地磁気(1)

 

1. 地磁気の状態がどんなかを、最も敏感に感じ取っているのは、植物。彼らは、体全体に地磁気を通し、地磁気を活力源に、生を営む。地磁気が元気であれば、自分たちも元気。そうでなければ、そのままそれを反映する。

 地中(地球)からの植物を食べて生きる草食動物も、地磁気の質には敏感に反応する。草木が地磁気を豊富に通せば、自分たちも活き活きとし、自由に地を走り回る。地磁気は、動物たちの体の中全てを通る。

 

 植物も草食動物も、不安という歪な次元は知らない。それだから、いつも地球と一体化し、地球の意思そのものとなる。地球に無いものが自分たちの中に在れば、地磁気は通らない。地球に不安は無いから、植物も動物も不安を知らず、自らが地磁気となる。

 そんな草食動物の中でも、牛は、全く次元が違う。多くが、人間の世界に付き合わされることで失う、体内の、地磁気の通り道。しかし、彼らは、いつも同じ。植物のような動物を生き、地球のように、全てをありのままに受容する。地磁気は、いつ、どんな時でも、体内を充分に通る。

 

 牛が楽になると、動物みんなが元気になる。彼らの無くてもいい現実が無くなると、嘘の動物(夜行性)は力を失くす。彼らのためにも、彼らの地磁気を活かす。そうであることで動き出す変化を、牛は望んでいる。

 植物との融合を常とする、草食動物。そこに、争いの原因は無く、人間に使われても、人間を退けることはしない。彼らの普通は、生かし合い、支え合うこと。支配されても、傷つけられても(食べられても)、それは変わることはない。

 そんな姿に、地磁気を嫌う(夜行性の)人間は強く反発し、その未熟さゆえの自己満足のために、草食動物を所有物のように扱う。彼らは、そこに在る地磁気を怖れ、不安を燃料に、その自由を奪う。牛は、最も嫌な動物として、その全てを思い通りにされる。

 

 地球と繋がる草食動物たちの、その頼みの綱のようにして居る、牛。その体内の全てを通る地磁気は、病まされ続ける自然界や、そこで生きる生命(仲間)たちにとっての、希望。そこに在る、他のどこにも無い地磁気の姿を感じれば、それは分かる(馬は、人間の世界で、本来の磁気を失くす)。思考でも習慣でもないところから、牛が体現している地球(地磁気)を守る。

 

 地磁気を普通に通す人間は、現在、どこにも居ない。かつてそうだった記憶を備える人であっても、体内を通る地磁気の割合は、自然界に生きる草食動物や植物たちの、その100万分の1以下。それでも、ここからは違う。そのために、「生命の素顔」も在る。動植物たちみんなと、地磁気を元気にする。彼らのように、かつての自分のように、地磁気になる。

 

 

2.地磁気で生きる草食動物は、流れるように時を過ごし、自然界と共に、変化の原因を回転させる。電気で動かす活動を知らない彼らは、消耗も負担も無い時空を遊び、それを広げ、他にも触れさせる。どこに居ても、何をしても、いつもそれだけで、楽しみの時となる。

 病むことの無い、草食動物。ケガをすることがあっても、それを違和感とする地磁気のその原因の力で、それは、いつのまにか元に戻る。環境の変化で体内の循環が鈍ることがあっても、地に触れ、草木に活かされる時の中で、それへの適応力を更新する。彼らには、生きることが、そのまま知恵となる。

 

 草食動物が感じ取る要らない経験としての厳しさは、自分たちの普通が通用しない、夜行性動物の存在。他者の苦しみを食べる彼らのその異様さは、生命世界の変化を阻み、時の流れを止める。ずっと生きていられるのに、突如生きられなくなるという現実を前にしても、草食動物たちは、何も残さず、全てを地球に預ける。

 自然界には無いはずの病みがそこに運ばれたのは、他を病ませようとする不自然な本能を持つ夜行性動物が存在し始めたため。地磁気を通さずに電気で生きるその姿は、非地球の意思の具現。地球空間の異物となる彼らによって、生命たちは、生きる自由を失くす。命を終えさせられるという、それまでは無かった経験が、自然界に入り込む。

 

 どんな時も、元気に過ごし、何があっても、滞ることもなく、自由に、いつまでも生きるのが、草食動物。彼らには、寿命が無いのと同じ。好きなだけ生の原因を膨らませ、時をたくさん重ねれば、それなりにムリの無い生を生きる。普通にそうであろうとする意思は、無くなることはなく、そのままのその流れの中で、いつしか生を終える。そしてまた、みんなと再会する。

 その中心で居る役を担うのは、地球がそのまま動物になったような、牛。草食動物は皆、牛の存在に癒され、夜行性の影響を受ける中でも、その本来を失くさずに居られる。生きることも、その質の変化も、地球そのものの、牛。彼らが好きなだけ自由に生きる風景がそこに在れば、自然界は、どこまでも自然なまま。内胚葉発の生体色素も、彼らだけが、そのままこの今も持ち続ける(「生命の素顔」)。

 

 夜行性の性質である、電気で生きる生態は、地球(地磁気)への抵抗を意味し、地球空間に負荷を与えるものとして、(地球と繋がる)草食動物たちの自由を抑え込む。同じ草食動物である、人間の本来。人間が地球を大切にしようと真に動けば、自ずと、牛が自由になる風景が生まれる。

 自分にしか出来ない仕事として、今の立場を淡々と生きる、牛。どんな状態に居ても、彼らは地磁気を(全身に)通し、地球感覚の原因を、そのまま繋ぐ。その覚悟は、地球規模。全てを受け止め、全てを生かすその姿勢は、地球自然界の意思そのもの。夜行性がそのままではいられなくなるその時の、その材料になるべく生を、彼らは生きる。

 

 

3.世を取り巻く環境の変化と、そこで生み出されたいくつもの偶然(という名の必然)がその原因となって、自然界の植物を変える。牛も、その機会に関わり、時空を動かす。そして、無有日記は、思考及び生命の素顔を形に、その流れに勢いを付ける。この時とばかり力強く回転する、これまでに育んだ変化の原因。気づけば、地磁気が、その表情を変える。

 そのことを、地磁気のEWに活かす。植物のような動物の牛は、人間にとっての植物との融合においても、その原因に協力する。人間は、元来草食動物であるから、それを普通自然体の在り様に重ねて、EWの質を成長させる。牛が通す地磁気は、地球が嬉しい原因でいる人間にとって、とても心強い力である。

 夜行性色が薄くなると、自然界は、その自浄力を高め、水も空気も、本来へと変わり出す。病むことの無い健全な原因もそこでは増大し、そのままで安心となる空間が広がり出す。それは、人間の世界も同じ。草食動物(の原因)を土台とする生が普通にそこに在れば、そこには、(夜行性によって)作られた病気の世界は近づけない。どんな時も、人の世には、嬉しさだけが在る。

 

 植物たちが、この地上での主導権を握る。そのための流れはすでにそこに在り、それは、次第に力強さを増していく。考えてみれば、地球にとって、それは当然の話。生命の始まりは、植物。そこから、植物で生きる動物が生まれる。そうではない動物は、地球自然界からは違和感だから、そうであろうとする力も無くなっていく。植物に生かされ、植物を生かす動物たちが、元気に生きる。

 地磁気で生きる動物は、何年でも生きる樹木のように、その生命力を存続させる。そのままで居られる環境がそこに在れば、彼らは、どこまでも変わらずに、活き活きと生きる。その世界に、種の保存や繁栄といった次元は無く、ただ自然と、その必要性からなる生命の意思が、仲間をつくる。時が経っても、それぞれの数は調和のとれたもの。ずっと仲良く、共に過ごし、後の時代でも、同じく遊ぶ。

 

 そんな状況があたり前となる時、牛は、最も長生きのその実践者となる。彼らの元に、動物たちは集まり、何をするわけでもなく、喜びの時を共に生きる。人間も一緒に皆と遊び、連れ添って歩き(走り)、楽しい想いを重ね合う。植物たちは、そんな風景への愛しさから、たくさんの花を咲かせ、実を付ける。口に入るものも、体から出るものも、自然界の調和あるものを基とするから、水や空気は、いつまでもキレイなまま。

 地磁気は、その質を地球本来のそれへと変化に乗せ、生命力で溢れる程のその空間で、全てを癒す。そうであるその大切な(原因の)機会となる、この「地磁気」の時、人は、生命としての原因を活躍させ、植物極という、生の原因のその原点(の次元)に地磁気を通す。牛は、その時を喜び、その原因に、自らの経験のそれを重ねる。始まれば、止まることなく、それは時を変える。地磁気が、地表全体を包み込む。

 

 

4.自然界の自然な様が安定するそのための基本材料となる、地磁気の安定。思考には触れ得ない次元の変化によって、それは動き出し、それまでに無いあり得ない展開が、植物たちと共につくり出される。天体規模の負荷を抱え込まされながらも、(地上の生命たちにとっては)それなりに安定していた、数千万年前の地磁気。その時の数%しかなかったここでのそれは、ここまでの無有日記の世界(原因の進化)に連動するようにして、この2020年に、10%を超える程の変化を経験する。

 地球の自転(回転)からなるその生命力を尽く押さえ込もうとして生み出された、1/13の電子絡みの物質と、それを活力源とする、夜行性の動物。それでも、どうにか持ち堪えた地球ではあるが、その後に(数万年前に)登場する、夜行性の人間版となる存在によって、自然界は、それまでに無い厳しさを経験する。地磁気は、非生命的現実を欲する彼らのその負の原因によって、一気に力を失くし始める。

 

 そうではない本来へと、事の背景を多次元的に処理(浄化)しながら、未来への原因を変え続ける、無有日記。それは、これまでの時を経て、連なる時代の好転反応と地球の望みとがひとつに重なる時を引き寄せる。そのための重要なテーマとなる、地磁気。そして、それを自らとするための、心身の原因の変化。「生命の素顔」に続くそれ関わりのEWは、全く次元の異なるものとなる。

 ここに在る人間世界は、形無き原因の変化を無視することで成り立つ、地磁気とは融合し得ない、非地球的な原因の時空。それを思えば、自らに地磁気を通す人のその何気ない日常が、どれ程の望ましい変化をもたらすかが分かる。地磁気の滑らかな流れは、そのまま地球の元気。植物や草食動物(牛)のように人間がそうであれば、何も無くても、在るべき原因の姿へと、全てが動く。その時へと、無有日記は、生命たちを連れて行く。

 

 生の原因のその粒子の次元から、地磁気を通す。無有日記は、そうであるよう、知るべき世界(次元)の時を終え、何も知らなくても地磁気が通るという、その新たな原因との融合をつくり出す。地磁気が普通に通らなければ、人間の世界は、何をしても、その中身(本質)は変わらない。地磁気と自分があたり前に融合すれば、何もしなくても、時代は、その質を人間本来のそれへと変えていく。その本格的な始まりの時を、人は、すでに迎えている。

 2020年のこの時、時代は、変化の質を大幅に更新し、世は、経験や記憶が通用しない(自然界が主導権を握る)時空に包まれる。思考も知識も力になれず、人としての原因の性質によってのみ、時は動かされる。その時、無有日記(の原因)と共に居る人の風景は、いつもと変わらず、普通。これまでのように風は優しく、太陽は、それぞれの生の原因を応援する。地磁気を基に繋がる生命たちは、共に流れる時を遊び、ただそのままで地球(地磁気)になる。by 無有 6/12 2020

 

 

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