09.09.鏡の力

鏡を前にして、常に自分を見つめ続けることに抵抗を感じる人もいるかもしれない。
どうしても鏡にはナルシシズムに直結するイメージがあるからだと思う。
私も二十代前半の頃はそういう印象を持っていた。鏡は毎日見ていたが、鏡を見ているところを他人に見られるのはけっこう恥ずかしいことだと思っていた。初めて全身が映る鏡を買う時も恥ずかしかったのを覚えてる。

だが、鏡には特別な力がある。読者はそのことに気がつかなくてはいけない。他の何ものをもってしても代用できない働きをする鏡について、目が覚めたようにわかっていなくてはならない。身体の動きを改善したいのなら、あなたはその能力を引き出し、十分に使いこなすことに全力を注ぐべきだ。
「自由に身体を動かす」ということは筆者の訓練法の主な特徴の一つなのだが、その点で「突き放された」と感じた読者もいるかもしれない。しかし鏡が持っている力こそが、はあなたの身体の未開発な動作を触発し、新しい関節の動きを誘導してくれるだろう。

鏡というものがない世界。鏡を見る機会などほとんどない生活。そんな中でも洗練された動き、美しい身体を見せる人はたくさんいるし、もしかしたらそのような環境の方が、人は伸び伸びと美的に動けるのかもしれないと思うことさえある。
そのへんを歩いている犬や猫も含めた人間以外の生物が、思わず感動してしまうくらい美しい動きをすることがあるが、もちろん彼らも鏡を知らない世界で自らの肉体を操作している。

まっさらの状態から、美しい動きを身につける過程では、おそらく鏡は必要ないのだろう。しかし、一度身についてしまった身体システム、つまり動きの癖や特徴を修正していくためには、鏡が非常に重要な役割を果たすことになる。自分の中にある、すでに出来上がった身体感覚を改善していくためには、鏡の力を借りる必要がある。

「試み」と「結果」、「仮説」と「検証」、それを象徴しているのが鏡なのだと私は考えている。

鏡は結果を見せてくれる

学生の頃、動いている自分に自信がなかった。学内の劇団に所属していて、舞台に立つ機会が頻繁にあったにもかかわらず、鏡を使った練習をほとんどしてこなかった。自分の姿を目にすることを無意識に避けていたからなのだろう。鏡が映してしまう、ありのままの肉体の動きに私は失望していた。動作がキレイではない自分と向かい合うのが嫌だった。

でも今は、どうして鏡を前にして身体を動かすことを行ってこなかったんだろうと後悔している。鏡はとてもとても特別なものなのだ。非常に特殊で有効な機能を持つ道具だったのに、と今は思っている。あのころ、もう少し鏡の有用性に意識を払っていれば、そして鏡を使いこなそうとしていれば、もっと舞台の上に立つことに自信が持てたはずだ。

身体をキレイに動かせない、ということの理由はいろいろと考えられる。
しかし、根本的な理由は、自分がどのように筋肉を動かせば、外部からはどのように見えるのか、その相関関係をきちんと把握できていないから、ということに尽きる。本当にそうなのだ。

生まれつき身体の動きがキレイだったかのように見える人は、鏡ではなくて、周囲の人間の反応からその動きを手に入れた。人の個性と一緒だ。ある種の思い込みと同義の「選択」を(もちろん、環境と遺伝に制約されながら)行い続けてきた結果、彼らはその魅力的な動きを身につけた。彼らにとってはそれが精神的にも、そして身体的にも都合良かったからだ。
しかし多くの人々は、同じように環境と遺伝の制約のなかで選んできた身体性が貧弱で、かつあまりに無自覚なために、それほど美しくは動けていない。キレイな身体の使い方よりも、優先的に学び洗練させるべきものが他にたくさんあったからだ。

そうして一度身につけてしまった、ある意味完結してしまった未熟な身体の使い方はなかなか改善されない。変化させることが非常にむずかしい。なぜなら今のままが身体的に、そして精神的に最も安定しているから。バランスの悪い貧弱な動きでさえ、ある人にとっては安定した身体の使い方なのだ。どんなに強くその動きを変えたいと願っていても、意識の力だけでは身体を十全に支配しきることはできない。間に合わせの意図的な肉体の変化は、ストレートに精神的緊張を呼びおこしてしまう。 たとえば猫背の人はその姿勢が一番楽だし、精神的にも最も落ち着ける状態なのだ。単に意識して胸を張ってみるだけでは何となく居心地がわるくなる。

そういった状態に変化をもたらすためには、どうしても外部的な「結果」を必要とする。
一言で言えば「こうすれば良かったのか」という身体レベルでの気づきが必要なのだ。それには周囲の人々の反応では弱過ぎる。時間差があり過ぎる。

鏡は、常に、即時に結果を示してくれる。

鏡とはそういう道具なのだ。あなたは鏡の前できっとこんなふうに思う瞬間があるはずだ。
「こうやって腕を動かした方がキレイに見えるんだな」
「ここの軸を安定させると落ち着いた動きに見えるんだな」

そんな機能を持つ道具は、どのような意味でも、どのようなレベルでも存在しない。どちらが本当の自分なのかフッとわからなくなってしまうくらい、鏡は如実に自分の行為を、存在を、「試み」と「結果」を映し出してくれる。そしてさらに重要なのは、その結果に対してまた、我々はすぐさま反応をかえすことができる、意思を反映させることができるという点だ。

古くから、次元の異なる世界へと繋がるものとして崇められてきたその特殊性は現在も有効なのだ。問題は鏡を見る私たちの方にある。その見方にある。

タイムラグ無く、自分の身のこなし方を確認できる道具。それを有効に使わない手はない。時間差がないからこそ、自分の内側の感覚と外から見た結果を、意識的にコントロールできる。その瞬間瞬間で修正し、修正した時の感覚を身体に刻み込む、そんなプロセスをたどることができる。 筆者の提案する方法が有用性を持つとしたらそれはまぎれもなく鏡の力のおかげだ。

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