20.20.精神的違和感を受け容れる

厳密に言えば、身体的な違和感と精神的な違和感を分けて考えるのはむずかしいことなのだが、ここで述べる精神的違和感とは、鏡の前では良いと思える動作や姿勢なのだけれど、普通に生活をおくる中で実行に移すと「どうもヘンな動き、おかしな姿勢をしているような気がして自信が持てない」感覚のことだ。

イメージを構築しなおす

たとえば、肩が緊張して上がり過ぎてしまう人が、その姿勢を修正しようとしたとする。いわゆるいかり肩にならないように、気をつけたとする。
鏡の前ではうまく肩の力を抜いて動くことができる。しかし学校や職場へ行き、人々の視線の中で動くとどうにもうまくいかない。肩の力を抜いてしまうと、何となくだらしがない上半身になってしまっているような気がして抵抗感が強い。無防備な感じ。拠り所のない、不安な感じがする。

読者にはそのような体験はないだろうか。頭では新しい動きを取り入れた方が良いのはわかっているのだけれど、精神的に受け付けない、拒否したくなる思いが強くて、身体の修正が維持できない、といったことが。

筆者の場合、腰を使って歩くこと(前編 街で見る 参照)を実践する時に、このような抵抗感を強く感じた。自分の動きを確認できる所、鏡や大きなガラス窓がある所でなら何でもないのだが、自分の姿が確認できない場所では「これって何となく偉そうな感じがする動きだよな」という思いがつきまとってどうしようもなかった。とにかく精神的に落ち着かなくて、自分のしていることに確信が持てず、修正をためらうことになった。

このような場合にどのようにして対処すべきかを理路整然と述べるのはむずかしい。おそらく、その人の人生観、価値観に関係してくる事柄だし、無理して強制的に払拭する必要がない場合もあるだろう。

それでも、試みるべきことはある。

このような精神的違和感、いわば迷いの根本的な原因は、その本人の不正確な身体イメージにあることが多いように思える。自分の中に存在する「偉そうな動き」というイメージに、無造作に自分の動きを重ねて考えてしまっている。イメージ自体の再検討こそが大切なのに、偏った大雑把なイメージに盲目的に従ってしまっている。

身体のイメージには、美醜だけでなく、「上品さ」とか「知性」とか「強さ」といったさまざまなレベルにおいて基準がある。それらのイメージを、筆者を含めてすべての人がそれぞれに持っていて、そのイメージに自分を重ねようとしたり、そこから離れようとしながら、我々は自分の動きを作っていく。

動きを変えるためには、そのようなイメージをより正確により明確に捉えなおす作業が必要なのだと思う。
筆者が人の身体を観察することを薦める理由がここにある。
あなたの身体を決定づけ、縛っているのは、多くの場合あなたの身体能力よりも、すでにある身体イメージなのだ。肉体が持っている能力を考えれば明かに可能な、非常にシンプルな動きですら、なかなか日常の生活に定着させることができないのは、あなたが不正確なイメージにとらわれ過ぎているからだ。

結果を見届ける

おそらく読者はこれからも自分の身体を修正し、洗練させていく過程において、上記のような精神的な抵抗感を感じることがあると思う。
身体が変化に対して警告を発するのと同じように、精神的なレベルでも変化に対する抵抗感はつきまとう。それは不安や孤独感や無力感に形を変えて表れることもある。

それでもどうか、新しい身体の変化を継続させてほしい。そこから生まれる新しい良い面の感覚に耳を澄ませてほしい。
身体を意識して変えていく過程にともなって起こる、いつもとは違う感覚。それは不快なものであったり、心地良いものであったりする。まわりの人や物が違って見えたり、事物との距離が良い意味で遠くなる感覚だったりもする。

自分が行っている試みが引き起こすさまざまな事象に目を開いていること。きちんと結果を見届ける姿勢。そういうものが大事なことなのだと思う。
身体が変化を起す過程の中で、「そうだったのか」といった「気づき」みたいなものの力を借りてこそ、身体の中で何かがぴたりと収まり、違和感は減少するのだ。

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