黒川順夫の心療内科  

うつ状態 症例1. ヒマを持て余して・・

 がんこな便秘、食欲不振、不眠、疲労感などを訴えてある総合病院を訪ねた68才男性は、各科を回ったあげく、注腸透視や大腸ファイバーなどの大変な検査にも耐えたが、異常所見は見つからなかった。 「あんまり気を使わず、安静にしていたらよくなると思いますが・・・」とサジを投げられた形となった。しかし、症状は相変わらずで、遠藤さんは納得がいかなかった。
 九大医学部心療内科時代の友人の紹介で、そんな彼が私の診察室にやって来た。彼は、学校を卒業して以来、たまの休みも体を休めるだけで、遊ぶこともなく働き続けてきたという。
 人一倍の努力が実り、繊維関係の店は次々と支店を出すほどの繁盛、関西では有数の企業にのし上がってきた。だが65才になり、社長のイスを長男に譲ってからは、店に行っても何もすることがなく、煙たがられるばかりだった。
 症状が現れたのはこの頃からで、私のところへ来るまでの2ヶ月間で10kgもやせたという。それはそうだろう。便秘、食欲不振、不眠、疲労感が続き、病院で検査を受けても原因はまったく分からないというのだから。血色の悪い遠藤さんの顔からは、らつ腕をふるった経営者の姿は想像しがたかった。

 私は彼に対し、身体的な欠陥を見落とさぬよう、再度、内科的な検査をするとともに心理テストをした。その結果「考えがまとまらず、決断しにくい」「自分が死んだ方が人に迷惑をかけなくてよい」などの項目に肯定的な答えをし、かなり落ち込んでいる「うつ状態」であることが分かった。
 私は彼に軽い抗うつ薬をあげるようにし、跡継ぎの長男には、彼に会社での役割を与え、徐々に働く機会を増やしていくよう助言した。また休みにはスイミングクラブへ行くように勧め、友達を紹介してみた。

 経済的にも社会的にも成功した彼の場合、息子に跡を継がせ、悠々自適の隠居生活が送れると思うところに大きな落とし穴があったのだ。働くこと以外にする事を知らないワーカホリックの退職者は暇を持て余すのだ。これが彼らにとっては「最大のストレス」になる。「お年寄りを大切に」と思うあまり、老人から仕事を取り上げてしまうと、それがストレスとなって精神的に落ち込み、体調不良などを引き起こすことがあるのである。
 1年後、学会の帰り道、大阪・キタでばったり会った彼は元気そのもの。”たたきあげの商人”に戻っていた。

 ストレスがなぜこのように体調不良や病気の原因になるのか。
 人間の身体は自律神経によって消化、呼吸、体温調節、代謝といった生命を維持するための機能をコントロールしている。この自律神経は、活動を高める「交感神経」と、リラックスさせる「副交感神経」という二つの神経からなり、この二つはお互いに作用しながら人間の体のバランスを保っている。
 それはホルモン分泌とともに、内臓の働き、精神活動などをコントロールしているのである。そして、この自律神経、内分泌の中枢は脳の下垂体視床下部にあるとされているが、その脳に社会的ストレス(人間関係の悩み)が影響を与えるので、バランスが崩れ、体の調節力も乱れ、体の不調を引き起こすのである。

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