10.10.身体は繋がっている

姿勢や動作を美しくしようとする努力は、たいていの場合、徒労に終わってしまうことになる。なかなか意図するように変わってはくれない。その理由の多くは、効率性、速効性を望み過ぎるあまり、身体のある一部分だけを変えようとしているからだと思う。

あなたの身体はそれぞれの部分が互いに影響し合い、情報を交換し合って、動きを制御している。身体は、相対的な位置関係が変わることを基本的に好まないし、不慣れな動作はできるだけ回避しようとする。関節の使われ方の変化に対して起こる、もとの状態に戻ろう・戻そうという反応は意外に大きく、強いものだ。

あなたは、ある意味では完璧なバランスをすでに獲得している。普段の何気ない姿勢は、あなたが長い時間をかけて身につけた最も安定したカタチであり、最も身体的・精神的に抵抗のない状態だ。たとえその姿勢をあなたが嫌悪していたとしても、だ。
読者は、身体のある一部分を変えようとする時、その変化が他の部分に与える影響についても考慮しなくてはならない。全体のバランスに対する配慮を忘れてはいけない。

身体感覚を揺さぶる

誤解がないように書いておくが、筆者の言う「身体を動かす」とは本当に汗が出るくらい十分に肉体を使って、動きを作っていく行為のことだ。振動が出せる環境であれば飛び跳ねたり、床を蹴ったりしてほしいくらいだが、そこまでいかなくても、となりの部屋から苦情がくる一歩手前くらいまで動くこともありえる、そういうイメージを持ってほしい。

ポーズをとって、スライド写真のように変化を加えていくというイメージはそこにはない。筆者としては、古い癖がその影響力を弱めるほどに身体を揺さぶり、伸ばし、ひねり、緊張・弛緩させてほしいと思っている。しっかりと動くことに意味があるのだ。

なぜなら身体は繋がっているから。

自分が動く姿をきちんと見る機会はあまりに少ない。 本来、私たちの身体は常に動きの中にあり、流れの中にある。それなのに自分の身体を意識する時に限って、ついついそのことを忘れてしまう。
鏡の前に立つと、多くの人はポーズをとる。静止した姿を鏡に映す。正面から自分の姿を確認し、横から見た姿を確認する。そして、ちょっと猫背気味だなと背筋を伸ばし、内股を正し、上がり過ぎた肩の力を抜いたりする。
しかし、読者の多くは実感していることだと思うが、そういう修正はほとんど役に立たない。日常生活に反映されない。鏡の前を離れたとたんに、その試みや修正は無意味化する。たとえ意識をキープし続けていたとしても、知らず知らずのうちにまたいつもの姿になってしまう。

こんな経験はないだろうか。 鏡の前で姿勢を正し、「これで良し」と部屋を出る。頭の中には、その姿勢を保ちながら歩く自分がいる。数分後、その期待通りの姿を求めて街角のショーウインドに目をやる。 そしてそこには、いつもの、あまりぱっとしない動きをしている身体が映る。 筆者は、それこそもう何年もの間その繰り返しだった。そして自分の身体には何かが欠けているのだ、という認識を持つようになった。まさに身体的に失望したのだ。

鏡のある場所でなら、自分の姿を確認できるところでなら、何とか美しいと思える姿勢が取れる。逆に言うと,鏡がないとどうしてもキレイな態勢を維持できない。
そういう人は身体のある部分だけに修正を加えている。一部に意識を集中し過ぎている。 もしくは複数の部分を、身体的繋がりを無視して美しく見せようとしている。 もう一度言うが、身体は繋がっているのだ。これは非常に重要なことだ。

身体が繋がっているという実感が持てない、という読者もいるだろう。 そういう方は、普通に立った状態から片足を何かの上に置いてみてほしい。階段一段分くらいの高さのものがいい。
このとき腰がスッと動くのがわかるだろうか。移動するというよりもその角度が変わる。意識しなくても腰の下側が前方に突き出され、腰の負担が軽くなったような感じがしないだろうか。
この片足を少し高い位置に置く立ち方は、腰に負担をかけない姿勢のテクニックとして広く知られているものなのだが、いったいなぜ直接腰に働きかけることなく、足にアプローチすることでこのような結果になるのだろうか。

それは、身体の関節はお互いに密接に係わり合いながらバランスを取っているからだ。 あくまで便宜的に身体を各部位に分けるとこんな感じになる。


肩  腕
背骨 


足首

猫背の人は、鏡の前であごを引いて首のラインを整え、胸を開いて、腹筋に力を入れる。一時的にはキレイになったように見える。猫背は修正されたように見える。そして街へ出かける。背筋を伸ばし続けようと意識して歩いている。しかし、このとき、腰に意識をやっているだろうか。膝には。足首には。

あなたの身体はすでにバランスがとれている。美醜に関係なく、身体全体で均衡を保っている。むしろ、無意識にではあるが、均衡を崩さないよう努力している。 まず、そのことを認識しなくてはならない。 いかなる修正であれ、その均衡に変化を加えると、身体の別のどこかがそれに反応を示すものだ。上半身を操作すれば、その相対的な位置の変化に対して、否応なく下半身は敏感に反応する。それはたいていの場合、好ましくない反応となる。意図しない結果をもたらす。

首や肩、背骨の位置が変われば、均衡を保とうとして、腰から下の部分もまたその位置を変える。下半身と上半身のバランスが崩れ、それに対して無意識的な復元作用が働きだす。鏡の前にいる時、もしくは高い意識でその修正を維持しようと努力している最中にはこの反応は抑えられている。しかし、これが何となく居心地が悪いという感じに繋がる。 たとえば、猫背の人が意識的に胸を張った場合、いつの間にか腰が前倒しになり、お尻を突き出したような格好になってしまう。

新たな均衡を求めて

それでは、腰にも、膝にも、足首にも意識を集中すれば良いのだろうか。身体の主だったすべての関節に意識の力を注ぎながら動くようにすれば良いのだろうか。この答えは半分はイエスであり、半分ノーだ。

全身を意識した瞬間はキレイに見えるかもしれない。しかしその瞬間が美しく見えるピークだろう。あとは徐々に元のあなたの身体に戻っていく。
そのバランスは腰にとっても膝にとっても足首にとっても安定感を欠いた、まったく未知のものだからだ。身体が覚えているニュートラルなバランスはまだ残っている。あなたが変えたい、なくしたいと思っている自然な(長年の間に染みついた)あなたの姿勢はすぐに戻ってくる。歩き、かがみ、座り、手を伸ばして物を取ったりするうちに、身体は心地の良い元の姿勢に少しずつ戻っていってしまうはずだ。

それではどうしたら良いのだろうか。どうすれば古い身体のバランスを崩して、新たな美しい均衡を手に入れることができるのか。

動くことだ。鏡の前で動くこと。

ポーズをとるのではなく、あなたの動きを鏡に映せばいい。
身体のバランスは動きながら保たれている。身体が覚えているのは動きの中での均衡だ。関節が曲がり、回転することを前提としたバランスなのだ。だからこそ、筆者のトレーニングでは動きながら修正を加えていく。
未知の動きの中で、「こうすればラクに動けるんだな」とか「こうすればよりキレイに見えるんだ」といったメリットを、頭ではなく身体レベルで気づくこと。それがあなたの古いバランスに変化をもたらすきっかけとなる。動きを自分の目で見ながら、身体の使い方を新しく、洗練されたものに変えていく。

もちろんすぐには変わらない。身体バランスはそれほど簡単には更新されない。あなたが鏡の前で見せる動きは、単に新しい可能性に過ぎない。
しかしそれでも確実に、現在のバランスに揺さぶりをかけることにはなる。さまざまな段階をへて、あなたの身体は少しずつ新しい動きを身につけていく。次の章ではそのプロセスについて述べてみたい。

このサイトの目的は、最終的には意識しなくてもキレイな姿勢でいられるようになることだ。ふとガラス窓の中の自分を見た時に、まったく知らずに写ったスナップ写真の中に、想像以上にキレイなラインを描く身体がそこに映っているのを目にできるようになることだ。

鏡がそれを可能にする。

<< 前のページ ・ TOP ・ 次のページ >>

★ 本間昌も使っているおすすめ縄跳び。
ロープ自体に重みがあるので気持ちよく跳べます。

なわとびは本当に優れた道具です。
一日2分で良いから、跳んでみれば、鍛えにくい筋肉のポテンシャルをあげてくれることが実感できるはず。


Copyright © 2002-2017 HONMA Akira, All Rights Reserved.