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08
 対の思考
Oct/2002
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   「陰陽」という語は日本語として定着している。中国地方の山陰・山陽がそれぞれ中国山地の北と南であることを知らない人はいない。ところが、反対に河陰が河の南で河陽が河の北を意味することはあまり理解されていないようだ。陰とは日の当たらないところ、陽とは日の当たるところを意味する文字だとわかれば容易に納得されるのだが。
   中国人の思惟方法のひとつに「対の思考」がある。それは「陰陽」以外にも我々日本人に馴染みのある熟語に見ることができる。一例を挙げてみよう。

鳳凰(ほうおう) おおとり
麒麟(きりん) きりん
翡翠(ひすい) かわせみ
鯨鯢(げいげい) くじら
鴛鴦(えんおう) おしどり

   いずれも動物(架空の動物も含め)で、前者が雄(陽)で後者が雌(陰)である。麒麟はどこかのビール会社の商標であるが、ラベルに一頭しか描かれていないのは何とも不可解、というより滑稽でさえある。
   動物だけではない。「にじ」も「虹蜺(こうげい)」といって雌雄がある。虹の上にもうひとつうっすらとかかっている「にじ」(よく見ると色が逆である)、これが雌のにじ「蜺」で、日本でもたまに見ることができる。また、罪人を言う「奴婢」も、奴が男で婢が女、「たましい」を意味する「魂魄」も、天に昇る陽のたましいが魂、地に帰す陰のたましいが魄である。
   熟語だけではない。風光明媚・気候温暖な蘇州・杭州を地上の楽園と称える成語でさえ、「上有天堂、下有蘇杭(上に天堂有り、下に蘇杭有り)」も対句になっている。ついでながら、日本人も口にする「食は広州にあり」も、中国人の理想のひとつとして語られる「生在蘇州、住在杭州、吃在広州、死在柳州(美男美女の多い蘇州に生まれ、風光明媚な杭州に住み、料理の豊かな広州で食い、立派な棺桶を生産する柳州で死ぬこと)」という対思考の産物である。そして、この対の思考は中国の詩文に遺憾なく発揮されていることもよく知られるところである。

江碧鳥逾白【江は碧(みどり)にして 鳥は逾(いよ)いよ白く】
山青花欲然【山は青くして 花は然(=燃 )えんと欲す】
今春看又過【今春 看(みす)みす又た過ぐ】
何日是帰年【何(いず)れの日か 是れ帰年ならん】 (杜甫「絶句」

   一見してわかるように、江(川)と山、水の碧(深緑)と山の青(浅緑)、鳥と花、水の碧に映える鳥の白さ、山の青と燃え上がらんばかりの花の紅さと、見事に対がちりばめられている。この対句の手法は、「対聯(ついれん)」といって、お正月や婚礼、あるいは葬礼に家の両側の門柱に対句を貼る習慣として今も日常的に継承されている。

   さて、陰と陽とは明らかに対立する概念であるが、片方だけでは意味をもたない。それは日向があれば必ず日陰があり、紙に表があれば必ず裏があるように、一方を否定すれば他方もなくなるという関係にある。月の満ち欠けに象徴されるように、陰は極まれば陽に、陽は極まれば陰に推移する。これは「陰中に陽あり、陽中に陰あり」(『周易』)とあるように、完璧なる陰も陽もすでに対立する要素を内包しているということである。
   このように、本来は相反する両者を併せて認める「対の思考」は、中国人の価値観を形成する上で大きく影響したと考えられる。それは相反する価値を共にバランス良く受け入れるということである。対立する二者も相互に補いあっている。これが中国の「対」の本質である。
   日本人が概して白黒はっきりさせたがり、主義主張において「どっちつかず」「日和見」「二股をかける」ということを嫌い、「一途」であることに美を感じる。それに対して、中国人は昔から極端であることにあまり価値を認めない。「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし」(『論語』先進篇)は中国人の極端を嫌う例である。また、「中庸」が真ん中を意味するのではなく、どちらか一方に極端に偏らないという、非常に幅を持った概念であることからも理解されるだろう。

 

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