黒川順夫の心療内科  

糖尿病と失体感症

 心療内科は身体面からチェックし、同時に心理的な面でも問題がないか、診(み)ていくのがその立場である。
 私のところへ来るサラリーマンの患者は一見すると身体的な病気だけであると思っているが、ひと皮むけば職場の人間関係、家庭での奥さんとの不仲や子供の悩みなどがからんでいることが多いものである。 慢性膵炎、慢性肝炎、肝のう症、糖尿病といった病気なども心理面での関与が考えられる。糖尿病はストレスによって悪化したり、糖尿病の症状がひどいはずなのに、失体感症、失感情症といってまったく自覚症状がないというのも心身症の病態である。

 53才男性。食品会社の部長として多忙を極める毎日だった。「忙しい、忙しい」というのが口グセで、夜も得意先の接待などので飲みに行くことも多かった。私が彼を診察した結果、明らかに糖尿病の症状であるのに、彼自身には全く自覚症状がない失体感症という状態だった。忙しすぎて自分が病気であることに気付いていないのである。  これまでの病歴をみてみると、30代で糖尿病と診断され、その4年後には肺結核で8ヶ月入院、退院後2年して再び肺結核と糖尿病のため3ヶ月入院した。
 それから1年後、彼は「胸を打撲した」といって私のところへやって来たので診察すると、湿性胸膜炎であった。その胸部打撲以外に既往症として糖尿病があったので、血糖値などを調べてみると、食後2時間の血糖がなんと1037mgという驚異的な数値(140mg以下が正常)を示したのである。これは明らかに重篤な糖尿病なのだが、本人には自覚症状がなく淡々としている。「このまま放っておいたら、眼底出血もするし、早死にしないとも限りませんよ」というと、「先生、大丈夫、大丈夫」と笑っている。
 普通、糖尿病の患者はノドがかわく、おしっこの回数が多い、身体がだるい、おしっこのにおいがくさい、身体がかゆい、といった自覚症状があるものだか、彼はそんな自覚症状を全く感じなかったというのだ。
 この反応は明らかにおかしい。自分が病気であるということに全く気付いていない。こういった症状を心療内科では「失体感症」と称しているが、これは糖尿病だけでなく、高血圧や慢性肝炎の患者などにも見受けられる。
 私は彼に対し、インシュリンなどによる治療を行うとともに、折々に血糖を予測させた後、デキスター(1分で分かる血糖測定計)で血糖値を教えた。これをしばらく続けるうち、[血糖が低い場合]頭が抑えられる感じ、[高い場合]耳がジーッと鳴る。[血糖が300を超すぐらい高くなると]両膝がだるく、目が疲れるなどの自覚症状に気付くようになり、真剣に自分の病気に取り組むようになった。さらに、血糖値の的中率も徐々に正確になっていった。

 その後もインシュリンを打っているが、血糖コントロールは良好。眼科医も「20年近くみていて、眼底出血がほとんどないのが不思議」といっている。失体感症も次第に改善された。仕事人間である彼は多忙な日々と仕事に対する責任感からいつの間にかストレスが蓄積され、それが原因となり、失体感症になり、糖尿病が悪化していったのである。

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