地球の真意(7)

 

1.長い間、人間世界に在り続ける不穏な様は、その状態を基とする変化とは無縁の人間社会が繰り返しそこで力を持ち続けてきている現れであり、そこに居て、それまでの経験(の原因)を染み込ませている中でそれを本来へと変えるというのは、そう思うだけで、難しさばかりが募る。

 しかし、そうであるその事実の原因の中に在るものをひとつひとつ把握し、その質の変化に触れ続けて、次なる原因にその形無き経験を活かす流れに乗ると、何かを意識することもない何気ない時の中で、自らの存在の性質に見合った望むべく現実の変化が、自然に生じることになる。それを、人はこの無有日記で、そうとも分からない中で経験している。

 ただそうは言っても、多数を占める人間のその複雑に絡み合った不穏な(非人間的な)無意識によって社会環境は固められてきているため、唯一それを変え得るその原因深くからのその処理・浄化を進めても、時間はかかる。それは、何百、何千年単位になってしまう可能性もある。

 人間の歴史上、人が初めて経験する、無有日記の在る時代の、生命を生き、人間をやるという人間時間。この時を支える地球時間と、ここでのその人間時間は、変化し続ける永遠の瞬間の次元ではキレイに融合するものだから、そのことを最大限に活かす。生命本来をテーマに変化に乗ること以外何も知らない人間時間の、その原因を具現化させる。次の時代に残せないもののその原因を、そのままにはしない。

 

2.人間という存在。そこに一生命としての生を営む人間の姿があれば、いつの時代も、社会は病むことはなく、人が人の命を奪うことも、他者への迫害も差別も存在しない。争い、衝突することのその負の原因からは遠いところで、人は、人間らしい生を、生命として生きる。

 そうではない事実の人間の歴史がなぜ連ねられたかのその理由については、これまでも各所で書いてきている。癒されないままの経験の記憶が深くから浄化されるそこでのその原因からなるEWを通して、人は、経験から自由でいる生の基本形を安定させる。原因を生きることによる変化の可能性は、どこまでも変化に乗る。

 素朴で柔らかな人たちが心ある想いをそのまま表現できるようになる中で顕になり出した、作り物の人間性で生きる、ロボットのような存在たち。蛇絡みの本性(本質)を潜めた彼らは、この数千年間で驚く程の多数を占め、人間社会のあらゆる分野で、好き放題そこを支配する。

 その残虐性と狡猾さは蛇譲りで、そうとは思わせない動きと、他者の脳を操る静電気で、どんな風にでも嘘を通し、混乱と腐敗を愉しむ。「再生」でも触れた、その世界。その原因となる次元を太陽時間の域にまで広げたことで(「復活」)、彼らの人間経験をこれまでから切り離すという新たな経験を、この「地球の真意」で創り出していく。そして、そこから(彼らから)届く未来を外す。そのあり得ないことが、彼らのそのあり得なさに対処する中で姿を見せ始める。

 

3.およそ3万数千年前、奇形(土偶の実)を経て人間の身体を手にした、人として必要とするものを不要とする、形ばかりの人間。蛇の獰猛さとその非地球的な能力をそのまま引き継ぐようにして人間経験をし始めたその存在たちに、心と感性は無い。生の必要性も、欲のむさぼりと、支配・征服欲を基礎とするため、そこでは、破壊(攻撃)と不安定(停滞)を維持するための数が求められ、その中で差別と怒りを共有する。現代の蛇と密に関わる価値観(宗教)は、それを物語る。

 極上の嘘の原因で本当らしく本物を生きようとするその存在たちの姿が元から変わり出さなければ、時代は、いつまでも真の変化を経験できない。社会全体のその健全さの原因などとは全く無縁でいる、彼ら。限り無く非人間性を地で行こうとするそこでの次元が通用しない世界を、この7章に乗せる。これまでを基とするから、ここに登場する原因は、大きく違う。

 その本質が心の無さをあたり前とする蛇同然のそれであることの意味は、その存在たちは皆、怖れと怯えと、不健全極まりない非生命力を内に凝り固めているということ。それは、動き出すためには不安や差別心が要り、普通で居るためには、不健全な(非生命的な)物や食物が必須であるということ。

 ということは、他にもその類(次元)のものが有り、その中でも重量級となるもの(怖れの対象)は、彼らの誰もが引いてしまう程の影響を被るということ。もうすでにそれはここに在り、それと遊びながら、文章を書き進めている。

 

4.2章で記した、静電気を巧みに操る、蛇の目と脳。蛇系の人間は皆そうで、強くそれを働きかける必要性がそこに在れば、蛇は、その人を強力に支援する。心ある普通の人は、いつの時も元気ではなくなる。

 そんな蛇にも、蛇に見守られる人間にも、目に入れたくないものがある。分かりやすいところでは、柔らかな感性を持つ人の元気な姿。理由もなく楽しそうにしている人の姿は、耐えられない。彼らには、不安の裏返しの安心と差別心に支えられた喜び以外のそれらは、理解できない。心が無いため、心の無さが不要に揺れ動かされ、それまでに覚えた心ある言動の扱い方(振り)も困難になる。

 見たくないもの、触れたくないものは他にもいくつもあり、湿度の低い空間や青空(太陽)もそうである。その時その場所で彼らの姿を見ながら、感触の違い(変化)を感じ取り、原因の深みや影響力を観察する。そして、そのひとつひとつをさりげなく消化し、淡々と先へと行く。

 それを言葉(文章)にすれば、自らの原因の成長にも弾みが付く。気づけば、それまでとは同じに行かないことに彼らは焦り、不安だけで出来た中身がこぼれ出す。彼らと繋がる未来は、どこにも無い。

 蛇が何らかの形で関わる教えや形式を大切にする人間の、そこに隠れた非人間性を余裕で観察する。そこに蛇は居て、人間と共に、彼らは普通と思える異常を実践する。

 重く、動きの無い感情を満足(安定)させるために、結果(過去)に留まる知識ばかりで思考を忙しくさせてなければならない存在たち。彼らが執拗に避け、狡賢く人にさせようとする物事の原因が動けば、一層力を入れざるを得なくなるその嘘を通して、彼らが決して触れたくないもののその意外性までが、蛇が困る程に顕になる。そのことを楽しむ。

 

5.滞りを普通とする空間の中に居ても、そこに在る動きの無い原因に侵されずにあたり前に変化に乗る自分が居ると、その無意識の力で心ある風景を破壊しようとする存在たちの、その嫌悪の対象を通して、彼らの本心がそれとの縁を恐れるという世界(事柄)に共通する、その原因の性質を体験的に感得するようになる。

 そこに在る、事の手前の形無き原因への責任放棄と、中庸と全体という生命本来への完全拒否と否定。それを知る時にはすでに、その存在たちが嫌う性質の原因を自らの中で成長させていて、それだからこそ分かり得るその次元の姿が、そこには在る。いつのまにかそうである事実を通して、原因の次元から、更なる余裕と実践でその深くへと入る。

 そんな中で経験するのは、蛇系の人間が忌み嫌う物を把握すると、その元の原因までが同時に動き、ふと意識を向ける彼らの姿や出来事と一緒に、新たな原因が力を手にするというもの。形無き原因の性質が、地球が嬉しい次元の変化に乗っていることでもあるそのことは、人間世界のその生命本来への変化に、思いがけず、厚みと深みを添える。

 直感は、少しも思考の次元には触れないところで自在に仕事をし、それに応じた形ある物や事実を順序よく浮き上がらせる。ひらめきは、その理由を持たずに活躍し、透過する次元を自由に変えながら、そこに在る原因と、結果という名の(次なる)形ある原因とをキレイにひとつにする。そして、動かざるを得なくなる彼らの怯えと怖れの芯を、楽しく処理する。

 

6.蛇に支えられる嘘の人間たちが特に嫌うものは、自然とそこで形となり、蛇の意気は、大きく力を無くす。それは、思うだけで事が勢い良く進行する、多次元的な原因の浄化そのもの。原因の世界は、どこまでも深く風通しを良くし、どこまでも広く、滑らかに、それは回転する。

 ここに在り、これからもその質は変わるであろうそれは、ふとその時の訪れを実感する何気ない日常の中で、自分にとっての普通となる。知ることから始まる次元には無いゆえに、それが言葉となる空間は、ここには無い。これまでの経験全てがその原因となって、今、それは招かれようとしている。その流れに任せ、そこに在る原因の意思に時を預ける。

 未来のために、そして地球自然界のために、この時代に在ってはならないことを、生命本来の次元から眺める。そしてそれを言葉にし、その言葉に自らの原因を乗せる。そのことで変わり得る世界のその質を観察し、強く、しなやかに、未来への原因を成長させる。表現することで原因を高め、高めた原因をそのままに、表現し続ける。

 その時、ふと感じるもの、思い浮かぶものを材料に、EWを試みる。ただ感じるだけでいい。そこに動き出すものがあれば、それを繰り返し、それに続くものがあれば、それに移行する。そのひとつひとつが皆、不可欠なプロセス。無有日記の世界に居れば、そのための(中庸と全体の)原因はいくらでも供給される。

 内容よりも質が優先される原因のEWは、何を材料にしても、反応を呼び込み、何もしなくても、変化の原因は活発になる。だから、いつ、どんな時も、さりげなく真剣に生命を生き、人間をやる。そこに、意識を向けて欲しいものや形が訪れ出し、その原因は大きく動く。人間全体の生命本来は、確実に具現化へと向かう。

 

7.大切にしようとする形ばかりの行為で人として大切にすべきものを無視し続ける、人間本来からも大きく外れた存在たち。彼らは事の本質そのままの無有日記の次元を避け、原因を生きるという、人間の生の基本にも背を向ける。それでも通用する環境を皆で上手く作り出し、人間世界を、非人間性と非生命的価値観で覆い尽くす。

 彼らにとっては、そこに在る原因だけでなく、無有日記の内容も拒否・抵抗の対象となる。それは当然と言えば当然の話。そのことを改めてEWに活かす。そこに在る、この社会環境が大きく病んでしまったその原因と、それと関わるいくつもの出来事や結果に留まる形や物。直線的ではない感じるままのEWの材料にそれらを活用し、より深い次元の負の原因浄化に役立てる。

 テーマはもちろん、蛇や蛇と融合する人間が嫌うこと(もの)。それらは、無有日記と融合する人にとっては嬉しい原因を備えるものばかりだから、無理は無い。そして、そのプロセスで、重視すべき点、保留すべき点などを把握する。何気に主導権を握り、その意識もなく原因の世界への責任と実践の質を高めている自分が居る。

 その実践から動き出すものや変わり出すものを自他の中に観る時、何もせずとも為し得る原因の働きかけがそこで自然に行われていることを知る。それは、存在の質の変化・成長を意味し、依存も期待も何も無い中で、全体にとって望むべく変化が流れ出しているということの現れ。そして、原因の質の変化からは無縁で居ようとする存在たちが、何より嫌うもの、どこまでも避けたいもののそれぞれの重要度を感じ取る。ただ感じるだけでOKとなるEWの質(影響力)は、それにより、自動制御のようにして自由に広がり、力強くなる。

 

8.柔らかな感性を備える普通の人は、無有日記に触れているだけで、中庸のシールドのようなものがその原因の中で形づくられ、一生命としてのそこでの自然な感覚は守られる。異常を普通とする世界では決してあり得ないそのことをさらりと具現化させる、ここでの本来の普通。そうであり続ける事実は、それ自体が理由となり、原因となって、その本来を拡大させる。

 そのことはすでに、世を病ませようとする存在たちにとっては大きな違和感となっているゆえ、ここでの普通を大いに活かし、共に変化に乗り、その質を成長させる。彼らが嫌悪する世界を通して自然と為し得るEWもしやすくなる。

 そして改めて気づくことになる、耳のどこかに生じる(生じ続ける)、通常とは異なる音のシャワー。強弱や細かさの違いも含めてその時々でいろいろな空気感をもって訪れるそれは、この7章で、その発信元である自らの姿を見せる。ずっと生命たちの人間時間を見守り続けてきた、その音の送り手たち。音は、彼らとの融合の形であり、いつもそこに居て、全てを包み込むようにして添い続けてくれている、その現れである。それが一層の安定感と力強さを見せ出す。

 彼らとの時空を超えた密な触れ合いを通して知るのは、彼らほど蛇系の存在たちに嫌われている対象は居ないということ。それを知る時が来たということ。この時を待っていたその音の送り手たちとの時間は、地球のこれからのための、その原因の高まり。共に居る場所を同じに、融合を強め、生命世界のその望むべく変化の時へと一気に歩み出す。

 数を力に好き放題無生命化を拡大させようとする存在たちは、自分たちが何より嫌う彼ら(音の主)の真の力を恐れる。それと共に居る普通の人間たちの変化にも、危機感を募らせる。その形無き原因の性質は全て、そのままで居ることも出来ずに、嘘の身体と共に崩れ出す。

 地球の真意に耳を傾け、それに応えようとする時、形の有無の次元を超えて、生きる原因と、人間としての身体表現がひとつに回ることの大切さを知る。そうであるから通り抜けて、行ける場所。それが普通となるから高め得る、生の原因。

 そのために、「人間」があり、「仏陀の心」と「太陽の音楽」がある。「再生」「復活」を経てのこの「地球の真意」は、人間時間のその原因を地球時間と重ね得る、唯一の時。それを楽しむ生命たちの普通が、そのまま地球の真意となる。ふと気づけば、全てが、生命本来をテーマに変わり出している。

 

9.「地球の真意」は、地球が人間たちに望む、一生命としての本来の姿。それは、普通で自然な生の営み。それを阻む力の原因は地球にとっても厳しいものだから、彼は、彼なりに出来ることをし、次なる展開の可能性を人間に託す。生命を生き、人間をやる存在たちが、さらりとそれを担う。

 その地球の望みが具現化されようと、そのための材料がキレイに揃った、この現代。ところが、そうはさせない不穏な意思は、これまで蓄積させた負の原因を元に、これ以上無いという程の無生命化の道具、LED照明を世に送り出す。蛇系の存在たちは、自らの本性のままにこぞってそれを利用し、狡賢く巧妙に、地球自然界を病ませる動きを取る。

 極度の焦りと怯えの現れでもある、現代における急速なLED化の流れ。その嘘の原因が、繋がる未来を持てない程浄化されているこの流れの中、未来への責任として、形あるLED照明を外す。それは、一生命としての生き直しの機会。その原因の始まりは、内なる生命本来の選択であるゆえ、思考を巡らす時間は要らず、ただそうである自分が居る。

 そして、地球を安心させる。生命たちの未来を健康にする。二度と通らなくてもいいこの一度切りの時を、地球に捧げ、地球と共に生命を生きる。記憶の中の本当の地球が、太陽に連れられ甦る。

 

10.そのLED照明の原因の中には、地球にとっての、これまでの無くてもいい経験のその全てが在り、音の送り手はそれを知る。地球と共に居るから、それは地球感覚の原因を普通に連ね、人間時間を経験する生命たちのその意思を真剣に支え続ける。これからは、彼らはこれまで以上に、次なる原因の変化を応援する。

 感覚的理解の中に入り込もうとするその存在を、手のひらで感じてみる。それでOK。それまでの経験を引き連れた思考からのものでなければ、必ずその試みはそれと繋がり、融合する。ここまで来て、更なる(EWの)次へと繋がる今に居るから、それは可能となること。それを地球は嬉しい。それがどれ程の変革の原因となるか…。それぞれの生命の意思は、どこかでそれを知っていた。

 LED照明が潜める、その凄まじい破壊力。蛇と蛇系の(土偶の原型をルーツに持つ)人間以外の全てを潰し切ろうとするそれには、別な重要な目的があり、それは、地球と共にどんなことがあっても生き存えてきたその彼ら(音の送り手)を完全に消滅させること。それ程、彼らが備える能力を、非人間性を普通とする嘘の人間たちは恐れている。それを外しては地球がどこまでも思うようにはならないことを知る、非地球の支配の意思は、形ばかりの人間の、その数と量の力にLEDの原因を流し、その具現を実現させる。

 異常を普通として生きる病みの素のような人間たちが最も恐れるその存在に、自由に活躍してもらう。彼らとの融合は、その質の高まりと共に、地球規模の望むべく原因として、どこまでも成長し得るもの。それがここで始まる。この今のEWでそれを感じ、全く今と異なる地球本来の未来から、この今を眺める。地球の真意が、地球の喜びになる。by 無有 3/05 2019

 

 

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