25.25.おわりに

写真写りの良い人。 美しい歩き方をする人。 キレイに膝を曲げて物を拾う人。 背骨のカーブや、足の開き具合が安定している人。 たとえ上司に説教をされていようとも、そのうなだれた首から肩にかけてのラインが恐ろしく魅力的な人。
こういった人たちは皆、自分がどう見えるのかを常に意識しながら生活しているのだろうか。

決してそうではない。

彼らは、そしてあなたは、すでに何らかの身体システムを採用して生活している。自動的で否応のない装置。現在の美醜に関係なく、高度に完成されたシステムが、私たちの身体を制御している。
あなたの癖、現在あなたが変えたいと思い、消してしまいたいと願っている「身のこなし」は、そのシステムが生み出している。

自分の身体に、自分を見せてやる

人間の無意識の奥底に存在する身体システム。あなたの身体能力の原型とでも言うべきもの。
もし人の動きが、100パーセント自由意思によるものだったら、すべてを把握し、思い通りに操作できたなら、だれも自分の動きの美醜について悩んだりはしない。
動作が、常に意識的な作業であることは、とても不便で効率が悪いのだろう。
多くは自動操縦のような状態で行われていて、その自動操縦時に採用されている深層システムこそが、あなたの身のこなしの原型だ。

たとえ自動操縦をOFFにして、手動に切り替えたとしても、なおかつ身体は深層システムの影響を受ける。身体のすべてをあなたの意思によって制御することは不可能だ。それは無意識を完全に意識化しようとする試みの不毛さと同じだから。意識し、統制できる範囲はあまりに狭く、また、意識化する作業自体、無意識から切り離すことが困難なのだ。原型は原型として細部にまでその影響の根を伸ばしている。

では、その原型となるシステムに直接アクセスすることは可能だろうか。あなたの身のこなしを決定づけるプログラムを書き変えることは可能だろうか。何らかの手段を用いて、それを自由に編集することはできるのだろうか。

答えはノーだ。あなたが無意識に採用している身体システムを、直接あなた自身の手で書き変えることはできない。

そのプログラム・データをひっぱりだし、思い通りに修正を加えることができたらいいのに、そう考えるかもしれない。
歩く時はいつも背筋を伸ばす。どんな時でも腰を立たせ、おおらかでスマートな動きをする。肩や首に余計な力を入れない。バランス良く身体全体を動かす。
詳細に図解された「正しい歩き方」をそのままインプットして、実生活に継続的に反映させることができたらどんなに良いだろう。

しかし、おそらくこういった意識の持ち方こそが間違いのもとなのだ。このような考え方の先には、身体の改善を困難にさせる落とし穴のようなものがある。

書店へ行って身体関係の本を手に取って見るだけで、美しい姿勢で生活するためのコツ、意識の持ち方など、身体を改善させる情報はいくらでも手に入る。
それらにならい、あごを引き、背筋を伸ばし、腰の角度を調整して満足する。これからは重心を低くして、胸を張ってしゃきっと動くぞ、といった決意をする。

これらが効果的であるように見えるのは、身体システムに対して意識的な書き込みが可能だという錯覚があるからだ。もしくは身体システムよりも意識の力が勝ると考えているからだ。
注意すべきことや改善のポイントは単なる知識に過ぎない。知識として得たものをただ意識上にキープするだけで身体が変わるというのは幻想だ。

読者はこのような錯覚から抜け出さなくてはならない。決意や強い意思だけでは、本質的に身のこなしをキレイにすることは絶対に不可能だ。新しい情報や意識は、そのままでは、身体システムに対して影響力を持たない。

たしかにそれらは、一時的には身体に変化をもたらしてくれる。「背筋を伸ばそう」と意識すれば、もちろんその時は背筋が伸びる。しかし、深層の身体システムの中にあるものはもっと経験的なものだ。あなたの記憶、嗜好、感覚に密接に関係した非言語的な情報だ。動きの感覚そのものをデータとし、痛みや恐れや思い込みが重要な役割を果たすシステムなのだ。知識や意思が作る動きとはまったく次元の異なるものだ。

身体システムはあなたの身体的な経験、心理的な経験に支えられているのだ。日々の生活や、環境、過去、未来に対する認識の仕方に支えられている。精神的なトラウマから身体的な劣等器官をも含めた、あなたの人生の流れ方そのものが反映している。一時的な意識の変化は表層を上滑りするだけだ。精神的に不安定な状況に置かれたり、身体に気を回す余裕がなくなると、深層にある身体システムがあなたの動きを決定してしまう。人と話したり、ちょっとした緊張状態に置かれるだけで、情報や意識はまったく役に立たなくなる。

あなたの身体は非常に複雑なバランスを保っている。身体の部分部分はそれぞれ独立して機能しているわけではない。繋がり合い、支え合い、相互に連携し合って働いている。そういう意味では、腰だけを、背骨のラインだけを変えるなんていうことは不可能な試みだ。
首の動かし方を本質的に変えることのむずかしさは、全身のバランスを再構築することの困難さと同じだ。

あなたにできることはただ一つしかない。
深層に限りなく近づき、システムを支えるプログラムの中にインプットされること、採用されることを望みながら、よりキレイで美しく、身体的負荷の少ない動きを具体的に提示し続けることだ。メリットを最大限効果的に示すことだけだ。自らに対して。

動きの中で身体バランスに揺さぶりをかけて、新しいバランス感覚の必要性を意図的に作りだす。いわば、自分の身体に自分でプレゼンテーションをするのだ。そこには、もちろん筋肉トレーニングも含まれている。知識の収集もある程度は役に立つだろう。

この動きはラクだ。
この軸は使える。
この関節はもっと美しい働きをする可能性がある。

というふうに。
身体に覚え込ませると言った方がイメージしやすいかもしれない。見た目の美しさという「結果」と、身体が知覚する動きの「感覚」、それらを同時に自分の身体システムに提示する。繰り返し繰り返し。

筆者がこのサイトで述べてきた訓練法の内容は、すべてこのような考え方を基盤としている。
そして、鏡を使う理由も、まったく同じ身体に対する認識からきている。筋肉の動きを感じながら、その結果を自分でしっかりと見届けるために鏡を見る。決して、身体をいじくりまわして即席の美しい姿をそこに映すためではない。深層レベルの身体システムに間接的に働きかけるために、いまここで身体的な、心理的な経験をするために、あなたは鏡の前で身体を動かし、その結果を見届ける。ただただ鏡の前で動き、その結果を「見て、感じる」ことを繰り返すのだ。

鏡を使って自分の動きをキレイにしようとする試みは、ほとんどの人が行っている。
筆者の訓練法がその試みよりも優れている点は、積極的に意図的に鏡の前で読者に「経験」を促すからだ。

朝、何気なく鏡の前で身体を動かす。
胸の張り具合、脇の開き方、腰の角度、柔軟性、そういったものを一つ一つ確認していくように鏡を見つめる。
身体は本当に毎日違う。疲れの残り方も、緊張している箇所も、スムーズに良く動く関節も日々変化する。その、変化し続ける身体に自分を慣らす。変化することは人の身体の本質であり、常にその移りゆく身体を見失わないようにする。
自分と身体とは不可分なものだと実感し、今日も自分の身体と共に生きていくことを認識する。この身体で今日も生きていこうと思う。

より良い人生を送るために、身のこなしの美醜は本質的に無関係だ。
だが、自分の身体と出会う方法を知っていることや、少しでも良い方向へシフトさせる方法をわかっていること、楽しむ方法を知っていることは、きっと無関係ではない。
できるかぎりストレスを感じることなく、本質的にそしてより効率的に身体の機能を高める。その役に立てたのなら、と思う。読者が求めたものと、私の文章が少しでも多くの部分で重なり合っていてくれればと思う。


                               完


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