『カナダ=エスキモー』


狩野 塁司


 私は今回初めて本多勝一氏の著作を読んだ訳ですが、現在、 本多氏の著作はかなりの数が出版されている状況ですので、 まず何を先に読むのが良いのか?と書店でしばし悩みました。
 本のタイトルを見てもバラエティに富んでいます。一冊ずつ 手にとって、パラパラとめくってみて、取りあえず、一番自 分の好みに合った内容の本から読んでみようと思いまして、 「カナダ=エスキモー」を選んで買って来た次第です。

何故、この本を選んだのかと言いますと…。

 私は子供の頃から、秘境探検物のノンフィクションなどを読む のが好きでしたし、大学時代も「文化人類学」に近い学問( 正確に言うと、東洋系の「比較言語哲学」)をやっていました ので、本多氏の著作の中では、「カナダ=エスキモー」(他に は「ニューギニア高地人」や「アラビア遊牧民」なども)が、 一番自分の嗜好に合っている内容だったからです。

 この本を読むまでは、本多勝一氏について抱いていたイメージ は「歯に絹着せぬ過激な発言で物議を醸す『ジャーナリズム界 のご意見番』」といったもの(もしかしたら失礼かも…。)ぐ らいしか無かったのですが、この本を一読して、そんな私の浅 はかな認識を改める事を余儀なくされたのは事実です。
 正直な所、この「カナダ=エスキモー」のルポも読む前は、「 新聞記者のルポは、「読み物」としては面白いのかも知れない が、学術的な事は期待しない方が良いのだろう」(すいません もの凄く失礼な事書いてしまって。)などと、少々たかをくく って読み始めたのですが、読み始めてすぐに「これは、新聞記 者の仕事を越えている!ルポと言うより、本格的なフィールド ワークではないか!!」と度肝を抜かれた次第です。
 学生時代に「文化人類学の視点」を徹底的にたたき込まれた私 の目からみても、この当時(1963年)に、独自に北極圏の他民 族の調査を企画して、それをほとんど自力で成し遂げる事が出 来た日本人がどれほどいただろうか…。その行動力や鋭い着眼 点、学術的な資料としての価値を損なう事無く、かつ、新聞の 読み物として楽しめる、バランスの取れた的確な文章センス( これを両立させる事は困難だと思いますが、本多氏の文章はこ れを成し遂げている。)には、脱帽致しました。
 また、エスキモーの人達を見つめる本多氏の視点も人間として 公平なものであり、エスキモー達に対して敬意を払う姿勢には 非常に好感を持ちました。このルポが書かれた1963年といえば 、日本は高度経済成長期のまっただ中。日本は奇跡的な復興を 成し遂げ、先進国の仲間入りを果たし、日本人の心の中にある 種の「おごり」が芽生えていた時期に、単に文明人の好奇心で はなく、本多氏のように、あくまでも「公平な視点」でエスキ モー達と接する事が出来る日本人がどれだけいたでしょうか。

 「残酷とは何か?」という文章の中に、次のような一節があり ました。

 『エスキモーの生活と、ものの考え方について、できるだけあ りのままに伝える事が、この記事の狙いでした。きれいごとば かり並べたり、逆に残酷物語にしたりするのではなく、狩猟民 族の世界を、そのままの姿で示したいのです。その世界は、日 本や西欧の世界とは、かなり違っています。善悪の基準も倫理 も価値観も、まるっきり違うといって良いでしょう。大切な事 は、そのような「別の世界」があること、私たちの善悪の基準 などは、私たちの属する社会だけのことで、他の民族には通用 しないことを認識することです。こうした「別の世界」を、私 たちの基準で批評して、残酷だの野蛮だのと考えるのは、おか しいだけでなく危険なことです。異民族と接する機会の少なか った歴史を持つ日本人の場合、とくに注意したい点だと思いま す。』

 私にはこの文章に、本多氏の「本質」が良く現れているように 思えました。私は、ジャーナリズムに関してはまったくの「門 外漢」なので、あまり偉そうな事は言えないのですが…、日本 の大半のジャーナリズムは未だにこの本多氏の「境地」に至っ ていないことを非常に残念に思う次第です。

 以上、長々と書いてしまいましたが、まとめてしまえば、久し ぶりに実のある本を読ませてもらったというのが実感です。
 何分、本多勝一氏やジャーナリズムに関して、まるで無知な私 が書いた文章ですので、もしかしたら間違いがあるやも知れま せん。でも、これが私の正直な感想という事で、どうかご了承 下さいませ。



朝日文庫 本多勝一シリーズ 『カナダ=エスキモー』
ISBN4-02-260802-1 1981年初版 
朝日新聞社出版局


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