黒川順夫の心療内科  

主人在宅ストレス症候群

  「主人が定年退職後、ずっと在宅するようになってから、私の体調は悪くなりはじめたんだわ」
 彼女らは口をそろえたように主張するのだ。そんなことに私がなんとなく気づいたの は、「タンスにゴン……」が、流行った昭和六十一年ごろだったというわけである。コマーシャルにいう「亭主、元気で留守がいい」ということを、主婦たちの訴えが如実に裏づけているように思えたものだ。
 それをとりまとめて、私が「主人在宅ストレス症候群」と命名して学会(日本心身医学会近畿地方会)で発表した。

 ひとことでいうと、「主人在宅ストレス症候群」は、主人在宅によってもたらされるス トレスが主な原因となって主婦に発症するさまざまな疾患である。

 このように、身体的原因のみならず、心理的原因も重なっている疾患を心身症というのだが、心身症にはいろいろな症状がある。「主人在宅ストレス症候群」も、主人在宅という同じストレスであっても、発症の仕方には個人差があり、さまざまな症状となって現われる。  ある人は、うつ状態になり、またある人は高血圧になり、さらに別の人はぜんそくになったりする。ガン恐怖症や十二指腸潰瘍、はてはキッチンドリンカーになる人さえいる。          カルテを見る

その原因 : 社会的背景を探る。

 戦前、日本は堅い、ハードな社会であった。私は体験したわけではないが、少なくとも そのように聞いている。それにひきかえ、今は柔らかい、フワッとした、ソフトな世の中である。男女のみならず、一応、すべてが平等な社会である。
 実際、テレビでも新聞でも戦前のような国家中心、家父長中心的なことはいっていない し、子どもたちは学校でも貧富、階層に関係なく平等に習っている。仕事でも、男性と変 わりなく働く女性が増えている。
 ところが、世の中のそういう大勢とは異なり、家庭内には昔どおり、戦前どおりの人間 関係が残っていることが多い。あるいは、意識的に戦前どおりの夫婦・親子関係を維持しようとしている家庭もあるし、世の中の動きについていけない夫婦もいる。
 そこにだけは、昔どおりの男尊女卑があり、妻は夫に仕え、子どもは親に逆らうべきでないという古い道徳が生きている。封建主義というか、亭主関白というか、そういう戦前の流儀がまかり通っている。
  「主人在宅ストレス症候群」は、そのような家庭の主婦に多い。家庭内だけは昔のままを守ろうとするからこそ、無理や摩擦が生じるのではないか。昔のままを残そうとする家庭 ほど、この症候群になるような主婦が出てくるのではないか。この点は、医師として強調しておきたい。
 こういう事情があるから、「主人在宅ストレス症候群」は年配の主婦に多くなる。とりわけ、夫が定年退職したときに顕在化するケースがもっとも多い。それまでは潜在してい た夫婦間の問題が、夫の定年退職を機に「主人在宅ストレス症候群」として顕在化したともいえよう。
 もちろん、若い夫婦であっても、亭主関白のような古い流儀を続けようとすると、妻にストレスがかかってくるのはいうまでもない。ただ、今の若い人にはそういう傾向は少ないと思われるから、彼らが定年退職するころにはこういう症候群は減ってくるのかもしれ ない。
 しかし、あるべき家庭のイメージが混乱している現状にあっては、潜在的な「主人在宅ストレス症候群」は数限りなくある。極端にいえば、どの家庭でも起こりうる症候群といっても過言ではない。

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