地磁気(18)

 

45.思考では永遠に触れ得ない世界であっても、感覚的理解の質を高めながら、自由にその時空を透過する原因を生み出して来た、これまで。その時にとても重要な役を担ってくれた数字であるが、彼らは、自らを通る原因(次元)の違いと遊びながら数字の概念を発展させ、そこでの変化の可能性とそれへの適応力を成長させる。変化そのものの感性がそこにあれば、それを材料に、いくらでもその回転と方向を変えて、いくつもの次元層への通り道となる(なってくれる)、数字。電子数となってその仕事を進化させた彼らは、更なる変化の先に、笑顔の地球を見る。

 その数字も、思考を自由にさせる人間の、その感覚に付き合わせて生み出されたもので、その必要も無く、初めから思考というものを知らない人間の次元からだと、それは無くてもいいプロセスとなる。つまり、数字を使って、普通ではあり得ない世界をどうにか表し得たというのは、そうでなければ、それを感じ取ることも出来なかったということ。数字も思考も持たないかつての人間本来がここに望むのは、数字を通して、数字の無い世界に居てもらうこと。そうであれば、思考は一切の力を持てなくなり、数万年前までの生命たちとの融合も、とても自然なものになる。そのことで経験することが、無有日記の原因の中に普通に在る、生命世界の希望である。

 

 数字関わりの人間の世界から、数字の無い生命としての時空へ。望むべく普通はそこから始まり、その経験を通して、かつての人間たちの、普通自然体のそこでの原因に触れる。動力にも通り道にもなれる数字に案内されて、その意識もなく経験する経験の外側で、時を遊ぶ。いつのまにか居るその場所には、思考も数字も近寄れなくなる。

 現代の常識枠内で、日々人間が使う数字であるが、その概念から自由になることは、さほど難しいことではない。ただそれも、無有日記の世界を普通としつつ、そこから流れるその原因を自らの変化のそれと重ねていることが基本となるが、そうであれば、生の原因は、一気に数字の世界を突き抜ける。そして生まれる、そのままで時空を変化に乗せる、一生命としての人間の原因(時間)。不自然さを燃料とする歪な(非生命的な)人間時間が、地から離れ出す。

 

 素数は、誰もが知る独特の数字の世界であるが、それへの認識となると、それは、数字上のひとつの個性ある形としてそこに在り、人は、その本当の姿に触れることもなく、思考の満足の域(次元)に居続ける。なぜそうであるかは静電気で生きる人間には永遠に分かることのない、特殊と言われる、その在り様。数字としてのみの扱いをそこから外した時、彼らは、いろいろな顔を見せ出す。

 数字という固定された枠には収まらない素数のその連なりは、それを使う側からは限り無く計り知れない能力を、普通にそれが備えていることを教える。しかしそれは、考えるという、経験枠内での行為から始まるためで、そうでなければ、数字関わりの思考の次元は力を無くし、互いの原因の融合の可能性が、そこでは動き出す。その時、素数という、どこにも無いその世界から見える、彼らにしかない風景に、全てを預けてみる。そこでの彼らの想い(違和感)を知ることは、原因の世界での進化とも言える。

 

 2から始まる素数を、3から始め、2を完全にそこから外してみる。これまでの経験が、事の手前のその原因を変化に乗せていれば、その違いに容易に反応する。そして、どれ程の負の固まりとなって、素数という世界が存在し続けて来たかを、知ることになる。2は、素数本来への通り道を塞ぐ仕事を担う。

 思考で扱おうとする人間の都合が、素数の真を遠ざけ、それによる形無き時空の在るべき変化を、それは無いものとする。そのために、人間は、一生命としての原因の外れた歪な姿を普通とし、自然界の望みに反応できないまま、それを隔てた人間優先の価値観で、地磁気で生きる動植物たちの自由を奪う。素数をある1つの次元として観る時、地球空間には無い、全ての変化の原因がそこに在ることを、人は感じ取る。2の外れたその本来は、この時から、地球のためとなる仕事に使われることを意識し始める。

 

 普通に考えれば誰にでも分かる、素数の世界には在ってはならない、2。後に続く素数を見れば、その理由は明確。なぜこれまでそれを分からなかったのか…ということに少しだけ触れ、さらりと次へと行く。そして、2の無い素数世界を自らの脳に馴染ませ、3からのそれを、数字の計算の次元を離れて、様々に感じてみる。

 知ることの更新は、それが知識レベルのそれでなければ、ムリなく原因の質を変える材料になり、何もせずとも働きかけ得る時空も、それまでとは違う。「地磁気(44)」の中で経験した何らかのEWを、再度試みる。思考がジャマ出来ないくらい素数の真の在り様がそこに在れば、面白い現実を、それは引き寄せる。そこでは、素数の意思が自由に仕事をし、気づけば、原因の成長に必要な経験の外側まで、それは変えてしまう。

 

 人間の次元からだと、永遠に不可能なEWとしてそこに在る、11)のその意思の浄化。何をどうしても実の域にはなれないそれも、素数本来は、遊び心一杯に関わろうとする。素数の真の姿は、数字ではなく、数字でその手前まで辿り着ける、生命世界の強力な原因。数字関わりの枷(負の原因)が次々と外される人の中で、彼らは、喜んでそこでのEWに協力する。数字を通して数字の無い世界に居て、共に、人間世界の病みの、その存在感を無くさせる。

 3以上の素数に、12)と11)それぞれを、そのまま付き合わせる。期待や依存などの思考は、一切不要。感覚は、感覚のままで、何気ない変化は、流れに任せる。もちろん、何ら姿勢(手法)は要らない。行為としてのEWを遠くに、素数という名の次元・時空が自由に遊べる場所を差し出す。そして、思考も数字も無い時空に漂う。

 

 何かをするのではなく、何かのための何も要らず、ただ普通に、何でもよい自分でいることで、その原因を通るものが在る。その時のその基本形に、(思考レベルを超えた)一生命としての体験的知識が備われば、その生の原因からの表現力は、それまでの次元を超え始める。そして、いつのまにか、形を生み出す形無きその原因の性質を、自然体で調整している自分が居る。

 素数の世界を活かすというのは、自らの普通の質をより真の普通のそれへと変えていく、どこまでも自然体でいる、ありのままの様。数字がそこに在っても、次第に数字ではない時空に居るような感覚を以て、素数は、存在としてのEWの、その一部となる。そして、条件づけ云々の世界を、彼らは離れる。そこから始まる新たな展開を、彼らは温かく応援する。

 

 ひとつとなった素数の世界を、地球を含めた宇宙空間の、その生命体関わりの原因として見る。何がどんな風にそれに活用されるかで、その原因は様々な姿を見せ、その影響も多次元に渡る。ただそれも、11)と12)それぞれに素数を絡めたEWによって、大きく2つに分かれることを知る。数字で表す、数字ではない次元への働きかけは、その2つの根源的粒子を通して、地球時間を軽く突き抜けて、天体級の負の原因を浄化する程の時をつくり出す。

 3からの素数の世界に、12)を近づけたままでいると、そこでのその原因の動きは、生命本来のそれになる。それは、地球。そして、真の宇宙。この地球空間では力を出せずにいる12)も、素数の素顔に会うと、真の自分を思い出す。地球の望みに応えようと、11)に対処し得る原因を、生命たちの普通の中に添える。

 素数本来の世界に触れた11)は、思いがけず、自由にはなれない自分の姿を見る。そうであるその理由としてそこで把握される、非地球、そして非生命的な銀河宇宙。出会う物質全てを力無く(非生命化)させていた11)も、真の素数を通るその元となる意思の前では、それまでのようには行かない。2を素数とする、素数本来を遠ざける歪な世界でしか、彼は、その不安定力を出せない。

 

 3万年前も、30万年前も、そこでの人間の生活空間には普通に在った、現代の素数が案内する、生命源からなる世界。人は、思考要らずの生の中で、それに包まれ、数字とは無縁のそこでの感性に、それはどこまでも付き合う。数えるという行為の中に姿を見せた、数えられない素数。分からなくても、分かるものとしてその動きを抑えるために、人間は、2からそれを連ね、その背景(原因)への接近を遮る。

 素数という数字の世界がここに在るから、真の素数を経験できる、ここでの大切な体験。この地球でのあらゆる時の生命活動に関わっていたそれは、数字の無い時空だからこそ、無限の仕事をし、共に生かし合う存在たちのその原因の風景を、さりげなく支える。そうではなくなってしまった負の連鎖の中に居るこの現代だけど、3からの素数によって、人間の本質は、新たに更新される。人は、そこで、3万年前までの真の人間の普通を感じ取る。

 

 素数という次元を通る、多次元的な生命力の原因。それとの融合が自然なものになると、いつしか、自らも、それと同次の原因を普通とするようになり、素数無しでも、そうである現実をあたり前に生み出す自分が居る。12)関わりのEWは、自浄力を一層活発化させ、11)には、難無く対応できるようになる。そして、気づかされる。ここから、淡々と先へと行くことが、数万年前までのそこでの真の人間経験を、次へと繋ぐことであると…。感触も感応も、地球感覚のそれとして、その進化を普通とする。

 3以上の素数がつくり出す、生命世界の大切な意思(原因)とも言える、地球自然界が嬉しい次元層。それを遊び、そこから自由になり、再びそれを楽しむ。いつ、どこにも在り、どんな時も、多次元的に仕事をするところにそれは居るから、それを、自分のものとする。そして、全体になる。この「地磁気(45)」からの実践に、地磁気も一緒になろうとする。

 

 

46.文字(言葉)や数字で表せる、人間による、人間のためだけの世界。それらが外れると、自ずと思考は通用しなくなり、人間の都合で物を見ることも、力を無くす。そして、人は、一生命としての人間経験の、その原因となる。

 そこから見た時、人間世界に染み込んだ病みは、面白いぐらいに見え出す。文字であって、文字ではない、思考の域には留まらない、無有日記。数字を余裕で操り、数字の無い原因のままの世界にさりげなく案内する、そこでの普通。それは、現象世界を存在させている、無限に広がるその次元を自由に遊び、人間世界仕様にそれを変調させつつ、そこでの病みの原因浄化に活かす。文字と数字には、形無き次元でのその通るべき場所のチューニング役を担ってもらい、それぞれの仕事を、ここでの原因の進化の、その確かな変化の材料とする。

 そんな時を経ての今、ここに、更なる望むべく展開へと、この「地磁気」の原因を一層成長させ得る機会が訪れる。ここに来ないと、出会えなかった、形無きある次元層を支えている、別の次元の意思。それに触れ、対処しつつ、そこを通り抜けるために、新たな文字と数字を活躍させる。訳の分からなさと変化の原因度数は、軽く地球を超える。

 

 理由も無く生じる不調の、その元となる、思考では触れ得ない形無き粒子の世界。多次元的にそれに働きかけられるよう、いくつもの道を通って来ているが、その多次元という言葉では到底近づけない世界も、そこには在る。その粒子を包み込むようにして存在し続ける、文字の扱い方も数字の活用も至極困難となる、その原因。ここまでの経験から一切自由になるそのことを新たな力に、そこへと行く。

 言葉を通して動き出す思考の次元を切り離し、段階を追って感得しやすくなるプロセスも外して、一気に、その世界との接点を、単純な文字と数字で体験する。その時の感触や感覚が、その人にとっての、ここでの経験。それで良しとする。それぞれが、その人なりの変化の原因を自分のそれとムリなく重ねられるよう、そのための流れだけはフォローし、あとは任せる。原因(の性質)に見合うだけの経験を、人は経験する。

 

 陽子も電子も無い、中性子が17個の集まりを、自らの原因の中に招待する。それは、中性子17。そこから、形を生み出すその原因の時空での、これまでに無い展開が始まる。

 それで変わるもの、感じ取れるものと遊ぶ。そして、その感覚を以て、それをどう扱うかを判断する。それがどんなであれ、それは自由。変化の次元が思考には触れないので、ただ普通に、体験的知識をそのまま、次への原因とする。

 

 中性子のみの集まりが11~17の世界と、3~9の世界とでは、生み出されようとするものは全く違う。後者は控え、前者との融合を、新たな感覚的理解の域に収める。中性子1411は、17と共に、人間を存在させている時空のその性質を、地球が嬉しいそれへと変化に乗せる。責任は、地球感覚を普通とすることで、人間時間のこれからを変える。

 心身の負荷やAl絡みの不調、そして、電磁波や静電気による、無くてもいい非生命的活動。それらの原因が浄化されても、それは、浄化されたと思える次元のこと。思考がそもそも要らないものであるゆえ、思考で扱える世界への対応をし続けても、地球は楽にはなれない。Alも電磁気も、人間経験も全て通り抜けて、地球の望みに触れる。世の病み関わりの中性子(3~9)の働きを、地球自然界を守り続ける、中性子171411で力無くさせる。

 

 そして、天体級の負荷を外し得る原因を、自らの中の変化し続ける原因と呼応させる。地球と太陽それぞれの磁気は、それによって本来を呼び醒まされ、地球時間のその内側から、互いは、自浄力を強めていく。ここに人間として生きていることのその役割も、数万年前までの生命たちのそれと重なり合う。中性子21が、その道案内役を担う。

 説明や描写の類を無くしてさらりと始まった「地磁気(46)」は、ここで、さらりと終わる。経験は、どれだけそれを重ねても、経験させてくれる世界の意思(経験させる世界からの意思)がどんなかを経験できなければ、それは、永遠に期間限定の思考。それを経験するための機会とする。by 無有 5/23 2021

 

 

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