12.12.洗練された動きって?

読者は鏡の前で身体を動かしていくうちに、洗練された動きそのものに疑問を持つことがあるかもしれない。
「いったい洗練された動きとは何なのだろう?」「キレイな身のこなしとはどのようなものなのだろう?」と。

さまざまな角度から、視点から、「洗練された動作」の定義が可能だ。
美しい身のこなしについて、身体が表現しうる優雅さについて、古今東西の解釈が数多く存在する。筆者も以下の文章で、できるだけ読者にわかりやすい形で、私なりの考え方を示したいと思う。

だが、忘れてはならないのは、定義や公式を追い求め過ぎてはならないという点だ。自分の身体という限定された領域を越えて、全ての人に当てはまる真理を確認し、そこに寄り添い、含まれたいと希望する心情も理解できるが、その点に執着してはならない。

あなたの身体は、一般論をもって操作するには、あまりにも個性的であり過ぎる。固有の癖が根強く定着している。姿勢を良くすること、動きをキレイにすることがむずかしいのはそのためだ。本当に血がにじむほどの努力が、場合によっては全く報われなかったりするのは、あなたの身体があなたにしか動かせないものだからだ。身体的な美しさを獲得することのむずかしさはまさにその点に集約される。

動作を美しくするためには、あなたの身体の癖や特徴に対してしっかりと焦点が合った方法がとられなくてはならない。その意味では、一般論で述べられる「正しい」身体の使い方などといったものは存在しない。ただ「あなたにとって」という視点だけが必要とされる。

自分の身体のことを忘れてはいけない。
身体の使い方として、何が正しくて何が間違っているのかを追い求めるあまり、自分を置き去りにしてしまっては、決してあなたの身体は変わらない。

仮説を立て、検証する

このことは大事な事柄なので憶えておいてほしいのだが、身体をキレイにするために必要なのは知識や意思といったものではなく、テクニックだ。頭で理解したものではなく、身体が身につけた技術こそが、あなたの動きを洗練されたものにする。

背筋を伸ばそうとか、大またで歩こうとか、てきぱき動こうといった意識的な努力だけで、あなたの身体が変わると考えるのは間違いだ。もちろんキレイに動きたいと望むだけでも不十分だし、キレイに身体を使うコツを読むことで自分の身体能力が向上するだろうと考えるのも思い込みに過ぎない。

身体が美しく動くのは、当たり前のことだが、その時点であなたの身体が、美しく動くだけの能力を持っているからだ。身体能力を向上させることができていれば、無意識にでも身体はキレイな動きを選択する。洗練された動きとはそういうものだ。無作為の何でもない動きの中にこそ、身体の洗練度合いは表れる。

あなたが自分の身体を変えたいのなら、身体能力を向上させる方法を、訓練法を実際に行うしかない。鏡の前で、毎日の生活の中でできることはたくさんある。自分にできることは何かを考える時にのみ、知識は役に立つ。意味を持つ。
実際に身体を動かし、身体がその動きから何かを学んだ時に、より洗練された魅力的な動きが実現する可能性が生まれる。

どうしようもないことなのだが、実際に身体を動かしたとしても、それはキレイな動きが身につく可能性が増えたに過ぎないのだ。筆者は、それをより確実なものにしていくためには、「仮説を立て検証していく」という意識が必要なのだと考えている。まさに頭脳と身体とが密接に絡み合った、協力し合った作業が必要とされる。

身体に関連した多くの書籍が、懇切丁寧に、意識の持ち方を述べてくれいている。身体の各部位の注意点を詳細に記述してくれている。読者はこれらの情報を自分なりに使いこなさなくてはならない。そこに自分なりの解釈や仮説を付け加えて、身体を使って検証していかなければならない。

身体というものは、頭と身体両方がその動きについて確信のようなものを持った時にだけ、変わり得るのだ。自分が何のためにその動きをしているのか、その訓練法の中に込められているものは何なのかを、あなたがきちんと理解していなければなかなかうまくいかない。

あなたの身体は良くも悪くもすでに安定している。全く身体的な努力をしていない人たちに比べればある程度洗練された状態にあるかもしれない。しかし、あなたの意思とは無関係にその状態は安定してしまっている。固まり、ある意味完成し、それほど変化を望んではいない。そこからより洗練された状態へシフトするためには、意識的な気づきと身体的な気づきの両方が必要なのだ。同時進行的に。
知識だけでは身体は変わらないし、その動きの意味を知らないまま習慣的に身体が動いても身のこなしは改善されない。

身体により多くの選択肢を

鏡の前で、好きに動きを決めていく。あなたの身体が見せるカタチに、あなたの意思が影響を与え、さらなる変化をもたらす。 興味のある動き、面白そうな動きを読者自身が見つけていく。
その中で生まれる動作は、書籍等から知識として得られる「型にはまった動き」とは違い、あらゆる意味で不確かなものかもしれない。それはきっと万人にとって有効な、身体能力の向上を期待できる動きではないだろう。客観的な意味は皆無かもしれない。根拠のない、偶然が生み出した動き。もちろん、特別新しい身体の使い方というわけでもない。

しかし、それは間違いなくあなたが作り出した動きであり、あなたの「身のこなし」そのものの表れだ。そこに修正を加えて、しっかりと結果を見届ける。その絶え間のない繰り返しは、あなたの身体にとって間違いなく意味のあるものとなる。閉じられた輪をひらく鍵になる。

身体は、最も自由度の高い状態を好むという傾向がある。
そのことは読者もきっと何となくわかっているはずだ。
選択肢の多い状態は心地良い。多様な動きに移行しやすい態勢。対応できる範囲が広い状態に身体はあろうとする。今現在のあなたの身体の動きは、間違いなく現時点においては「あなたの身体にとって最も自由度の高い」ものだ。

だからこそ、鏡の前で、さまざまな動きをすることが意味を持つ。美しいと思える動きを鏡の前で保ちつつ、身体にあらゆる経験をさせる。それは、身体に新しい動きとその感覚を文字通り体感させ、「美しい(そしてある意味では馴染みのない)状態での自由度を向上させるため」に行うのだ。この状態ではこういった動きも可能なのだと、身体に納得させることに意味がある。

洗練された動きができるということは、自由度の高い状態と、美しい状態とを重ね合わせられることを意味する。形としては美しくても、どこかに微妙に力が入っていたり緊張していたりすれば、それはあなたにも第三者にもわかる。そのような動き方を目にして「洗練されている」と感じることはない。漠然とそこにぎこちなさを感じる。 この二つの状態を同時に実現させるためには、幅の広い動きを連ねていける身体、美しい状態について良く知っている身体が必要となる。あなたは自分の身体を、多くの選択肢を持ち、そこから美しいものを選びだせる身体へと変えていく必要がある。

美しい動きを選ぶのは、頭か? 身体か? 
もちろん身体だ。

普段、身体を動かして何らかの作業を行っている時、頭を使って身体を動かしている感覚はないはずだ。頭はもっと別のことを考えている。そこには、自分の身体がどのように動いているかという後追いの認識があるだけだ。

動作は身体が行うものだ。身のこなしを生みだす仕組みは非言語的なものだ。あらゆる意味で。身体の本質を探っていけばそのような結論に至る。頭は、逐一関節の一つ一つに意識をはらったりはしていない。美醜は、その身体がどのようなシステムを採用しているかに影響を受ける。そのシステムが洗練されていれば、ことさら、美しくふるまう必要はない。あなたは鏡の前で自分の身体を洗練させれば良い。

頭で考えて身体を操作し、美しく見せる方法は非常に効率がわるいものなのだ。一般的な公式や法則が、本当にあなたの身体感覚に浸透するまでにはとても多くの時間がかかる。

たしかに、身体は頭で操作することができる。ある一面から見れば、意識の力を用いて、非常に高い精度で器用に身体を扱うことは可能だ。だがそのコントロールできる範囲はあまりに狭い。継続的に高い集中を要し、その効果は限定され過ぎている。

自分の身体を頭や意識で支配しようとすることは、鏡の前と、それを実生活の中に織り込んで試してみる作業の中だけのものと考えた方が良い。
あくまでもこのサイトが目指すのは、無意識に動いていてもキレイな身体だ。こうやって腰を使い、このラインで背骨を反らし、この角度で首を傾けれは美しい動作になる、みたいなセオリーを越えた、「なんでかわからないけれど意外に美しく動ける」状態を目指してもらいたいのだ。 自分の身体を置き忘れてはいけない。既存の類型化された動きに惑わされてはいけない。

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