<絵についてのポリシー>

 日本の風景にこだわって描いています。それも身近な景色。学生時代から絵を描いてきましたが、両親の強い反対で美術学校に行かず普通の学校を卒業して企業に就職し、日曜画家として長年やってきました。他に趣味がいろいろあって、それを一つずつ捨てて絵に集中するようになったのは10年くらい前からです。その間日本の風景を見つめてきて、どうして日本はこれほどまでに景観に無頓着なのだろうかと思ってきました。
身の回りをどうしてもっときれいにしないの?日本の固有の風景の美しさを認識して、それをみんなが大事にする気持ちが無いのか。わたくしたち個人は景観に影響をあたえる事業をなかなか起こせないから現在の荒廃しつつある景観はお金のある人や政治家など上にいる人たちがいかにそれに無関心かという証左ではないかとおもいます。
昨今観光立国などという話がありますが「ちょっと待ってよ、家を片付けないうちに人を呼ばないでよ。」といいたくなります。はずかしいです。英語圏では観光のことをsightseeingといいますが、文字通り「景色を見る」というが主な目的なのです。日本語の訳がおかしいのか何故か観光という字になっていて、日本では旅というと「飲み食い」と「温泉」しかないみたい。ああはずかしい。いったい外国からわざわざ来る人たちは日本のいったい何を見たいのでしょうか? その多くが日本で無ければ見られないもの、日本の固有の美しさを見に来るのではないでしょうか? それっていったい何? どういうものなの?
 このようになったのは根深い原因がありそうです。文化人と呼ばれる人たちにも多くの責任がありそうです。時代の先を追いかけることに夢中でしっかり足元を見つめなおした人は少数派でした。私が感銘を受けた人に民俗学者の宮本常一がいます。その著作を読むと日本の景観を作ってきたのは、庶民、農民たちだったというのがわかります。営々として地元の田畑を開墾し、山を手入れして作ってきたものだということを教えてくれます。力のあるものは何をしたでしょうか? それにどんな協力をしたでしょうか? 立派な公共構造物や寺院仏閣や観光地なんかではなく、庶民の私も祖先たちが苦労を共にした景観に一番心打たれます。
 以上のような理由から、身近な農村、漁村風景や、古い商店街などの町並みこそが私にとって日本の本当の美しさの典型であると思うようになりました。それを描きつづけて来たし、これからも生あるかぎり描いていきたいと思っております。そしてその結果、日本の風景も棄てたもんじゃないと気づいてくれる人が一人でも多く出て、身近な風景をみなが大切にする気持ちを少しでも持ってもらうための契機になればと願うばかりです。

・蛇足:私の絵はそのような目的を持って描いておりますので、一般に言われるファインアート、純粋絵画に分類されるのは本意ではありません。なるべく多くの人に見てもらいたいという気持ちからネット発信をしています。かならずしもネットで見られる人は多くないので印刷物などの複製媒体にも載せてもらいたいです。ですから個人が所有して公に出ない販売という方法よりメディアに載る方が希望です。このような目的ですと本物と複製との間に価値の違いは少ししかないと思います。いずれ食うに困って売ることになるでしょうが、その場合も複製販売の著作権は留保したいと思います。

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