17.17.スピードを操ってみよう

前に少し述べたことだが、自分の身体のスピードについて考えてみることは、身のこなしを洗練させる上でとても有効なことだ。 人にはそれぞれ、その人なりの動きのテンポのようなものがある。音楽と同じように、基本的に一つ一つの動作が早目の人、ゆっくり目の人がいる。それは「その人らしさ」を特徴づける大きな要素だと言っていいだろう。
もちろん正しいテンポなどというものはない。素早い動きがよい表れ方をすれば、てきぱきとした気持ちのいい印象を与えるだろうし、そうでなければ、せわしないだけの動きになる。ゆっくりとした動きが、落ち着いたものになるかモタモタしたものになるかは、その人の身体の洗練度合いや、いわゆる「心持ち」といったものに左右される。

大事なのは動きのスピードに対して意識がいき、それを操作できることだ。飲まれてしまうことなく、流されてしまうことなく、適切なバランスを保ちながら、動作のスピードに変化を起すことができる身体能力を持つことだ。

ゆっくりだからこそ見えてくるもの

これは制限を設けて行う動きのバリエーションの一つとも言えるのだが、鏡の前でできる限りゆっくりと動く、という訓練法がある。
太極拳のスローモーションのような動きを想像していただければいいかもしれない。

重心の移動に関する身体能力の向上。それがこの動きの主な目的となるだろう。
最も大切なポイントは、きちんと意図的に、正確な動作を心掛けることだ。

もし、美醜のことを考えなければ、素早く動くこともゆっくりと動くことも、特に苦もなくちょっとした意識の変化だけで行えてしまうはずだ。筋肉を動かすスピードを変えること自体は決してむずかしいものではない。
スピードが変化する中でも、動作を安定した状態に保つこと。バランスを維持し、適切に筋肉を操作することがむずかしいのだ。

繊細な修正がともなわない動き、無造作な動きをいくら続けても得られるものはない。コマ送りのようなゆっくりとした動きは、意識を集中して行ってこそ意味がある。それは非常に肉体的に負担がかかる作業なのだけれど、普段の動きの中ではごまかすことができてしまうバランスの崩れや微妙な重心のブレ、関節の曲げ伸ばしに対して、いつも以上に敏感になることができる。

たとえば、これまでのように自由に動きながら、そのスピードを極端に落として、さらに、つま先立ちになってみてほしい。
そして、つま先立ちのままでいること、不安定なバランスの中で動くことを課題としながら、さらにゆっくりとした動きを続けていく。ちゃんと上半身や腰、膝といった部分を美しく保とうと意識する。「跳ねる」動きのようにつま先立ちを繰り返す必要はない。

動きの中で、全身のバランスは失われ、また安定する。身体の均衡は壊れては修復される。その絶え間ない繰り返しだ。たえずじんわりと体重がつま先にかかる。

ゆっくりと動きながら、体重をつま先の親指側で支えるのか、小指側で支えるのかといった細かい選択をしつつ、膝や腰を動かしていく。

そのうちに、上半身を美しく保つためには、つま先そのものの操作と共に、膝を曲げることがとても有効なのだということも実感できると思う。どちらか片方の膝をカクンと落すように下げるだけのことで、瞬時にバランスの修復が行える。つま先立ちのままで。

腰をひねれば、それだけで簡単にどちらかの足に重心を移動させることができる。最初のうちは膝や足首ががくがくと震えてしまうこともあるだろうけれど、重心の変化を、きちんとつま先で受け止める。

次に、上半身の動きに注目していく。上半身をゆっくり動かすこと自体は、大した負担にはならないはずだ。それでも慎重に正確に、あなたの身体の動きの一歩先をゆくイメージに、できる限りそった動きをする。想像した通りに動くことを心掛ける。首の傾け方から、肩の上げ方、指先のしぐさまで、ちゃんと意識の範疇に納めながら動く。

このような意識の中で身体を操作することによって、重心がブレるポイントが明確に掴める。

ある動作をすると決まって身体がグラつく。それはたとえば、腰をひねると極端にバランスが失われるとか、膝を独立して動かすのが非常にむずかしいとかそういったことだ。
私の場合は首を動かそうとすると、結果的に大きくイメージした動きからはずれて、いつもバランスが崩れる。首の動作によるバランスの乱れを腰や足首で吸収するのに、ほんのちょっとだけ遅れがでてしまう。

普段なら見えてこない、こういった身体の不器用さが、ゆっくりとした動きの中では簡単に表にでてくる。あなたの身体もきっと苦手とする動きがあるはずだ。別の言い方をすれば、普段ではなかなか気づけない、無造作に行っている動きというものがあるはずなのだ。ゆっくりとした動きは、自分の身体のバランスの保ち方についてさまざまな示唆を与えてくれる。非常に有効な方法なのでぜひ読者も試してみてほしい。

着地させる

ピタリと吸いつくように動作を止めることの美しさ、そしてそのむずかしさを、筆者は一般の人々より知っているつもりだ。
演劇や映画で目にする俳優たちが身につけている素晴らしい身体能力、高度な技術力は、彼らが動いている時よりも、むしろその動作を止めた瞬間にこそよく表れているように思える。一つの動作をしっかりと終了させて、新たな動きへと落差をつけて移りゆく身のこなしに、私たちは強く美しさを感じている気がする。

全身の筋肉を使い切るように走ってきて、静止する。その一瞬後にはもう、身体のいかなる部分も揺れたりブレたりすることなく、自然体で静止している。そうして何事も無かったかのようにセリフをしゃべっている。「着地点」と私は呼んでいるのだが、バランスの修正を行う必要がまったくない自分の身体の状態を、彼らは本当に良く知っている。彼らはそのポイントをものすごく短い時間で見つけて、的確に捕らえることができている。
読者の中には、そういった身体の使い方に憧れたり、実際に身につけようと努力している人もいると思う。

身体を瞬間的に止める技術。バランス良く、美しく動作を終わらせる技術。鍛えられた筋肉と、洗練された身体能力によって、さりげなく行われる技術。
これらを習得するためには多くの時間と工夫が必要だろう。本当に最高のレベルに達するには、おそらく天性の、センスのようなものがいると思う。

少しずつその技術を自分のものにしていくことは可能だ。そのトレーニングの過程は、これまで筆者がこのサイトで述べてきた方法の範疇から外れてはいないと考えている。
つまり、自分の肉体の感覚と、その動作の結果に目覚めてさえいれば、静止するテクニックは向上するということだ。

少しだけ、筆者が考える「美しく動作を止める方法」のヒントを書いてみよう。

おそらく、動から静へとスピードを変えるということは、読者が思うよりもずっとずっと大きな変化だ。
「動き」や「流れ」の中にある身体と、止まった状態の身体は、その操作条件がまったく異なる。動作の環境が一変すると言ってもいい。

まず、筋肉の負荷が変わる。
それから、重心のブレを修正するポイントが増える。または減る。
一つ一つの動作の連なり方、そのタイミングが変わる。
あなたの身体が感じ取ったものを頭で認識し、そこからさらに次の動きを決定していく、その時間的な「間」が変わる.
筋肉の緊張と弛緩の振れ幅が変わる。場所が変わる。

読者はぜひ、鏡の前で素早く動き、そしておもむろに止まる、といったことを繰り返し繰り返し行ってみてほしい。動作の緩急に身体を慣らすように、変化する環境に順応させるように、様々なポーズを動作の中に織り込んでいけばいい。
最初のうちは、無様な止まり方をすることが多いかもれない。しかし時々はキレイに止まることもできるはずだ。。
いろいろと試しつつ身体に修正を加えていけば、鏡の前でキレイに身体を止めるコツが自分なりに見えてくるだろう。
徐々にだが、ピタリと美しく止まる確率が上がってくる。

筆者が個人的に『着地点』と呼んでいる動作のポイント、身体の状態というものがある。
この着地点という概念は、静止の技術について考える時にとても有用だと思うので、詳しく説明しよう。

「着地」する感覚。まるで前もって想定していたかのようにある方向へ向かって身体が動き、一瞬にして流れが静止する。
人それぞれに特有の静止状態というものがある。安定していて、自由度が高く、どのような動きにも移行しやすい状態。各関節に対して均等に意識が払われ、力み過ぎず、微小な筋肉の緊張が身体全体にバランス良く配分されている状態。いわゆる、スキのない状態。 あなたの身体の拠り所となり、安心して留まることのできるポイント。それが私の言う「着地点」だ。

「着地点」は美しいものばかりとは限らない。同程度にブレの少ない、自由度の高い状態であっても、その静止した身体のラインの美醜にははっきりと個人差が出てくる。
あなたはすでにいくつかの着地点を持っている。バリエーションはそれほど多くはないかもしれない。そのラインは特別美しくはないかもしれない。しかし、その姿勢、そのラインを保ち続づけることに苦を感じないとしたら、それはまさしくあなたの着地点の一つだ。 どちらか片方の足に体重をかけ過ぎる立ち方も、いかり肩も、すぼまってしまう胸も、それが楽な身体の使い方なのだとしたら、その人は着地点に留まっていると言える。

演劇の舞台で時々、何かと腕を組んだり腰に手を当てている役者を見かける。もしくはただだらりと両腕をたらしてぶらぶらさせている。セリフをしゃべたり、動いているときには気にならないのだが、ただ立っていなくてはならない時、他者のセリフを聞いていなくてはならないときに、あまりにも不自然な姿勢になる。もっといろいろな立ち方があるはずなのに、どのような状況でもポケットに手をつっこんだりする。
観客に観られているという特殊な状況ではあるが、かれらは着地点のバリエーションが少ないがゆえに、もしくはそのポイントがうまく捕らえられないがゆえに、その腕をもて余していることがこちらにも伝わってきてしまうのだ。

キレイに静止するテクニックを身につける過程において大切なのは、着地点そのものを美しく改善していくこと、そのストックを豊富にすること、そしてそのポイントを的確に、瞬時に捕らえる感覚をやしなうこと、この三点だ。
これらはある意味では、総合的な身体能力やバランス感覚を洗練させる行為そのものと考えて良いだろう。
映像の中で美しく静止することができる俳優たちは、単に独立した技術として、肉体を動から静へと移行させているわけではない。身体を固めるように、筋肉を硬直させるように動きを停止させる技術がずば抜けて上手なわけではない。緊張を解く能力、リラックスした状態へ素早く移行する能力が読者よりも優れているのでもない。

前提として、美しいバランスから大きく逸脱することのない身のこなしを常にしているからこそ、彼らはあらゆる場面でキレイに静止できる。そのためには、美しい身体の状態というものを良く知っていなくてはならない。そこでは、筋肉の質量やバランス感覚をも含めた全身の機能が問われているのであり、「止まる」ことだけを考えた訓練は意味がないということだ。 あなたの「身のこなし」の一つの表れ方として、静止の美醜があるのだ。

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