仏陀の心(2)

 

1.次の時代のためになる現実の、その原因を、さりげなく真剣に生きる。それは、今を生きることの真実。真に生きることの、普通。そのために、淡々とすべきことをし、行くべきところへ行く。いつの時も、生きることは、次の風景への責任を普通とする。人は、どんな時も、繋ぐ意思を、生きる力とする。

 そのための教えが、教えとして残されることはなく、そうである姿を温かく応援する大きな心が、それを実践する人の何でもない言動の中で、息づく。正しさも真実も、(結果に留まる)形ある言葉には無く、真を生きる人の正しさの中で、ごく普通の言葉と一緒に、風のように伝わる。そこに、個の経験は入り込めず、思考も感情も、どこまでも経験(記憶)から自由である。教えは、教えとしては存在せず、自然界に生きる一生命として大切なことをそのままに生きる姿と、そこから自然と生まれる生きた言葉(という名の生命本来の原因の具現化)が、人を導く教えである。

 

2.生命の教えは、隔たりを作らず、優越や嫉妬とも無縁である。積み重ねる結果ではなく、次に繋がる原因の成長がその仕事であり、言葉から始まる心を知らず、心が言葉になるその原因に、優しく連れ添う。

 真の教えは、自然で、変化そのもの。どんなこともそのままにはせず、あらゆるものを変化に乗せる。シンプルな原因でい続けるそれは、過去に居座る形を崩して、生命世界を風通し良くし、結果にこだわる感情を溶かして、空間を次へと流れさせる。そこで、明らかに不都合(不合理)となるのが、権威と権力。特定の人たちのための教えも、特別とされる教えも、真の外された嘘の文字(言葉)の羅列である。

 自然界(地球)に生かされる生命が、自然界の生命たちと共に生きる、その人間時間を人生と言い、それを基本に、人は、生命を生き、人間をやる。厳しさも愛情も、優しさも思いやりも皆、そこでの自然な普通の表現であり、厳しくする、されるといった平面的な関係性の原因は無い。正しき教えの世界では、常に、自然界と共に居る生命としての原因が、躍動的である。その全てが、仏陀の真意であり、道元と共に未来に放ち続けた、原因の世界での、二人の実践である。

 

3.特別な言葉を持たず、自らが、教えの原因となる在り様をそのままに、自然を生きた道元は、人としての生命世界の本質を通して生み出されること全てを受容しつつ、その自覚もなく、密度濃く、形無き抽象世界を浄化する。彼の言葉は、縁する人の心(の意思)を本来へと導く、生きる原因の鏡。その時々の言動の必要性は、その瞬間を永遠の変化に乗せる、自然界の意思。

 何も無い中で自然と生まれる言葉は、道元の中庸無限の心を通り、人の心へと流れ、そこで溶ける。思考が心の脇役のようにしてあるそこでは、何かのための言葉は要らず、自在にその(何かの)質を変え得る、言葉であって、言葉ではない(言葉の域には収まらない)言葉が、次なる原因としての、生命の仕事をし続ける。

 湧き上がる想いをそのままに、心と言葉をひとつに、時(時空)を癒し続ける道元。その姿は、人間本来の仏心(宗教心)であり、仏教そのもの。彼は、友(父)に見守られ、仏陀(の時代)には難しかった心の具現化を実践し、生き続ける原因の言葉(文章)を、自ら形にする。それは、奇跡という名の、生命世界の普通。

 

4.生命本来の普通(教え)をそのまま未来へと繋ぎ得るために、道元は、禅の道を志す。真を歪めて、仏教を悪用する世界との不要な衝突(軋轢)を避ける意味でも、それは重要なこと。彼は、禅の世界に、仏陀の本来を招き、そこでの融合を密に、その質を高める。そして、ずっと先の未来にまで届く仏心とその原因を、力強く重ねていく。

 時代背景的にも、生命を生きる人間として唯一の選択となる禅は、かつて、(身を守るための)直感からなる必要性で修行の道に入り込んだ仏陀の人生と重なる。真に生きる上での基本形は、次の時代の(自然界が喜ぶ)原因となる現実を生み出し、それを人生とすること。道元は、仏陀の経験の質を消化し、自らも、推古朝での経験を活かして、仏心を繋ぐ。

 道元禅の原因は、この時代に真の普通(仏教)を通し得た、仏陀の意思であり、道元の、その具現化である。仏教を語る時、それ以外は要らない。もちろん形としての禅ではなく、そこに在る、変化し続ける原因の性質と、永遠に生き続ける真の普通のこと。仏心(仏教)は、鎌倉期に、息を吹き返し、そしてこの時代に、心ある世界の普通となる。

 

5.仏陀の尊い教えとされる、仏教。しかし仏教は、特別や直線上の概念を持たない、人としての普通。人間本来という自然体の在り様が、そのまま次なる原因でい続ける、生命の姿。その何でもないことが、普通になり得なかったこの2500年間に、真の仏教が人の心に染み込んだ(力を持ち得た)時代は無い。仏陀は、永いこと、その実を観続ける。道元は、淡々と(いくつもの人間時間に)、生命を生きる。

 悟りの世界は、仏教には無い。この国の歴史的負の連鎖(の仏教関わりの背景)を思えば、それは当然のこと。自らの分を忘れ、悟りという思考が力(特別性)を手にするから、普通に大切にすべき普通のことが、外されてしまう。仏陀を、悟りと結び付ける時、それは、無知による無責任の極みと言える。自らの想いに正直でいることも出来ず、形に流され、物に引っ張られ、嘘を生きる。

 人間は元来、悟りの世界を、その実感もなくあたり前に生きる、生命。その人たちは、悟りを知らず、仏教も知らない。そして、仏心をそのままに、(悟っているとしか思えない)普通の時を真剣に生き、その気もなく時を癒す。余計な思考を使っている暇は、そこには無い。何かの裏返しではない、健康と平和の原因も、そこで、絶え間なく息づいている。仏陀の普通は、心ある風景の原因を生きる普通の人たちの、その心の姿である。

 

6.それを知れば、この国の人間は、仏教という世界を通して、どれだけムダな時間を費やしてきたかが分かる。そのムダな時間は、そのまま、争いと衝突(戦、争乱)の原因となり、仏教の世界には無いはずの、権威と権力を生み出す。それは、紛れもなく、仏陀の真が外されたことによる、仏教(宗教)の暴走。

 自己本位に仏教を利用する人間たちが、道元の存在を煙たがり、排斥へと動いた理由は、(怯えからなる)真実への抵抗と拒否のため。そのための、人の心の世界の未成長(空白)は、後の、非人間性からなる重たい歴史を作り出す。この国の、仏心の無い思考型の存在(僧)たちは、真を歪め、正しさの質を低下させるのが得意である。

 仏陀に触れる時、道元の心の世界との融合から始め、そこに在る彼(仏陀)の真意と、存在としての意思を、自らと重ねるようにして、思い思いに感じ取るのがいい。道元を、父として支え続けた、仏陀。その場所以外には、皆作り物(紛い物)の仏教があり、仏陀も釈迦牟尼も、存在しない。それを誰よりも知る、仏陀自身。だからこそ、(この国の)大きな転換期となる時に生を選択した、彼。二人の関係性は、この地球に生きる一生命としての人間時間を本道へと導く、その原因そのものである。そして、彼らは、この時代に、再度(揃って)生を持つ。

 

7.仏陀の言葉を思う時、そこには道元が居る。道元の世界(禅)を感じると、仏陀の想いがそのまま形になっていることを知る。二人は、知識を持たず(溜めず)、自らの生き方が縁する人の知識となって、真の普通の(人間の)ひな型でい続ける。言葉を選ぶこともなく、心がそのまま言葉になる彼らの姿は、否定感情とは無縁の、自然界の安心。彼らが共に、この国の、形を生み出す心の世界に関わったことで、動植物たちと、心優しき柔らかな人たちは、希望の未来を内に温め出す。

 形ある結果からではなく、その手前の形無き心の性質から始まる原因を通して、現象世界を観る時、人は、いつのまにか、仏心と繋がる健全な感性を普通に、仏陀の精神と重なる自分を生きることになる。それは、原因が大切にされると、事の成り行きへの責任感覚が自然と備わり、仏教(真の教え)を歪める、ご利益心や依存心が外れて、思考型の論理や理屈(探求、到達)からも縁遠くなるから。そこには、自力も他力も無い。ただ実践する原因(の選択)の姿を通して、仏陀が笑顔を見せる。何も無くても、必要なことの全てを生み出す原因の力は、仏陀の心が何より通りやすい場所である。

 

8.人は、地球上で生きているわけだから、そこでは、地球自然界の望みと自らの生き方が、自然と融合することを基本とする。それを思う時、仏教の世界に少しでも縁していれば、信頼や期待という感覚は、人との間ではなく、地球自然界と自分との間で自然に育まれ、成長していくもので、自然界(動植物たち)に愛され、彼らの普通をさりげなく守り、支えていることが、この世の信頼そのものであり、人としての期待通りの生き方をしているということになる(ことを知る)。

 自然界が喜ぶ、自然な生き方。そして、それを当然の義務として実践する人たちの、自然体でいる空間。そこに、仏教の真は在り、仏陀の心も息づいている。人が、人を想う時、その空間に、自然界に生きる生命たちの望みが普通に存在するか?彼らの期待に、その人は応えているか?仏教は、実にシンプルで、友愛に溢れている。

 地球自然界が安心する原因が、その人の中で成長・進化する時、仏陀も、優しくほほ笑む。そして、限り無くその様を応援する。その全てが普通だから、仏心も宗教心も、どこまでも細かく、深く、地球に溶けだす。

 仏陀の心が形になるという、これまでに無い原因の働き(躍動)に、時は、生命源からなる心の交流を力強くさせる。仏教は、芯を取り戻し、普通の人の心と繋がり出す。by 無有 9/26 2017

 

 

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