし た。それは、イラクの人質事件です。解放された3人の人質が政府と世論の集中砲火 を浴びたのは、ご存知の通りですが、私が1番気になったのは、そうした批判の言論 の中に、「彼らは反日的、反政府的だから、けしからん」というものが多く見られた ことです。例えば、自民党の柏村武昭・参院議員は、「人質の中には自衛隊のイラク 派遣に公然と反対していた人もいるらしい。そんな反政府、反日的分子のために血税 を用いることは強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」と発言しました(4月26 日アサヒ・コム)。
ここで問題なのは「反日」と「反政府」がイコールになっていることです。つまり、 政府の政策に反対することは、日本に反対することであり、愛国心がないという論理 です。私は、国を愛するからこそ、政府に反対することもあるのであり、「反政府」 と愛国心は全く関係がないと思うのですが、私が恐れるのは、「愛国心教育」の中 で、「政府に反対することはいけないことだ」というような意識や雰囲気が醸成され ることです。そんなことは、民主主義の日本ではありえないと思いましたが、先日の 人質事件に対する異常とも思える(と私には見えました)反応を見て、そうした懸念 を抱かざるえませんでした。
私は半ば祖国を捨てて、中国にやってきた人間ですが、やはり日本が好きです。「愛 国心」と聞いただけで顔をしかめ、何か日本の汚点、悪い点だけを強調し、日本が 非常に劣った国で、日本人が非常に劣った国民であるかのように言う人には、今では 違和感を覚えます。
しかし、愛国心を改まって「教育」することにも素直には賛同できませんし、それに よって、モラルの乱れなどの社会問題が解決できるという考えにも賛同できません。 むしろ、その弊害を中国から学ぶべきだと思います。
中国人も羨ましがる、日本人のごく自然な愛国心、外から押し付けられたものではな い愛国心というものを大切にしてほしいものだと思います。
2004.5.22
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