漢語迷の武漢日記 

< 第43回 反日デモのほとぼり冷めて >


 留学中は、およそ月1回程度のペースで書いてきたこの「日記」ですが、最近は仕事 が多忙になり、ずいぶん長い間、書かずにきてしまいました。また、仕事を始めてか らは、この日記が主なテーマにしてきた「日中」という問題を、留学時代のように自 由には話せなくなりました。政府レベルで日中関係がどんなに緊張していようと、ビ ジネスの中では、中国人が歴史問題などを提起してくることは、極めてまれです。そ れによって、ビジネス上の関係に影響することを恐れているからでしょう。また、私 の方も、留学時とは違い、日中関係などの話題を気軽に持ち出すことはできなくなり ました。なぜなら、それによって、ビジネスに影響が出たら、会社に対して責任が負 えないからです。こうしたことが、しばらく筆を止めさせる原因になったかもしれま せん。
 しかし、もう数ヶ月も前のことになりますが、日中関係というものを改めて考えざる 得ない出来事が起こりまし た。それは、反日デモです。皆さんもご存知のことと思いますが、私のいる深センで も数回にわたり大規模な反日デモが起こりました。その後、中国政府が反日デモを禁 止したため、今はほとぼりも冷めてきましたが、当時のことを振り返って、書いてみ たいと思います。
 4月3日、深センで最初の大きなデモが あったとき、私は日系スーパー・ジャスコに向かうところでした。しかし、いつも入 る入り口は閉じられており、公安が警備していました。正門前の広場にいくと、すで にデモ隊が、「日本の常任理事国反対」「日本製品ボイコット」といった横断幕を掲 げていました。広場には 1000人規模と思われる公安が警備のために配置されていましたが、すでに数千人のデ モ隊と群集が広場に入り込み、正門の前に陣取っていました。彼らは、中国国旗の小 旗を振りながら、シュプレヒコールを上げ、中国の国歌を歌い、気勢を上げながら、 卵やペットボトルを壁に向かって次々投げつけました。続いて、一部の興奮した群集 が、折りたたみ式の机(に見えました)で、ジャスコの方向表示の看板を叩き壊し始 めました。異様な雰囲気でした。その時、公安は、見ているだけで、何も止めようと しませんでした。
 この、公安が止めなかった、という点については、多くの日本のマスコミで報じられ ていましたが、これを「中国政府が反日デモを裏で操っていた、もしくは、中国政府 がこうした行為を是認していた証」と評価する向きを強かったようです。しかし、現 場にいた私には、そのようには捉えられませんでした。あれだけの群集が、中国では 正しいとされている「愛国」という大義名分を掲げて行動している以上、一部に暴力 行為があっても、それを止めたら、公安は、「売国奴」のレッテルを貼られかねませ ん。政府の上層部の判断でもない限り、止めるに止められなかったというのが実情で はなかったのでしょうか。
 しばらくすると、別のデモ隊が合流してきました。彼らは、大きな拍手で迎えられま した。そのデモ隊の中にいた若い女性の突き抜けるような笑顔がとても印象的でし た。中国に来てから、あのような笑顔はあまり見たことがありません。何か、生まれ て初めて自己表現の場を獲得したというような感じでした。
 結局、ジャスコはその日、閉店に追い込まれました。それ以外にも、日系のラーメン 店、「味千ラーメン」などもデモ隊の標的となり、卵などを投げつけられ、閉店とな りました。
 一方、日本留学経験のある中国人が経営する「一番ラーメン」は、襲撃を避けるた め、入り口に「一番ラーメンは100%と中国人の投資で、同胞と同じく中国を愛してい ます」という横断幕を掲げるということまで行われました。
 その2週間後、やはり、昼ごろにジャスコの付近を歩いていると、200人程度の小規模 の反日デモ隊が大通りを練り歩いていました。その規模から見て、反日デモは収束に 向かっているものと思えました。しかし、夕方になると、デモ隊の数は、前回同様、 数千人に膨れ上がっていました。デモ隊に共感した民衆が、自然に合流したものに見 えました。ですが、このときは、公安は明らかに、「中国政府は暴力行為を黙認し た」と日本や国際社会の批判を意識した対応に変わっていました。デモ隊の後ろに は、公安の車がピッタリとつき、、「君たちの気持ちはわかるが、社会の安定がなけ れば、発展はない、発展がなければ強大な中国もない。日中関係は政府が必ずうまく 処理するから、それを信じなさい」と、マイクで呼びかけ、暴力行為に走らないよ う、牽制していました。公安は、数千人規模の人員を動員して、ジャスコの周りを包 囲し、デモ隊が正門前広場に入れないよう、完全防備の体制をとりました。やってき た数千人のデモ隊は、公安が取り囲む外から物を投げたりしましたが、ジャスコ前の 広場には入ることができませんでした。その後、公安は警備をさらに強化し、ジャス コのある道自体を完全に封鎖しました。車は一切、通行できなくなり、交通はかなり 混乱しました。
 その日は日曜日でしたが、深センの中学校や高校は、日曜日も全て授業を行いまし た。若くて影響を受けやすい彼らをデモに参加させないための措置だということでし た。こうして、中国は、デモの抑制へと大きく舵をきりました。そして、ご存知のよ うに、その後は、反日サイトを閉鎖したり、反日デモの組織者を拘束したりするなど して、反日デモ自体を事実上禁止する方向になっていきました。「日本製品ボイコッ トは中国のためにもならない」といった記事も、マスコミに流れるようになりました これは明らかに、中国政府が日本との関係悪化を望んでいないというメッセージだっ たと思います。
 私のいる会社も反日デモの影響を受けました。うちのユーザーの会社でも、2000人の ワーカーによるデモが起こりました。マスコミでは、反日デモの影響を受けたストラ イキなどは、2,3社のものしか報じられていませんでしたが、後で友人などに聞いた ところによると、他にも反日デモに乗じて、ストライキを起こされた大企業があった ようです。
 会社では、このような事態を受けて、緊急に会議を開き、社内の寮が投石などの襲撃 を受けた場合の対応などについて話し合いました。また、万が一の事態を想定して、 会社の寮に住む駐在員の自由な出入りを禁止しました。食事と買い物のために用意さ れた定期便以外には、外出ができなく なってしまいました。結局、このような不自由な生活が、ついこの間まで続くことに なりました。
 さて、以上は、当時の現地の状況の報告ですが、今回の反日デモをめぐる議論や日本 政府の対応などについて、当時ネットなどで見ていました。中国にいましたから、正 確に日本の状況をつかんでいなかたかもしれませんが、ネットの範囲で見ているうち に、疑問に思えてきました。何だか、問題の焦点が、中国人の過激な行動や暴力行 為、それを見過ごした中国政府や公安の責任や賠償問題ということに行ってしまい、 そもそも、なぜ、このような反日感情が今、爆発したのか、ということが十分に考え られていないように思えたからです。
 いや、これはとっくにわかっている、という人もいるかも知れません。江沢民時代の 過剰な「反日教育」、貧富の格差の拡大や政府の腐敗に対する不満の捌け口などな ど。いつのころからか、特に、サッカーアジアカップの問題があったあたりから、反 日感情の原因は主に中国側にあるという主張が日本で広く受け入られ始めたようで す。
 私自身、中国に来てからの5年あまりの間に、これまでの日記にも書いてきたとお り、中国の方たちの日本に対するあまりの無理解や誤解に驚き、日中関係について考 えるようになった一人です。ですから、中国人の反日感情を分析する一つの角度とし て、「反日教育」や「中国政府に対する不満の捌け口」を指摘することには賛成でき ます。しかし、最近の日本の世論を見ていると、どうも、これらの反日感情の要因の 一つに過ぎなかったものが、いつの間にか全てとなってしまい、ついには、反日感情 は全て中国政府によって作り出された異常な感情であって、日本側には何の責任もな いかのような考え方が生み出されてしまっているように思います。  しかし、以前にも書いたように、中国人の若い世代の反日感情は、決して教育だけに よって作られているわけではありません。彼らは祖父や祖母の世代から、戦争体験を 聞いて育ってきています。また、日本の一部の政治家の中に、わざわざ中国人の感情 を逆なでするような発言があることも否定できません。
 私があえて主張したいのは、今回の反日デモの問題の中で、ただ、中国側の暴力行為 を批判したり、補償を中国政府に要求したりしても、また、反日感情の原因を中国側 に押し付けても、問題は何も解決しないということです。今回は、中国政府が反日デ モを禁止したことで、一時的には収まりましたが、中国人の中に反日感情がある以 上、これからも何らかの形で、反日行動は起こり続けるでしょう。今、必要なのは、 もう一度、「なぜ、中国人は、こんなにも怒っているのか?なぜ、中国人はいまだ に、日本に謝罪してもらったと感じていないのか?その原因は、日本側にはないのか ?」ということを我々が真剣に考えることではないでしょうか?そうした謙虚な態度 なくして、根本的な問題の解決は遠いと思います。
 それから、今回、反日デモが、中国政府の力によって押さえ込まれてしまったことに ついて、私は非常に複雑な気持ちを持ちました。これによって、会社は最終的には、 私たちが自由に出入りすることを許しました。私たちはようやく、不自由な生活から 解放されました。しかし、一方で奇妙なことに、何だかデモ隊に参加していた人たち が可愛そうに思えました。もちろん、暴力行為を働いた人たちについては、何の同情 もありません。しかし、ほとんどの人たちは、暴力行為をしていたわけではありませ ん。これまで基本的に言論やデモなどの自由がない中で生きてきた彼らは、「反日」 という限定された範囲ではあっても、ようやく自分の主張をする場を得たのに、それ がわずかな期間の中で、また奪われてしまったのです。こう思うのは、最初にも書い たように、彼らの生き生きとした表情があまりにも印象的だったかもしれません。暴 力行為に焦点が当てられすぎたために、デモそのものは、本来禁止されるべきもので はないということを、「民主主義」国家の中にいる多くの日本人は忘れているのよう な気がします。
 そして、日本の一部の極めて反中国的なマスコミには、矛盾を感じざるを得ません。 彼らは日々、中国の「反日教育」と同時に、中国の一党独裁体制や言論の不自由を批 判しています。しかし、今回中国はまさに言論弾圧を行ったのに、その中身が「反 日」であるためか、これに対して何の批判の声も発していません。これはどういうこ とでしょうか。まさか、反日デモを抑制するときだけは、一党独裁と言論の不自由に は目をつぶるというのでしょうか?これでは、あまりにも一貫性がないと思います。 やはり、彼らにとって一番大事なのはナショナリズムであって、民主主義ではないの でしょうか。
 反日デモの発生から、早くも4ヶ月が過ぎました。デモ隊に襲撃されたジャスコは、 平静な状態に戻り、「日本製品ボイコット」を唱えていた中国人たちは、やはり日本 のスーパーの製品を信用しているようで、以前と同じように、多くの人が買い物に訪 れています。当時のほとぼりはすっかり冷め、まるで反日デモなどなかったかのよう です。
 中国で生活する日本人としては、日中関係が好転し、安心して日々の生活をしたいこ とは言うまでもありません。しかし、中国政府が反日デモを力で抑えたことは、根本 的な解決ではありません。中国人の反日感情は、くすぶり続けています。それがいつ また爆発するとも限りません。その感情を弱めるために、中国側も日本に対する様々 な誤解や偏見を解くための教育や報道をしていく努力をしていく必要はあるでしょ う。しかし、それ以上に、日本の政治家の方たちには、ただ、時流にのって、いかに も中国と一歩も引かずに闘っている、というパフォーマンスをとるのではなく、中国 の人たちの反日感情を日本の側からなくす方法はないのかということを真剣に考えて もらいたいと思います。そのような政策があってはじめて、我々中国に生活する日本 人も、本当の意味で安心して暮らせると思います。


2005.8.6



第42回へ