「ボクの模型棚」

 
川崎 キ100 五式戦闘機 一型乙

Kawasaki Ki-100 Type.5 fighter otsu



Lastupdate:2007/03/25

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 「誤色戦闘機 I型乙(倶楽部録 2007 2/03から再録)

 ううっ...。すいません。次回はもうすこし真面目に取り組みます。(陳謝


 我が「散漫なる空技廠」も成り行き上、模型「五式戦闘機」開発に着手する事になりました。...ですが、実は実機についてはあまり良く知らないし、資料もほとんどない。つぅーか、こういう“遅れてきた優等生”自体、あまり好きではなかったりする。

 この機は先のキ61「飛燕」の搭載する液冷発動機の不調や整備の困難さから生まれた経緯を持つとか?かつ発動機の生産が追いつかない事から、首なし機体が溜まってしまうという由々しき事態が発生してしまったそうでして、陸軍部は発動機を三菱の空冷複列星型に換装する事を発令し、結果として「キ100 五式戦闘機」として世に送り出されたそうなんです。最大速度は幾分低下したものの、冷却系統(水/潤滑油冷却装置の事?)を撤去したため重量が軽くなり、離着陸や上昇性能、旋回性能などの運動性能が飛躍的に向上し、F6FヘルキャットやP51マスタングに対しては、互角以上...近接戦闘においては唯一「優位に立つ事が出来た戦闘機」としてその名を今日に響かせているそうであります。(両さんの「こちら亀有〜」のマンガの方でも何かと有名。)


 ボクが購入したHASEGAWAの1/48のキットは、「五式戦闘機(特製操縦士フィギュア入)」でも「〜一型乙」と呼ばれている胴体後部を小改造して重量軽減と後方視界をよくした水滴型風防を装備したType。だが何かカタチが端正で整いすぎていて...いわば「格好が良すぎて」ちっとも面白かない。
 それで今回は「塗装」で遊んでみることにしました。

 それまでボクがこの機に対して持っていたイメージとして、「敗戦間際に忽然と登場し、運動性能を遺憾なく発揮して、連合軍機と太刀まわる姿」は、どことなく食うや食わずにして痩せ衰えた浪人者、もしくはボロを纏った無宿者が、数に物言わせて縄をかけようと襲い掛かってくる捕吏を相手に切り結んでいる姿(戦前の活動写真に在りがちな風景)をつい連想しました。それでこの「痩せ枯れた」というイメージを、官給品・国防色の「カーキ色」で表現出来ないか?と思って作っただけなのです。

 本来「陸軍航空機」というのは「部隊」としての威儀を正す為、さもしい台所事情(整備圧縮)はさて置き、カラフルな塗装が用いられる事が多かったわけですが、大戦末期は枯渇した物資の中、または当時の軍需動員計画方針の資料の中にも、それこそもう戦車も戦闘機も鉄帽も一緒くたな国防塗色で塗りかましていた節が見受けられたので(ウソです 笑)、それを「五式戦闘機」の塗装の中に「IF」てなカタチで盛り込んでみたかったわけなのでございます。
 ですから最初にお断りしておくと、このような実機のばっちい塗装例は、現実には存在致しません。あくまでAFV的発想を持ち込んだまっくらイメージの産物です。「五式戦」ではなく「
誤色戦(ごしきせん)」なのでございます。(笑)



 塗装に使用したのは、厳密には「カーキ」ではなく、日本陸軍戦車色の「土草色」。銀地がむき出した剥げチョロを再現したいので、演出したい箇所には前もって「銀」を吹き付けています。サフ下地が透過して「土草色」は思いのほか「黄」が濃く出ますので、注意が必要かと。
ただ「カーキ」を泥っぽくベターっと塗るのでは、本当にこの機は死んでしまいますので、中期決算的妥協案として(笑)淡くグラデーションを付けようとウエポン用の「オリーブドラブFS34087」を吹き付けてみました。すると基本色が黄色っぽいので「茶」が強く出ます。

また「お遊び」で機体全体に渡り、図面のリベットの位置から肋材を割り出し、マスキングテープで細かく区割りをして吹きつけ塗装を施し、「モザイク遊び」をして機体表面にある(かもしれない)微妙な凹凸を塗装で再現してみました。
 でも機体がこんな変なンコガエル色だったら、その搭乗員はさぞや萎えただろうなあ...。(苦笑

こんな飛行機が活躍した時期っていうのは、大戦末期の更に末。
B-29の梯団はサイパンから飛び立ち、富士山を目印として東に大きく変進します。
そこから偏西風に乗って、一路関東上空にへと飛来し、房総沖に抜けるんだとか。
ですから邀撃に向う「五式戦」は、関東特有の「ボサ埃を巻き上げて離陸していく」ような...
埃っぽい、あるいは泥臭いようなイメージ。
(その頃は制空するにも、守るべき帝都はすで焦土だったでしょうね。)

基本色より数色明るい色を用意して、機首の発動機周辺を重点的に吹き付けました。
これは熱が篭りそうな箇所に塗られた塗料は、粗悪な顔料が機体表面に生じる温度(差)に耐える事が出来ず、急速に脱色・退色してしまったような解釈として。
加えて「擦過」とも「剥離」とも言い難い剥げチョロ。(笑)
下地が悪くて、塗膜の食いつきが悪いような解釈として施してみました。


また排気管周辺は盛大に煤汚れを再現しました。
見た目かなり先太り...雁高な印象になるのではなかろうか?(笑)
焼酎の親玉みたいな粗悪な燃料で、燃焼率がさぞや悪くて搭乗員は四苦八苦でしょうね。(笑
...とまあ想像だけは楽しいんですが、実際の表情はどうだったのでしょうか?


 わっはっは!これはオマケ画像。
 「キ-100」は、対戦闘機用として昭和二十年二月に制式採用され、「五式戦闘機」として四月から内地の実戦部隊に配備され、実戦に真っ先に投入したのは千葉・柏に展開した「飛行第18戦隊」だったとか。五月には第5(中京地区防空)、第17(台湾)、第59(北九州地区・阪神地区)、第244(関東地区〜九州地区に転出)が...。更には七月、第111が「五式戦」を配備し、主にB-29や敵艦載機の防空戦闘、特攻隊の誘導・直援任務に従事し、運動性能を遺憾なく発揮して終戦まで活躍したといいます。
 実はその他に航空審査部飛行実験部(旧陸軍航空技術研究所)直轄で「八〇〇(はちふたまる)」というダミー番号を冠した実験飛行中隊が存在し、これらの機体を来たる対ソ作戦の「教材」として各航空部隊を巡回、戦技指導、防空演習、隊別対抗戦に参加する任務を主としていました。この部隊が「五式戦闘機」を受領したというのが、最近の航空研究者の調査で判明し、一般の学識者や見識者の間では半ば定説になっているそうで...。コチラ方面にお詳しい方ならば、すでに周知の事実でございましょうや。

その兵団文字符(一説には「欺瞞用」に)は、「対ソ作戦」の「ソ」から、「蘇()」という符号が割り当てられたそうですよ。(注、兵団文字符は昭和十五年以降に編制された部隊に防諜上付けられた符号)

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