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 中国人の歴史観(1)
Jan/2003
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 古人は何のために歴史を記録したのだろうか。歴史を記録しようという意志を動かすのは、冷静に現実を直視する目と崇高な理想ではないだろうか。もし現実社会に対する批判精神と人間存在に対する信頼感がなければ、そもそも人は現在及び過去のできごとを記録に残したいと発想するだろうか。では、歴史家は後世の私たちに何を期して歴史を記録したのだろうか。
 宋の司馬光が著した歴史書『資治通鑑(しじつがん)』。これは読んで字のごとく、過去の歴史を来るべき時代の治に資し人間の鑑とするという歴史観である。歴史を鑑戒とする考え方は中国では古代から伝統的に受け継がれたものである。
 『孟子』に、「王者の迹熄みて詩亡ぶ。詩亡びて然る後に春秋作らる」(離婁下)とある。周王朝の全盛期には王者は天下を巡守して民間の歌謡を収集し、そこから民情を察して政治に反映したが、周王朝が東遷して以降、天下巡守の礼が廃れて王者の車馬の「迹」が絶え、民間の歌謡も収集されなくなった。孔子は周王朝が衰退して世の中が乱れたことを危惧し、乱世を治めて正常な世に戻そうとして『春秋』を作ったと言うのである。
 この『春秋』とは魯の国の歴史記録である。「春秋」は四時(春夏秋冬)の二始(春は陽の始め、秋は陰の始め)で一年を意味する略語、すなわち、その年にあった出来事をすべて記録したものという意味でつけられた書名である。
 さて、古代中国で歴史を記録することがいかに深刻であったかを物語るエピソードがある。もちろんこれらのエピソードは特異な例であるが、それでも中国人にとって歴史の持つ意味の大きさを知る恰好の資料だと言えよう。

 『春秋』襄公二十五年(前548)に、「夏五月乙亥、斉の崔杼(さいちょ)、其の君光を弑(しい)す」という記録が見える。斉の国の崔杼が斉君(荘公、名は光)を弑殺したという記録である。
 崔杼とは荘公の時の大夫で、荘公を殺して荘公の異母弟である杵臼を立て(景公)、自らその宰相となった。しかし、司馬遷は崔杼が荘公を殺したのにはそれなりの事情があったと、事の経緯を詳細に記録している(『史記』斉太公世家)。
 荘公の父霊公は、魯の公女との間に生まれた光を太子としたが、後に寵愛した宋の戎姫の子牙を太子に立て、光を僻地に追いやった。ひとたび立てた太子を正当な理由もなく廃するのは理不尽であるだけでなく、嫡長子相続の世襲制度に反する。そこで、霊公が病気になると、崔杼は光を迎え入れてこれを位につかせた。これが荘公である。荘公は斉に戻るとすぐに戎姫を殺し、即位すると太子牙も殺した。
 このように、荘公は崔杼のお陰で斉の君主に返り咲くことができたのである。ところが、荘公は崔杼の妻があまりに美人であったためにこれと密通し、しばしば崔氏の家に通っては好き放題をしていた。荘公の破廉恥な行為に激怒した崔杼は、ついに刃傷沙汰に及んだのである。ただ、崔杼は荘公に直接手を下すことはしていない。懲りもせず崔杼の妻を誘惑する荘公が崔杼の配下の者に追いかけられ、垣根を乗り越えて逃げる途中でその矢が股に当たり、垣根から転がり落ちて死んだのであって
、崔杼が殺した訳ではない。しかし、斉の歴史官は、理由はともかく荘公の死の責任を崔杼に負わせ、崔杼は荘公を弑殺したと同罪とみなし、崔杼による荘公弑殺を記録した。

歴史官が「崔杼が君主を弑殺した」と記録したところ、崔杼は権力に物言わせてその歴史官を殺して記録を抹消しようとしたのである。そして、歴史官の位を継いだ弟が同じように「崔杼が君主を弑殺した」と記録すると、崔杼はその弟も殺して歴史の改竄を謀った。しかし、そのまた弟が継いで記録するに及び、ついに諦めた。歴史官兄弟がことごとく殺されたと聞いた南史氏は、「崔杼が君主を弑殺した」と記した簡策を持参して朝廷に出向いたのですが、すでに記録されたことを知って引き返した。(『左氏伝』襄公二十五年)

 確かに、荘公は特に無道という訳ではないが、決して立派な君主とは言えない。この場合、むしろ崔杼の方に同情する余地がある。ましてや荘公が自分で転落して死んだのであるから、それを君主殺しの犯人として歴史に残るとは、崔杼にすれば承服しかねる。
 一方、歴史を記録する側から言えば、理由はともかく荘公は崔杼の配下の者に追いかけられ、その難を逃れようとうとして死んだのであるから、崔杼が荘公の死に関与した事実を記録する任務がある。
 権力ある者は権力を盾に自ら犯した罪を隠蔽しようとか、他人に転化して闇に葬り去ろうとするが、歴史記録に携わる人間はいかなる脅迫にも屈することなく事実を記録することを旨とするというのである。どのような権力をもってしても歴史を恣意的に歪曲させることはさせまいという歴史家の態度は、自立した精神の上にこそ生まれる。(来月に続く)

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